第一段階
先客だと達樹は思い、どうするか一瞬迷った。とはいえトイレなので自分が入っても気にすることはないかと思い、そのまま入ろうとした。
しかし、
「わかったが……それにしたって、なぜこんな資料が欲しいんだ?」
さらに会話は続く。
「調査、ねえ……それはわかったが、なぜ立栄舞桜のことを調べる必要があるんだ?」
(……え?)
足が止まる。トイレの中にいる男性は、舞桜の事を話しているのか。
そういう会話に立ち会ったこと自体、なんだか奇妙に思えてくる。もしや自分をはめるために――などと考え、そんなことをする理由がないとも思う。
「いいけど、これがバレたら俺もタダじゃすまないんだからな? 危険なことだぞ?」
言葉に漂う危険な気配。一体何を――と思った直後、達樹は疑問に思った。
こうした会話をしていること自体はきっと油断か何かだろうとは思う。いや、そもそも聞き耳をたてられているとは思えないような場所だ。警戒をしていないということだろう。
それ以上に湧きたった疑問――舞桜のことを調べるのはいいとしても、なぜそれが危険などと言えるのだろうか。
(何か……あるのか?)
先ほど達樹は菜々子から舞桜について多少ながら聞いた。突如開花した才能。突出した力は光陣市の中で誰もが知っている最高の魔法使いとなった。しかし――
(……ありえない)
自らが想像したことに、達樹は思わず首を振る。
第一、そんな話聞いたことがない。魔力とは本来生まれ持ったものであり、達樹のように増幅器などを使用すれば多少強化できる余地はある。しかし、その絶対的な才能と呼ばれるものが必要なことには変わりない。
それは人がどうこうできる領域ではないはずだ――けれど、
(俺が知らないだけなのか……? それとも――)
秘密裏に――達樹はここで『救世主』と呼ぶ敵の存在を思い出す。
もしや、舞桜を狙っているのはそうしたことが関係しているのか。
そしてこれは、敵に近づくヒントになるのではないか。
とはいえ、もし舞桜に何かあるとしたならば彼女に対して調べるということを意味している。それが果たして良いものなのかどうか――
「ああ、わかったよ。とりあえず資料については用意するさ」
その間にも男性の会話は続けられる。
「あ? 場所? そんなもの聞いてどうするんだ? お前が立ち入ることはできないぞ? ふん、興味があるってか」
男性の言葉に達樹は耳に神経をとがらせる。とはいえ立ち尽くしていては怪しまれるため、周囲に人がいないかの確認は行うが。
「彼女の詳細についてはタガミ研究所の……ああ、その場所にある建物だよ。そこにあるんだが、お前の知りたい情報というのは情報レベルが高いやつで……そう、地下にあるんだよ」
地下――そんな単語を聞くと同時、達樹は先ほど発言した男性の言葉を心の内で反芻する。
(……タガミ?)
達樹にとって聞き覚えがある。もし想像しているのと同じであれば、タガミ――田上研究所。
光陣市には国が設立した機関以外にも企業がお金を支払って設立した組織や、国や自治体が補助金を出して設立したベンチャー的組織もある。田上研究所は国からの支援を受けて設立された場所であり――
そこは、達樹の姉が勤めていた研究所だった。
(これは……)
達樹は胸中呻く。
――光陣市の役人から、姉は事故死だと言われていた。達樹自身を含め家族全員はそれを信じて疑わなかったし、達樹も光陣市を恨んでいたわけではないため、結果としてこの場所にやって来た。
ただ、この場所を訪れた当初はその辺りについて調べたいという願望も存在していた。もしやそれについても調べられるのではないか――
「こんなところでいいか? ああ、わかったよ。それじゃあな」
男性の会話が終わる。達樹は即座に左右を見回した。
立ち聞きされているとわかったなら、男性も達樹に目を付けるだろう。それだけは回避しなければと思い――衝動的に女子トイレに入った。
(これ、見つかったら色んな意味で一巻の終わり……!)
そんなことを思うと同時に、コツコツという革靴の音が響いた。それがやがて遠ざかり、達樹はゆっくりと女子トイレから出てくる。
周囲に人はいない。防犯カメラでもあったら危なかったが目に入る範囲でそういうものもなさそう。達樹は心底安堵する。
だが、
「……さっきの会話」
舞桜のこと。そして姉のこと。達樹は自身の心がざわめくのをはっきりと自覚する。
「調べた方がいいのか? いや、それでも……」
思考が上手くまとまらない。舞桜の個人的なことのようにも思えるため、深入りしてはいけないような気もする。
だが、もしかするとそこに今回の敵に関するヒントが眠っているのではないか――そういう推測も頭をもたげ、思考が堂々巡りをする。
「……田上」
また同時に、姉が勤めていた研究機関の名前を聞き、どうしようか考える。事故だと聞いていた。だから別に調べる必要はないんじゃないか――学園に来て数ヶ月経った時点でそう思った。もっとも、それ以外に成績的な面で四苦八苦していたのも要因の一つではあったのだが。
けれど、この町に来た時のことを思い出し――達樹は、どこまでも考える。
「……達樹?」
その時、ふいに菜々子の声がした。慌てて振り向くと、訝しげな視線で達樹の所へ歩み寄ってくる姿が。
「どうしたんですか?」
「あ、ああ……ごめん。ちょっと考え事」
適当な嘘をつくと、菜々子は途端に苦笑する。
「そう思いつめる必要はないのでは?」
「……いや、まあ、そうなんだけどさ」
達樹も彼女に合わせるように苦笑する。気取られてはいけないような気がして、必死に演技をする。
それから誤魔化すようにトイレへ入り、用を足した後手を洗うべく洗面台に。温水になっているようで、ぬるい水を手に浴びせつつなおも達樹は考える。
「……調べた方が、いいのか?」
一つ言えるのは、ここで何もしないという選択をしても達樹自身納得しないだろうということ。会話を聞いてしまった以上、達樹としては調べてみたいという欲求が膨らんでいた。
幸い、調べられる可能性はある――さすがに潜入するなんて大それたことはできないが。
いや、盗み聞きした情報からするとまともな手段では手に入らない情報なのだろうか。姉のことだって研究所は無下に公開したりはしないだろう。となれば――
「……さすがに、そんなことをしている暇はないか」
目先にある、舞桜のパートナーとなるための試験を思い出す。まずはここをクリアしなければならない。
加え、舞桜のパートナーとなるということは警察とも公的に繋がりを得るということ。今の状態だって下手に忍び込めば退学だってあり得るかもしれない上、そうした繋がりを得た状態で行動を起こせば、舞桜にも迷惑が掛かるだろう。さすがにそれは達樹の本意ではなかった。
「……あきらめるしか、ないか」
舞桜がどういう秘密を持っていたとしても、達樹は彼女に救われ、また共に戦いたいと考えた。それでいいだろうと達樹は思う。
「……よし」
達樹は一つ呟くとトイレを出る。菜々子が先に歩いており、達樹はそれに追いつくべく少し早足となった。
* * *
休憩を終え訓練場に戻って来た時、達樹の僅かな変化を手嶋は見逃さなかった。
「まず第一段階は成功ね」
小さく呟いた後、頭の中で算段を立てる。
まず興味を抱かせる――幸い達樹は手嶋がバラまいた情報に食いつく動機が存在する。とはいえ舞桜のパートナーとなるべく動く彼自身、自制する可能性は極めて高い。
「私がサポートしてあげるからね……西白達樹君」
笑みを浮かべる彼女。それと共に、達樹たちは訓練を開始した。




