彼女と事件
やがて怪我も治り、達樹は立栄の家を出ることになった。
「すごいな、本当に痛くない」
部屋で最終確認をしていた時、達樹は服越しに、包帯の取れた胸を軽くたたきながら感嘆の声を漏らした。
事件があって一週間以上経とうとしている。魔法を使えば十分治る期間とはいえ、死にかけた状況を考えると、信じられない速度だ。
「経過観察はしなくてもよさそうだな」
隣にいる日町が言う。時刻は昼過ぎで、家に立栄の姿は無い。講義を受けている最中のはずだ。
「増幅器に関する鍛錬も問題ない。自由にしてもらっていいだろう」
「そうですか……ところで」
達樹は傍らに置いてある黒いバンド型の増幅器に目をやり、日町に尋ねる。
「あれ、使っていて問題ないんでしょうか?」
「増幅器か? うん、一応調べたが害を与えるような仕組みは無かった。舞桜から手に入れた経緯も聞いているが、怪しい所は何もなかったぞ」
「そうですか」
達樹は青井が良からぬことを企んでいるとすれば、自分の居所がわかるようにするとかしてもよさそうだと考えた。
しかし、どうやらそれもない。
「まあ、私も関係しているわけではないから詳しく語れないが、悪意のある増幅器ではないな。これは失敗作だが、きちんと扱えるように精密に調整されている」
「これが、販売されるからでしょうか?」
青井が新製品だと紹介していたことを思い出し訊いた。すると、日町が疑念を抱いたのか聞き返す。
「新製品? 私は増幅器のカタログを読んでいるが、こんな形の増幅器は見たことないな」
「そうなんですか? でも数か月後に発売されるらしいですよ?」
「九秋のプレリリースでもそういう情報は無い。彼が嘘をついていたのではないか?」
嘘。達樹は首を傾げた。やはり青井は何か思惑があって、増幅器を渡したのだろうか。
考えていると、日町が肩をすくめた。
「まあ、その辺りは考えても仕方が無い。舞桜に任せよう」
「……そうですね」
達樹も渋々頷いた。彼女に関わらないと忠告された以上、任せるのが一番だ。
けれどそれは真意を押し殺した決意――日町はそれを読んで、達樹に告げる。
「不服そうだな」
「……はい。でも、俺が首を突っ込んでロクなことにはならないでしょうし」
「賢明だな」
日町は同意した。そんな彼女を見て、達樹は駄目元で要求した。
「できれば、事の顛末くらいは知りたいんですけどね」
「解決を目処が立てば、伝えるよう舞桜に言っておくよ」
「ありがとうございます」
達樹が頭を下げ、会話は終わる。そして家を出た。
外に出てすぐ道路が見える。そこまで行くと、達樹は振り返った。
今までいた家は、一般的な家族が夢見て憧れる、少し大きめのマイホームだった。
「警察に選ばれたりすると、学生の身でありながら一軒家もてるんですね……」
なんとなく呟くと、日町が補足するように答える。
「あくまで特例な措置と、借家だがね。彼女は立場上狙われる危険性もあるから、他の学生を巻き込むわけにもいかず、やむなくこうした処置をしているわけだ」
「なるほど」
そういう理由ならば納得できた。
「もう世話になるなよ」
日町が注意する。達樹は苦笑しながら「もちろんです」と答え、門を出た。
「ありがとうございました」
「ああ」
見送られながら歩き出す。怪我が治り体はずいぶんと軽い。しかし、心思うことはある。
(これで本当に、良かったんだろうか……)
事件がいつまでも燻り、達樹の頭を悩ませ続けた――
翌日から、達樹は普通の学校生活に戻る。長期間休んでいたため優矢に色々と尋ねられたが、実家に急遽帰省していたという適当な理由をでっち上げ、事なきを得ていた。
授業に関しては、土日を挟んだ一週間程度の休みだったので、どうにか把握できた。とりあえず、安心する。
授業が心配ないと確信できた所で、次に浮かんだのは事件の話。達樹は昼休み時間中に新聞などのニュースを確認したのだが、漆黒の騎士の件は話題にすら上っていなかった。槍で貫かれ意識を失う寸前咆哮が聞こえたので、何かしら噂に流れていてもよさそうなのだが、それも無い。
(警察の人が、上手くやったとかかな?)
一日中考えそう結論付けた時には、放課後を迎えていた。
優矢は一足先に帰ったが、達樹はすぐに帰る気にならず、いつものオープンカフェでウーロン茶を飲んでいた。時刻は夕方前であり、日差しにほんの少し赤みが生まれ始めている。
「青井商店に行けば、何かわかるのかもしれないけど……」
そう口にしたが、すぐに思考を振り払った。
彼女、立栄の邪魔をしてはならないような気がした。自分が増幅器によりある程度戦えるところまでは実証できたが、重騎士には相手にならなかった。もし再び遭遇したら、同様の結末を迎えてもおかしくない。
「だけど、本当にこれで良かったのかな……」
彼女の家を出た時と、同じような考えを抱く。彼女に全て責任を負わせるのは、良心の呵責のような感情さえ覚えてしまう。
「すいません」
そんな思考の中、声を掛けられた。女性の声。達樹が目を向けると、心臓が跳ねた。
立栄の友人である、笹原菜々子が立っていた。
「西白達樹さんですよね?」
「はい、そうです」
達樹が答えると彼女は小さく頷き、おもむろに対面の席へ座る。
「急で申し訳ありません。少し話がしたくて」
そう前置きをすると、店員が注文を取りに来た。
彼女はレモンティーを注文し、店員が戻っていくのを見送ると、話を始める。
「いくらか気になっていたことがあると思うので、ご報告しておきます。ペンダントについては近日中に破棄される予定で、盗んだ主犯とされる青井神斗という方は、現在行方をくらましています」
「行方不明……?」
「商店からも姿を消したらしく、逃亡したと推測されます」
淡々と語る彼女の言葉。達樹は絶句しつつ、なおも説明を聞き続ける。
「後は、青井神斗が捕まれば事件は解決するでしょう。目的はペンダントの破棄なので、九割以上目的は達せられたと言えますし、西白さんが気を揉むようなことは、ありません」
「そう、ですか……」
だが、達樹は気になっていた。確かに事件自体は解決方向だが、漆黒の騎士については所在が分かっていない。
「ですけど、あの黒い騎士は……?」
「それも目下調査中です。三石さんの報告によると、九秋の研究機関から青井神斗が研究サンプルを持ち去ったらしいので、それを使ったと見る向きが有力です」
「サンプル……ですか」
達樹は自分が身に着ける増幅器を思い起こしながら、呟いた。
これと同じような意味合いなのだろうか――考えていると、笹原からなおも説明が加えられる。
「青井神斗の目的はおそらく開発品を利用した九秋に対する反乱、といった解釈がなされています」
「なるほど……それで後は青井さんを捕まえれば」
「はい。すべて解決です」
彼女は頷いた。
達樹としては完全に納得できなかった。青井が黒幕ではなく罪を着せられているとか考えるのは、ミステリー小説の読み過ぎだろうか。
「疑っていますか?」
笹原が問う。おそらく達樹の表情に気付いたための言葉。それに対し無言でいると、彼女は小さく息をついた。
「出来過ぎている、と舞桜も言っていました。それに不可解な点もあります。青井はなぜあなたにペンダントを託していたのか。あなたに渡しておかなければならない理由があったのか……」
「その辺りも、彼女が調べると?」
笹原は頷いた。同時に彼女の瞳に立栄を憂うような色が見え隠れする。
達樹はふと立栄の仕事を思い浮かべる。彼女と学校以外で遭遇したのはたった二回だが、ああして調査に回りなおかつ授業を受けているとなると、きっとまともに休んでいないだろう。
「……答えられるのなら、答えて欲しいんですけど」
達樹は自然とそう口にしていた。笹原は無言で言葉を待つ。
「立栄さんを支援する方々はたくさんいますけど、ああいった仕事は彼女一人だけで行っているんですか?」
「はい。さらに言えば裏方で仕事のサポートをしているのは、私だけです」
「何か理由が?」
――笹原もまた認可された魔法使いであるのは、療養中の時に立栄から聞かされていた。だから彼女が協力しているのはおかしくない。しかしサポートが笹原一人。調査で調べ回る人間ぐらいは、彼女以外にいてもいいはずだ。
「……そうですね」
言葉を濁して、笹原が応じる。達樹は答えられないのかと少し落胆しかけたが、彼女が意を決したように口を開く。
「他言無用で良ければ、お話しましょう」
「いいんですか?」
「あなたが舞桜に協力を申し出たのは、聞いています。あなたはきっと、私と似ているようですから、事情を話した方が納得するでしょう」
似ている――そう聞かされると、達樹は笹原をじっと見つめた。
「私も、あなたと同じです。彼女が警察機構に認可された直後くらいに、事件に巻き込まれて救われました」
「それで協力を申し出たんですか?」
「はい。舞桜も認可され仕事をし始めた時で、不安だったんだと思います。私の提案に喜んで賛同し、警察からも協力者として許可が出ました。それから少しの間は、私達は協力して仕事を行っていました。まだ親衛隊とかが結成されていなかった時なので、私としても動きやすかった。しかし――」
「何か、あったんですね?」
先読みして尋ねた。彼女は小さく暗い笑みを浮かべ、右手で制服の襟を引っ張った。
視線を向けると、首元が広がり彼女の鎖骨が目に入る。そこに縦に大きい傷痕が見えた。そのまま下に傷が走っているのかもしれない。
「これが、私が裏方に回った理由ですね」
言うと、彼女は襟を正す。
「不幸中の幸いだったのは、制服で見えない場所に傷跡が残ったくらいでしょうか。私がこうなってしまったため、彼女は協力者を増やそうとしなくなりました。もっと言えば、最初私すら関わることができなくなりそうでした」
「俺も、似たような境遇というわけですか……」
彼女は頷いた。達樹は立栄に救われ、協力を申し出た。立栄から見れば、過去の光景を思い出させてしまったのかもしれない。
笹原は達樹の言葉を聞いた後、寂しそうに言う。
「彼女が関わる事件はそもそも、下手をすると街全体を揺るがすものとなります。さらに研究機関等が一部関わっている面もあるため、戦闘を避けられないケースが多い。だからこそ、舞桜に仕事が回り、舞桜にしか対応できない場合がほとんど」
――そのため、立栄自身協力者であっても戦場に近づけようとしない。笹原はそう暗に語っていた。
「西白さんは、提案を拒否したことで不快に思われたかもしれませんが、これが舞桜の理由です。きっと、自分の戦いで誰かが怪我をしてしまうのを恐れているのかもしれません」
「ということは、警察の協力なんかもほとんどないんですか?」
「人員が必要な時はあるので、そういった場合は協力を仰ぎますが、ほとんど単独です」
「そう、ですか」
達樹は相槌を打つ。
もしかすると立栄は、自分の事件に関わる人間全てが傷ついてしまうのでは、という風に感じているのかもしれない。
だがサポートを必要とするケースもある――その例外が犠牲の一人となり、彼女の心情を察している笹原だけなのだろう。
「色々と言いたいかもしれませんが、舞桜も考えを持って戦っていることだけ、理解してください」
「……わかりました」
頷くしかなかった。そこで笹原のレモンティーが運ばれてくる。
彼女は小さく「いただきます」と告げて飲み始める。
達樹はそれを見ながら、言い知れぬ感情が生まれるのを自覚した。
笹原と別れた後、達樹は寮への帰り道を歩く。鞄を肩で担ぎ、彼女の話を頭の中でグルグルと回し、歩道を進む。
「犠牲、か」
小さく呟く。
達樹は一度死にかけ、立栄から見ればまたも犠牲を出してしまったと、後悔しているに違いなかった。だからこそ彼女は悲痛な顔を見せ、涙を流したのかもしれない。
できれば、そうした彼女に協力してあげたい――しかし、
「関わるのはまずいよな……俺は満足に魔法も使えない身なんだから」
小さくため息をついた。けれど、引っ掛かりは残る。
事件を途中で降りるような状況であり、心の中では納得していない。しかしここで焦れていても彼女の迷惑になるだけ。おとなしく日町や笹原からの報告を待つ以外、選択は無い。
「事件が終わった報告を聞くまでは、しばらくこんな調子かな」
達樹は再度ため息をついた後、空を見上げた。
茜色に染まりつつある空。秋であるためか空は高く、非常に澄んで綺麗だった。
空の景色に当てられ心が落ち着こうとした時、ポケットの携帯が鳴った。確認すると、画面には『優矢』の文字。
「はい」
『あ、達樹。訊きたいことがあるんだが』
電話に出ると、矢継ぎ早に優矢が尋ねてきた。
『お前、青井さんのこと知らないか?』
質問に――達樹は少し緊張し、声でそれを悟られないように聞き返す。
「青井さん? どうかしたのか?」
『いや、青井商店を久しぶりに見に行ったんだが誰もいなくてさ』
「研究機関の方じゃないのか?」
『そっちは不在の一点張りだ。研究機関に連絡取れば所在はいつもわかっていたから、今回は変なんじゃないかと思うんだが』
それはそうだろう。九秋研究機関から見れば彼は逃亡者なのだから。一般人に事情を話せるわけが無い。
達樹はどう答えるか少し考え――
「俺は知らないけど。というか増幅器をもらった後に、簡単な依頼を請けてそれっきりだ。商店にも行ってないよ」
『そうか。悪かったな』
優矢が電話を切った。達樹は携帯電話をポケットにしまい、商店へ行きたくなる衝動に駆られる。
「未練が残るなぁ……」
せめて青井の所在くらいつかめないものだろうか――思案している間に、寮の門に到着した。このまま中に入れば、今日も一日が終わる。
達樹は寮の前で立ち尽くす。思い出されるのは青井の出会いから始まる一連の出来事。彼のことは気になるが、立栄のアドバイスを受けるべきだ。
けれど幾度となく自問自答した。本当にそれでいいのだろうかと。
そうした時間はおよそ一分程だった。達樹はやがて結論を出し、寮の門をくぐる。
青井については立栄も把握している。きっと青井商店も調べがついているだろうという推測と、自分が行っても仕方ないという半ばあきらめのような心境が理由だった。
ふと、寮を見上げる。建物は三階建てのシックな色合いで、彼にとってはひどく見慣れた建物。玄関口を抜けると、清掃担当のおばさんが達樹を出迎えてくれた。
「ああ、お帰り。西白君」
「はい」
達樹は答え、スリッパに履き替えようと下駄箱に手を伸ばす。その時、おばさんに声を掛けられた。
「荷物が届いているよ」
「荷物?」
聞き返すと、おばさんは玄関近くの事務所受付を指差す。
そこには小脇に抱えられる程度の大きさをした段ボールが置かれていた。
達樹はスリッパに履き替えると、特になんの感情も無く小包を確認する。そして目を見張った。
届け主に、はっきりと『青井商店』と書かれていた。
弾かれるように部屋に急いだ。鼓動が高鳴り、思考がざわつく。彼の部屋は奇数であぶれてしまったため、二人部屋なのに達樹しか使っていない。そのため部屋に入ればじっくりと確認できる。
部屋に入り、鍵を掛けた。電気を付け西日が差さる窓をカーテンで覆う。鞄を横に置き、勉強机に小包を置いた。もう一度住所を確認する。間違いない、届け先には『青井商店』と書かれている。
(一体、どういうことだ……?)
胸中呟く。
自分になぜ荷物が届いたのか、全くわからない。そこで配達日を確認する。昨日だった。
「昨日って……少なくとも、俺に頼んだ仕事絡みじゃないな……」
逃げる寸前に荷物を送ったのだろうか――
達樹は一度大きく深呼吸をした後、引き出しからカッターを取り出し、丁寧に段ボールに切り込みを入れる。
そこからゆっくり開けると、中からは緩衝材であるくしゃくしゃに丸められた新聞紙が出てきた。それを適当に放り投げると、クリアファイルに入れられた十枚ほどの書類と、無地の封筒が目に入る。そして小さな小箱が一つ。中身はそれだけだった。
「これは……」
まず書類を手に取る。そこには捜索に当たったペンダントの絵が描きこまれ、絵に対し詳細な情報が記載されていた。
ただ、読んでも意味がわからないくらいに、専門用語が書き込まれていた。
「解読するのは無理そうだな……」
呟きながら、今度は無地の封筒に手を伸ばした。それを開けると中には紙切れ一枚。そこには文章が書かれていた。
『この資料を青薔薇様へ渡してください。そして小箱の中身を用いて矛盾を追及し、協力を仰いでください』
最初目に入ったのはその一文。こちらも意味不明。わかったのは青薔薇――立栄に頼れという一文だけ。
「小箱の中身を用いて矛盾を追及……?」
ずいぶんと珍妙な言い回しだった。回りくどい書き方だなと思うと同時に、これが青井から送られてきたものであれば、なんとなく理解はできた。
(誰かに見られてもわからないようにしてるのかな?)
思いながらさらに文面を確認する。
GPSの座標らしき数字に『九秋研究所』と記されていた。この座標が九秋研究所だと言いたいのだろう。手紙の内容はそれだけだった。
「ここに座標が書いてあるということは……」
最後の小箱を確認する。中からは以前使っていた、ペンダントを探知するためのGPS。
手に取ってそれを起動させると、メモ通りの座標が表示された。
「九秋にあるのは、間違いなさそうだな」
呟きながら、達樹はしばし思考する。
矛盾を追及というのも理解できないし、何より手紙には立栄を頼れと書いてある。もし青井が追われる身ならば、立栄の名前が出てくるなんてことは考えられない。
なぜなら、彼女が青井を追う人間だからだ。
「何か、あるのか……?」
笹原と会話をしていた時の疑念を思い出し、呟いた。
そこで、突然ノックの音が部屋に舞い込んだ。