それぞれの理由
空はすっかり闇に染まった時間、達樹たちはようやく解放されることとなった。
一応、彼らがやろうとしていたことを報告した結果――菜々子が家屋を破壊したという問題はあるのだが――舞桜を支持する人間が色々と動いてくれるとのことだったので、これ以上問題が降りかかることはなさそうだった。
そうした中達樹は止められなかったことを激しく後悔しつつ――やがて、迎えがやって来た。
「ご苦労だったな、西白達樹君」
「……日町さん?」
達樹は相手に驚く。以前の事件で関わった、舞桜の主治医である日町だった。相変わらず白衣姿で、ポケットに両手を突っ込みながらクールに語る。
「ああ、舞桜に頼まれ迎えに来させられたんだ」
舞桜に――達樹は日町の言葉にドキリとなる。
「え、えっと……彼女は?」
「怒髪天を衝く、といったところかな。現場に行って菜々子に会うと激昂するだろうからと、今回は代理として私が迎えに来た」
「……一応訊きますけど、俺も?」
「事情を訊きたいらしい。と言っても、君の方は念の為の確認といったところだろう」
「確認、ですか?」
「ああ。今回の事件にどこまで関わったのか」
――もし菜々子と同じような見解だと言ったなら雷が落とされるかもしれない、と達樹は思った。なので、菜々子が変な行動を起こさないよう見張っていたことにしようと決意する。
「ところで、菜々子はどうした?」
「あ、えっと……家屋を破壊したことにより厳重注意を受けています」
「彼女のことだ。懲りることはないと思うけどな」
「……強情さは、日町さんも理解されているわけですか」
「こういう事例は過去にあったからな」
日町はどこか遠い目をする。色々と思い出しているようだ。
「ただ、今回は実害が出ているからな……さすがの舞桜も怒りっぱなしだ」
「俺、行かなきゃいけません?」
「怖いのか? でも、連れて来て欲しいと言われたからな」
「いや、でも……ほら、寮に戻らないと」
「連絡は私の方からしているよ。心配するな」
退路は断たれている様子。そこで達樹もあきらめた。
「……わかりました」
「よし、菜々子の話が終わったら行くとしよう」
――そして、達樹たちは十五分経過した後、タクシーで移動することになった。
達樹は後部座席に座り、横にいる菜々子の顔を窺う。憮然とした表情が見えたが、自分のやったことを後悔している様子は無い。
(これ……どうなるんだ?)
限りない不安を抱きつつ、タクシーは無言の中舞桜の家に到着。日町が先に降り、達樹と菜々子は後に従う。
目の前には以前事件で関わった時お世話になった一軒家。達樹は入りたくない衝動を抑えつつ、日町や菜々子の後に続いて玄関をくぐった。
そして靴を脱ぎリビングへ入り――入口で、達樹の足は止まった。
「お帰り」
椅子に座りテーブルの上で手を組む舞桜がいた――のだが、眼光が怒りに満ちていた。
その対象は紛れもなく菜々子。しかし達樹は自分に向けられているような気がして戦々恐々となる。
「詳細は聞いたよ、菜々子」
「ええ」
対する菜々子は物ともせず頷いて見せる。
「私、言ったよね? 変なことはしないようにって」
「ええ」
菜々子は淡々と応じる。彼女を目の前にしても「間違っていない」と豪語するような雰囲気。
「今回だって、かなり無茶したよね?」
「そうだね。でも、あそこで解決しないと舞桜が――」
「いい加減にして!」
バン! と両手でテーブルを打ち、舞桜は叫び立ち上がった。
「何で私の言うことを聞けないの!? 私は必要ないって何度も言っているじゃない!」
「今回の事例は、かなり危なかった」
「そのくらいの分別は私だってつくよ! いい加減にしてよ!」
「舞桜」
ヒートアップする舞桜に対し、菜々子は感情の起伏もなく語った。
「この際言うけど、私は間違ったことをしているとは思わない」
――瞬間、舞桜の口が止まる。
「今回だって、かなり危なかった。あと、前の事件だって舞桜一人で解決することはできなかった。誰かのバックアップだって必要だよ」
「……だからって、菜々子が無茶していいわけないでしょ?」
舞桜は一度顔を伏せ、ゆっくりと息をつく。
「……私もこの際言うよ。菜々子、自分を犠牲にするのだけはやめて」
「犠牲って? 私はそんな風に思っては――」
「じゃあ何で陸上部を辞めたの?」
問い掛けに、今度は菜々子の口が止まった。
「私の仕事量が増えた瞬間、突然辞めたよね? どうして? 何で自分を犠牲にして――」
「高等部に入ったタイミングで辞めただけよ」
「嘘だよ! ずっと楽しくて仕方ないって言っていたじゃない!」
舞桜の声――悲痛な叫びに近いそれに、菜々子は押し黙った。
「確かに協力が必要なこともある……それは認めるよ。けど、菜々子が一人で突っ走るようなことは望んでないよ……」
語尾をやや小さくしつつ、舞桜は言う。達樹は二人のやり取りをじっと眺めていて、少なくとも互いが思い合っていることだけは理解できた。
「……言いたいことはそれだけ?」
けれど菜々子は、冷淡に返答する。声に舞桜は彼女を見返した。
「菜々子?」
「それじゃあ、帰るから」
「――菜々子!」
舞桜の声に構わず、菜々子は有無も言わさず出て行った。舞桜はそれを見送るしかなく――やがて、玄関扉の開閉する音が聞こえた。
「……私が、フォローしておくさ」
そこで日町が肩をすくめ舞桜へ言った。
「舞桜、菜々子は心配して行動しているだけだ。あまり怒らないでやって欲しい」
「それにしたって、家屋破壊はやり過ぎです」
舞桜は返答すると椅子に座り、今度は達樹を見据えた。
「……達樹、何か言いたいことはある?」
「あー、えっと……そうだな」
達樹は困った顔を向け、頭をかきながら話す。
「俺としてはもし危なくなれば止めるつもりだったんだけど……」
「無理だったと」
「ああ、駄目だった。無茶苦茶怖かった」
真っ正直なコメントに、舞桜はクスリと笑った。
「……達樹、一つだけ頼みがあるんだけど」
「菜々子のことを見守っていて欲しいとかだろ? で、場合によっては俺が連絡すると」
「そう……ん?」
と、唐突に舞桜は首を傾げた。
「どうした?」
反応に達樹は眉をひそめた。すると、
「……呼びつけ?」
日町から回答がやって来た。
「結構親しげだな、達樹君」
「え……あ、えっと、彼女がそう呼べと言ったわけで……」
「ほう、そうかそうか。そうか」
日町は興味ありげにずい、と達樹に近寄り、
「彼女と接してみてどうだった? 達樹君」
「日町さん……ずいぶん突っかかりますね」
「興味あるからな」
「最悪ですね」
「褒めないでくれよ」
「褒めてないです」
「まあ、その辺は置いておこうよ」
舞桜からの進言。達樹は「そうだな」と同意しつつ目を戻し、
なんだか複雑な表情をしている彼女に気付く。
「……舞桜?」
「ああ、ごめん」
と、舞桜は手を振りつつ言う。
「とりあえず今回みたいなことがあったら私に連絡して」
「ああ、わかったよ。俺だと止められないみたいだし、舞桜に――」
そう答えようとした時、達樹は閃いた。
「あ、そうだ。一つ手がある」
「手? 菜々子を抑える手段?」
「ああ……通用するかどうかわからないけど」
「話して」
一縷の望みを託すように舞桜は言う。達樹は小さく頷き、話し始めた。
「彼女はおそらく、情報が無いから自分で色々と行動していた。で、舞桜としては迷惑を掛けないように……そして警察にあまり関わらせないように黙っていた。そんな感じだろ?」
「うん、そう」
「じゃあ逆に情報を与えればいいんじゃないかな」
提案に、舞桜は首を傾げた。
「どういうこと?」
「現状、菜々子を阻むようなものは存在していない……けど仮に情報を与え、なおかつ警察から無茶はするなと厳命されれば指示に従うんじゃないかな。今回だって誰も止める人がいなかったから大事になったわけで……規則とか指示とかをきちんと守る人だし、逆に警察が介入した方が良いかもしれない」
「確かに、一理あるな」
達樹の意見に日町が同意した。
「舞桜は菜々子に負担を掛けさせたくなかったがために話していなかった……結果、今回の事態が発生。けれど逆に警察から指示すれば下手な動きは取らなくなるだろう」
「そう、なのかな」
一連の意見に舞桜はどこか不安げに呟く。
「私、警察に関わって欲しくなかったから遠ざけていたんだけど……」
「逆にそれが、今回みたいな行動を起こすきっかけになったんじゃないかな」
達樹が意見すると、舞桜はどこか悲しそうな顔をした。
「そっか……でも、それって全て私を思ってのことだよね? 菜々子には、私のことは忘れて色々とやってもらいたいのだけど……」
「そこは、無理だよ」
達樹は断定する。途端に舞桜は押し黙った。
「菜々子は現状、やりたくてやっているのは間違いない。何を言われてもそこだけは曲げないと思う」
「……だからこそ、警察とかの命令により上手く操作すると?」
「そういうこと。彼女にとっては嫌かもしれないけれど、今回みたいな事例を出さないためにはこうするしか」
「わかった」
舞桜は頷く。瞳の色は相変わらず悲しげなものだったが、一定の理解はした様子。
「それじゃあ、そういう風に段取りするよ」
「頼む……で、話は変わるけど」
達樹は日町を一瞥した後、舞桜へ質問をした。
「副会長達の処遇はどうするんだ?」
「色々と計を巡らせていたのは間違いないから、事情を訊いて監視することになると思う」
「そっか」
お咎めなしで幸いだと達樹は思った。あんな会話を繰り広げていた以上、野放しにしておくのはまずい。
「どちらにせよ、これ以上大きな問題になることはないよ。副会長達に事情を訊けば接触していた研究員なんかもすぐにわかるはず。だから警察が相手を速やかに見つけ――」
舞桜が続けて言った時、携帯の着信音が鳴り響いた。
「お、私だ」
日町だった。すぐさまポケットから携帯電話を手に取りリビングを出た。
「事後報告でしょうね。会話が終わるまで待ちましょう」
「……何?」
舞桜が言った時、廊下から日町の驚愕に近い声が聞こえた。
(ん、何かあるのか……?)
達樹は声音に嫌な予感がしつつ――電話を終えるのをじっと待つことにした。




