訓練の成果
数日後、金曜日。達樹は昼休み前の授業が終わり、講堂の机に突っ伏していた。
「なんだ、ずいぶんお疲れじゃないか」
隣で受講していた優矢が話し掛ける。
達樹はゆっくりと上体を起こし、心なしか痛い腕を軽く振りながら、返答する。
「ああ。増幅器の練習を結構してるから」
「お、殊勝だな」
優矢は感心する風に言う。達樹は小さく肩をすくめると、立ち上がる。昼休みに入ってしまったため、周りに生徒はほとんどいなくなっていた。
二人は伴って講堂を出る。昼食はいつものようにカフェで取る、はずなのだが。
「うーん……」
達樹は財布の中身を見て唸った。正直、あまり散財――カフェで食事をするのが散財なのかわからないが――をしている場合でないかもしれない。
「どうした? 何か入用なのか?」
優矢が首を傾げ尋ねる。
「いや、もしかすると財布がピンチかもしれない」
「は? 何でそうなった?」
「いや、訓練利用料を調子こいて使ったから」
「利用料……? ああ、学校のじゃなくて民間の施設を使ったのか」
「当たり前だ。何で好き好んで魔法使いだらけの施設に行かなきゃならないんだ」
達樹は口を尖らせながら答えた。
学校で魔法訓練をする場合は、当たり前だが学校内施設であるため申請があればいつでも可能。だが、それ以外に市営の訓練所がある。
料金としてはなんということはない金額だが、達樹の場合は財布の中身がそもそも少ないにもかかわらず、増幅器の修練をひたすら続けた。結果、塵と積もれば山となる。使っていたのはほんの数日だが、連続で使用したため財布の中身は軽くなってしまった。
こんなことをしたのは理由がある。さすがに学園の生徒――魔法使いだらけの状況で増幅器の訓練などしたくなかった。それに、悪目立ちする可能性もある。そういうのを極力避けたいという思惑もあった。
「その苦労がいつか報われるのであれば、いいじゃないか」
優矢は事情を理解しにこやかに言う。対する達樹は暗い顔。
「その代わり絶望感が半端ないけどね……」
今更ながら後悔。増幅器が使えるとわかったため、色々試したくなり散財(というか、市営施設を使い倒すなどというのは、普通は散財とは言わない)し、結末がこれである。
さらに肩を落とす達樹に、優矢は苦笑した。
「だが、そこまで増幅器にのめり込むとは……お前はおもちゃを手に入れた子供か」
「うるさい」
悪態を付きつつも、否定できない自分がいる。さらに深いため息の後、仕方ないと思いつつ、優矢に告げる。
「じゃあ今日の昼はおにぎり一個だ。コンビニ行ってくる」
「ああ、カフェで待ってるぞ」
「何でいかなきゃいけないんだよ……」
そうは言うものの、一人でおにぎりを食べるのも辛いので、行くだろうなとは思った。
達樹はコンビニでおにぎり一個を購入しカフェに向かう。その一席にいる優矢を見つけた時、彼がパスタに口をつけず、一方向を凝視しているのがわかった。
彼の視線へ達樹は目を向けた後、すぐに戻してそちらへ近寄る。
「お待たせ」
「ん? ああ……」
優矢は声を掛けられて、我に返った様子。
「またご執心?」
達樹は尋ねた。
彼の視線の先にあったのはやはりというか、青薔薇の名を持つ立栄舞桜の姿だった。
「いや、彼女は相当な待遇だと思ってさ」
「え?」
達樹は聞き返し、改めて彼の視線の先に目をやる。
そこにはいつもとは異なる人物を従え歩く立栄の姿。親衛隊は彼女の後方に陣取り、追随している。
彼女の左右に男性がいた。年齢は共に四十代くらいだろうか。双方とも紺色のスーツ姿だが、片方は無地のネクタイに黒髪のキャリア風の男性。もう片方は柄の入ったネクタイに、茶髪だった。
「見覚えがあるな、両方」
優矢が呟く。達樹は彼へと視線を送った。
「え、本当か?」
「ああ。茶髪の方の名前は、確か数字の三に石と書いて、三石。あの人は九秋研究機関の重役だ。それと、もう片方は確か早朝の早にさんずいへんの河という漢字の早河という人で、警部だったはずだ」
「何でお前がそんなことを知っているんだ?」
解説よりそれを知っている事実の方が気に掛かり尋ねると、優矢は小さく肩をすくめる。
「そりゃあお前、二人が魔法使いで色々とこの学園に出入りしているからだよ。特に、早河という人はよく立栄さんと接している。事件絡みだろうな」
「そうか」
「お前が知らないのは、単位取るのに必死で周りを全然見ていないからだろう」
「……そうだな」
言いながら達樹は、再度彼らに目を向ける。
三石という人物がふいに足を止め、それに合わせ他の面々が立ち止まる。その場で一行は会話を始めた。口論ではなさそうだが、議論が白熱しているのか、手振り身振りを加えて話をしている。
「よし、達樹。盗み聞きしてみろ」
「は?」
優矢は突如要求した。達樹が面食らうと、彼はニヤリと口の端に笑みを浮かべる。
「訓練の一つだよ。魔力を耳に集中させれば聴覚を一時的に強化できる。腕とか足に魔力を集めれば、筋力が強化されたり速度が増したりするのと同じだ」
「それはわかるけど……何で盗み聞きなんだよ?」
「耳なら効果がすぐにわかるからだ。金欠になるくらい鍛錬した成果を確かめるのに、結果がすぐわかる方がいいだろう? それにお前の魔力は集中させないと、魔法使い相手には使い物にならない。その集中ができているかを一発で把握できるんだ。ほら、さっさとやれ」
理屈としては成り立っているが、そのやり方が盗み聞きというのがどうにも嫌だ。達樹は首を振ろうとしたが、優矢が急かすように視線を送る。
こうなればするまで急かし続けるな――そう思い、ため息混じりに了承した。
「わかったよ。で、どうすればいいんだ?」
「よし、目を瞑って魔力を耳に集めろ。で、意識を彼女達のところへ集中させろ」
言われるがまま達樹は目を綴じ、魔力を耳に集中させる。そして、彼女達が立っている場所へ意識を向ける。すると――
「確かに彼女の意見には一理あるな、早河殿」
男性の声が、しかと聞こえた。
早河、と呼び掛けているのでこちらは茶髪の三石と言う人物の声だろう。幾分高めの声で、どこか皮肉を含んでいるようにも感じられた。
「主張に関しての意見はない。私はあくまで彼女に現状を報告しに来ただけだ」
対するもう一人の男性。こちらが早河と言う人物の声だ。
三石よりも太い声で、緊張した雰囲気が感じられる。達樹は彼がしかめっ面をしているのを想像した。
次に、三石がやれやれといった調子で応じる。
「ずいぶんと、消極的だな」
「三石さん、あなたとはずいぶんと立場が違う。ここで話しても議論にならないだろう。協力には感謝するが、専門的な話となるとこちらもわからないからな」
話の内容はわからないが、彼らは彼女に仕事を依頼している人間なのかもしれない――そういう推測を立てる。
それから少しだけ間があり、今度は早河が口を開いた。
「まあいい……それで、立栄さん。こちらの状況としては以上だが、報告はあるか?」
「こちらは特にありません。今も捜索中ですし」
立栄が答える。早河は嘆息し、三石に呼び掛ける。
「何かヒントがあれば良いのだが……三石さん、探索する道具の作成はどうだ?」
「魔力が判別すれば可能ですが、何分私も触れたことの無い増幅器でして……」
達樹はそこで力の制御を止めた。意識的にやったのではなく、彼らの言葉に引っ掛かりを覚えたのが大きな理由だ。
目を開ける。正面には「終わったようだな」と呟く優矢。
けれどそれには反応せず、達樹は考え込む。
(九秋の重役に、増幅器絡みの話……いや、まさか)
今もポケットに入っているペンダントに意識を向ける。確か青井も九秋の人間であるため、一応繋がりはある。
(そういえば、昨日のあの女子学生もペンダントを探していたよな……)
思案しながらおにぎりをかじる。すると表情で何か疑問に思ったのか、優矢が声を上げた。
「どうした。何か面白い話でもしていたか?」
「いや、別に」
即答。しかしそれが逆に疑念を深めたようで、優矢の眉間が寄る。
「本当か?」
「本当に何もないって。単に仕事の話。しかも途中だったし、ちんぷんかんぷんだよ」
「そうか」
優矢が会話を切ると、達樹は話を増幅器に向ける。
「それで優矢。会話ははっきり聞こえたよ」
「ああ、どうやら上手くいったみたいだな。財布が宙に浮くくらい軽くした成果があったというわけだ」
「嫌な言い方だな……」
達樹は皮肉気に笑う優矢を見ながら、小さく呻いた。
「まあいいよ。それで、調子の方なんだけど大分操作は掴んできた。けどあくまで自主訓練の内だから、もっと魔法使いと戦わないとどこまでやれるか検証できない」
「他ならぬ友人の頼みなら引き受けてやってもいいのだが、あいにくこれから用事だ。今日は無理だぞ」
「いや、別に今日じゃなくてもいいよ。後日」
「わかった。空いている日があったら請け負う。それまで待て」
「了解」
達樹は承諾して話を終え――思考は先ほど盗み聞きした会話に向けられる。
同時に振り向く。彼女達は会話を終えたのか、歩き出しこちらへと進んでいた。
(もし警察や九秋がこれを探しているのだとしたら……どんな理由がある?)
視線を戻し考える。達樹自身、ペンダントについて何か知っているわけではない。だからこれ以上自答しても結論が導かれることは無い。
しかしそれでも、考えてしまう。
「じゃあ、俺はこれで」
その時、優矢が言った。彼は素早い動作で席を立ち、どこか含み笑いを見せつつ立ち去った。
「……何だ?」
少し気になる。どうしたのか――考えた所で、ポンと肩を叩かれた。
「え?」
反射的に振り向き――途端に硬直した。
目の前には、立栄の親衛隊達が並んでいた。
「あなたって確か、先日立栄さんと話をしていた方ですよね?」
不穏なプレッシャーを伴い、リーダー格の人物が尋ねる。
確か、サエグサという人物だったか――達樹は思い出しながら、その物々しさに黙って頷く。
「先ほど、あなたの耳の部分に魔力が集中していたようですが、よもや立栄さんの会話を盗み聞きしていたなんてこと、ないですよね?」
(……優矢の野郎、やりやがったな)
達樹は胸中で毒づいた。
心の中の優矢が「良い教訓になっただろう?」という言葉を返してくる。成程、無闇に力を行使すれば、魔力の集中でこういう事態に発展するわけだ。
「いや、単に訓練の一環で、物音を聞いていただけだよ」
「本当ですか?」
にこやかに問う彼女。しかし親衛隊を含め全員が殺気を放っている。達樹は思わず呻きつつも、ぎこちなく首を縦に振った。
「わかりました。以前目を掛けた立栄さんに免じて、今日は許しましょう。しかし、今後怪しい行動を見せればどうなるか……」
皆まで言わせず達樹は首をブンブンと縦に振る。親衛隊の皆様はそれで納得したのか、ゆっくりとした足取りで先を進む立栄を追い始めた。
「……死ぬかと思った」
止まりそうだった心臓を押さえつつ、達樹はゆっくりと息を吐いた。
そこに至り、ペンダントの件は遠く彼方へ消え去っていた。