とある事件と、落第寸前の彼
「なあ、別にいいじゃねえか。付き合ってくれてもよぉ」
そんな紋切り型のセリフが聞こえてくるのは、繁華街にあるとある路地。不良っぽい男性三人が、藍色を基調とする制服姿の女子を囲み、誘っていた。
「元はと言えば、そっちが話し掛けて来たんだろ? 俺達も色々と君を知りたいと思ってるんだぜ?」
一人の男が、鼻息を荒くしながら告げる。女性を男達が囲んでいるという、誰か助けに来てもよさそうなシチュエーション。だが、通りを歩く人が気付いても、がっちりとした体格と長身に恐れを成したか、見て見ぬフリをする有様だった。
そして、一方の女子は無言を貫いていた。彼女は清楚かつ可憐で、眉目秀麗という言葉が非常に似合う気品溢れた容姿。凛々しくもあるが、どことなく儚さも同居させる彼女は、路地で囲まれながらも肩までかかる黒い髪を揺らし、三人を見据えている。
恐怖や警戒を抱いている雰囲気は無い。決然と、男達を観察している。
「なんなら、俺達がこの街のことをもっとよく教えてやるよ。結構知らないことも多いだろうしな」
下卑た笑みを向けながら、男は告げる。彼女は三人の顔を順々に確認し、口を開こうとする――
「……ん?」
その時、たまたま通りがかった制服姿の男子が、彼らを見咎め足を止めた。同時に男の一人が視線を察したのか、学生へと振り向く。
「なんだ? 何か用か?」
一人の男が問う。男子は黒髪で至極標準的な体格の、取りたてて特徴の無い人物。
だが男達は彼の制服――左襟ついている翡翠色のバッジに目を付け、声を上げた。
「ああ、何だ。お前魔法学科所属の生徒なのか。俺達を見るに見かねて、彼女を助けようとしてんのか?」
男は女子を指差しながら、問う。男子学生は囲まれる女子を見て――同じ学校の生徒であると認識する。
「だが魔法の使用は厳しく制限されているらしいよな? もし使ったら罰則。あまりに酷いと退学、だったっけか?」
男が笑いながら彼に告げると、右腕をかざした。手のひらで風が僅かに舞うのを、男子生徒はしかと見た。男はどうやら、魔法が使えるらしい。
「やる気なら、相手になるぜ?」
男が笑みを浮かべる。対する彼が何か言葉を発しようとして――
「――公共の場における魔法の使用は、正当性がない限り認められていません」
女子学生が声を発する。
男達は彼女へ視線を向けた――直後、彼女を中心に突如路地全体が発光し、男子学生の視界を完全に白くした。
「っ!」
彼が反射的に目を塞ぐと、さらに爆発音にも似た轟音が周囲に響き渡った。加えて爆風すら飛来してくる。一瞬の突風は彼の体のバランスを崩し、地面に尻もちをつくほどだった。
「痛……っ! な、何だ……?」
男子学生が目を開き、呟く。路地は煙に包まれており、何も見えなくなっていた。周囲の人も音に気付いて、路地を注視し始める。
そんな中、女子生徒を囲っていた不良の男二人が煙の中から出てきた。みっともない悲鳴を上げ、我先にと逃げていく。男性学生がそれを見送り視線を戻した時、煙の中から女子学生が現れた。
「すいません。どうやら巻き込んでしまったようで」
彼女は凛とした、それでいて優しい声音で、彼に近づきながら告げた。尻もちをついたままの彼は、ただ頷くだけしかできない。
その時、彼女は制服のポケットから何かを取り出し、襟に付けた。それは彼と同じ翡翠色のバッジ。だが彼女のバッジは金縁が施されていた。彼はそれがどういう意味なのかを理解した時――無意識に呻いていた。
「怪我は、ないですか?」
そんな彼に構わず、彼女が微笑みながら尋ねる。そこで彼は慌てて自分の状態を確認した。鞄は衝撃により、少し離れた所に放り出されている。
次に体を確認する。一ヶ所だけ痛みを覚えた。見ると右の手のひらに切り傷のようなものができていた。尻餅をついた拍子に地面に触れ、切ってしまったのだと悟る。
それに彼女は気付いた。近寄り、彼女の両手が怪我した手を包む。
彼が声を上げる間もなく右手に光が集まり、ほんの数秒で消え失せた。彼女が手を離すと同時に確認する。傷が完全に塞がっていた。
「申し訳ありませんでした。それではこれで」
彼女は再度笑みを浮かべ告げると、周囲にいる人々に何やら説明をした後、颯爽とその場を去って行った。彼は呆然としたまま彼女の後姿と、自分の掌を交互に見比べる。夢でも見ていたような心境だった。
次に彼は、視線を先ほどの路地に向けた。既に煙は晴れはっきりと見える。そこには不良の一人が気絶し、壁にもたれかかっている姿があった――
――と、最近遭遇した出来事を話し終えた時、友人の第一声はこうだった。
「何て典型的なんだ」
「うるさい」
そんな友人に、説明を終えた彼は悪態を付いた。
場所は通りの一角にあるオープンカフェ。レンガで舗装された目抜き通りにあるその店は、昼休みのため同じ制服姿の生徒でテーブルが全て埋まっている。その中で彼らは二人掛けの丸テーブルを陣取り、食事を終えていた。
事のいきさつを話した人物は、見た目も中身もごくごく普通の青年。ほんの少しだけくせっ毛のある黒髪以外は、凡庸な顔つきと体格の人物。
対するもう一方の人物――彼の友人は、茶髪にロン毛とナンパでもしてそうな風貌をしている。その格好で藍色の制服にネクタイ姿。
彼は似合っていないな、といつも思う。いつか頭髪検査でもあって丸刈りにでもされてしまえと思ったりしているのだが、自由な校風が特徴的なこの学園では、特に咎められてはいない。
「だがそれ以外の感想は出せないぞ」
友人が言う。彼は即座にため息つき、相手に告げる。
「あのさ、言っておくけど俺は事件に巻き込まれたんだぞ? もうちょっと何か無いのか?」
「無いな……いや、一つだけある。俺としてはお前が羨ましい」
問いに友人はそう答える。ややオーバーリアクション気味に、手ぶりを交えて話をする。
「そういう形でも、彼女と関われるなんて」
「怪我したんだが」
「いやいや、それがきっかけで彼女に笑顔を向けられ、あまつさえ手まで握られる――この野郎! ぶっ飛ばしてやろうか!」
「ええいっ! 落ち着け!」
いきなり叫びテーブル越しに胸ぐらを掴む友人を、彼は制する。
友人は即座にはっとなり、姿勢を正した。
「――はっ! すまん、つい」
「ついって……」
彼は嘆息しつつ相手を見据える。友人は一つ咳払いをした後、彼に言った。
「で、西白達樹君……かの方の手の感触はどうだった? 暖かかったか? それとも、結構冷たかったのか?」
「変態っぽいぞ……お前」
彼――西白達樹は若干引き気味になりつつも、友人に語る。
「大体な、彼女はあくまで俺を巻き込んだためそういう行動に出ただけだ。現場を立ち去る時だって、辺りの人に事情を説明して、速やかに立ち去った。だから仕事であるのは間違いない……俺への笑顔だって、ただの営業スマイルでしかないよ」
「笑顔は笑顔じゃないか。その笑顔を向けられることすら、この学園では類を見ない出来事だとは思わないか? 達樹?」
「知らないよ……」
友人の態度に辟易しながら、達樹は答えた。
目の前にいる友人は、北海優矢という。外見通り少しお調子者で、なおかつ現在話題にあがる人物の熱烈なファンでもある。
「それにさ、優矢。お前ならまだしも俺と何か関わりがあるなんて、絶対にあり得ない。俺は成績不振で留年寸前。さらに実技がからっきしの、魔法学科の人間なんだぞ」
「案外、そういう人間の方が出会うきっかけがあったりするかもしれないぞ?」
「そうかぁ……? そうは思えないけどな」
達樹は疑わしげに、肩をすくめた。
「第一、俺が彼女と関わるきっかけなんて、何があるんだよ? 住む世界が違いすぎる」
「住む世界か……確かに魔法学科で成績トップ。さらに実技においても上級生を差し置いてトップクラス。さらにさらに月一の実技試験であらゆる属性を使いこなす七色の魔法使い。おまけに警察から正式依頼を請ける人間とあっては、関わったが最後みたいに思えるな」
「……何でそんなに詳しいんだよ、お前」
達樹は改めて友人である優矢の言動に引きながらも、話をする。
「まあいいや……とにかく俺なんかが彼女の事件に関わって、命があると思えない。それに――」
言いながら、視線を変えた。
大通りの先には、達樹や優矢が通う学び舎がある。中高一貫であり、なおかつ変わった制度を持つ巨大な学園。名称は『光陣学園』という、多くの企業や研究機関と繋がりのある、魔法学園。
「――相手はあの『青薔薇』だぞ? 高嶺の花なんてレベルじゃない。俺なんかが関わったら、周りの親衛隊に瞬殺だ」
「違いないな」
達樹の言葉に、優矢は笑みを浮かべて同意した。達樹は納得した友人を見て小さくため息をついた。
――魔法という言葉は、物語や空想の中での話であり、これまで現実に起こるはずの無い世界だと考えられていた。だが、現代になり科学はそうした世界にまで侵食し始める。魔法という概念が科学的に生まれ、それが広く知れ渡り、一般人でも魔法という存在が浸透し、魔法は日常の一部と化した。
だが魔法を使うためには、必要なものがあった。それは『才能』であり、その中で最たるものとして、生まれつき体の中に溜め込むことのできる『魔力』が、生まれた時から決められていた。その才能や魔力こそ、魔法が公的に認知された今でも、多くの人が魔法を手にできなかった理由である。
達樹がいるこの学園――そして学園のある光陣市は、魔法の研究を発展させるために生み出された場所。さらにはこの街全体が大きな研究機関を形成しており、日夜魔法の研究がなされている。
(最初は、意気揚々とこの学園に来たんだけどな……)
達樹は心の中で愚痴を零す。
光陣学園には魔法を行使する人間――魔法使いのみが入学を許される魔法学科が存在している。学科の中には達樹が遭遇した『青薔薇』と呼ばれる人物のように、学生の身でありながら警察と仕事をする程の才覚を持った人も確かにいる。だが反面、達樹のような才能の無い人間も少なからずいる。
現在は、魔力をどれだけ保有できるかの検査を生まれた時に行っている。達樹の判定はギリギリ『可』であった。そのため小さい頃から種火を起こす程度の魔法ならば、少し教えられた程度でもできた。だから彼はこの学校に来て、魔法使いになることを望んだ。けれど結果は二流以下で、実技もロクにできないレベルであった。
「いい加減、見切りをつけたらどうだ? と悪友は薦めてみるが」
優矢が声を発した。二人の目の前には食後の飲み物が置かれている。優矢の目の前にはホットコーヒー。達樹の前には冷たいウーロン茶。
「確かに、潮時かなぁ」
どこかあきらめを含んだ声で、達樹は応じた。彼は実技における自分の成績を勘案してみた。そこには才能が必要であると、残酷なほど認識させられる。
魔力を保有できる能力に加え、魔法を使うにも才能が必要だった。そこも決定的に足らない達樹は、学科内で落ちこぼれだった。
達樹がこの学園に入学して半年近く。衣替えが終わった十月始まりにおいて、才覚の無い人間は達樹以外全員学科を離れていた。
もし才能が足りないとされるならば、学園は別の学科へ転入する制度を設けている。それを使えば、学園に在籍し続けることだけは可能だが――
「おい、ずいぶんと弱気になっているな」
優矢が言う。達樹は自嘲的に笑い、ウーロン茶を一口飲んだ。
ちなみに優矢は、実技の成績は真ん中くらい。魔法学科の人間にとっては平均クラスだが、達樹にとっては羨むほどの才能だった。
「まあだが仕方ないか……達樹、九月末の実技試験の時に先生に言い渡されたんだろ?」
「ああ。このまま行けば十月末か、十一月末で落第点だってさ」
「ここらで決断する必要があるわけだ。どうする気だ?」
友人の問いに達樹は黙りこくった。正直な所あきらめたくはなかった。だが、自分の力ではどうすることもできない才能と言う壁――それこそ断崖絶壁が、立ちはだかっている。
「まあ次の試験まであと一ヶ月ある。その間に対策を考えても……」
達樹が答えた時、優矢の視線が彼の奥を捉えた。
目線に気付いた達樹は振り返る。そこには多くの女子に囲まれ歩く、一人の女子の姿が。
「噂をすれば、という奴かな?」
優矢が呟く。達樹は頭をかきながら小さく頷いた。
女子の中心にいる人物は、達樹にも見覚えがあった。以前の関わった当該の女性――学園内で『青薔薇』と呼ばれている、立栄舞桜だ。凛々しい表情と共に背筋を伸ばし歩く様は、否が応でも人目を引く。
さらに歩くだけで伝わってくる気品や可憐さ――これが彼女本来の魅力なのか、それとも取り巻いている魔力のせい(強い魔力は、周囲にも影響を及ぼす)なのか達樹には判別つかなかったが、少なくとも彼女が多大なカリスマ性を身に着けている点だけは間違いない。
そして彼女の異名である『青薔薇』――それは髪に由来する。肩に掛かる程度に伸ばされた黒髪は、異様なまでに色が際立っている。それが原因で彼女の髪は、太陽に当たると青く輝いて見える。それが青という名称の由来であり、薔薇は彼女の雰囲気と敷居の高さから、触れれば棘が刺さると誰かが言い出したため、呼ばれるようになった。
「名前が桜なのに、薔薇とはこれいかに」
冗談交じりに達樹は呟いた。すると、優矢が反応を示す。
「おい、達樹……いくら冗談でも、悪口は潰すぞ?」
「わかったから、すごんだ笑みを見せるな」
達樹は優矢が彼女を信奉しているのを改めて思い出し、返答した。
彼女達は達樹たちへ向かって歩いている。やがて大通りにいた学生達が目を留め始める。そして彼女の取り巻きをしている女子たちは、妖しい動きをしていないか逐一チェックする。
その様子を見て達樹は気付かれないよう苦笑し、優矢に言葉を向ける。
「そういえば、優矢。立栄さんと話したこととかないのか?」
「あるわけないだろ。親衛隊がそれを阻むからな」
なるほどと、達樹は思った。
彼女がああやって多くの人間を従えるようになったのは、中学からだと優矢から聞いている。彼女が中学生の時に国から認可され、魔法を行使できるようになった話は、耳にタコができるくらい聞かされた。
――法律上、公共の場において魔法の使用は基本禁止されている。正当防衛として認められる場合もあるが――それはあくまで騒動に巻き込まれた時などの例外的なケースだ。
強大な火力を持つ魔法の特性上仕方のない話。しかし例外的に国から認可されれば事件解決に協力する等、超法規的に魔法が使用できるケースもある。
彼女はその一例であり、さらに中学生時代――これは学園始まって以来の快挙らしいのだが――で認可が下りた。その時は教師等も総出で称えたらしく、さらに彼女を取り巻く親衛隊もできたわけだ。
達樹は視線を一行に向ける。その時ふいに、立栄本人と目が合った。達樹は反射的に視線を逸らそうとしたが――彼女は何かに気付いたのか、目を瞬かせた。
「……どうしましたか?」
親衛隊の一人が、立栄に声を掛ける。他の面々は、立栄が向けていた視線の先にいる、達樹と優矢を捉えた。
彼女たちから一斉に視線を受けた二人は、思わず身をすくませる。
「達樹、お前何をしたんだ?」
「は? 俺は何もしてないぞ?」
会話をしている間に、親衛隊の一人がこちらに来る。
それはリーダー格の人間らしく、長身で綺麗に髪を結い上げたお嬢様のような人物。彼女の視線はひどく冷たく、詰問しに来るのだとはっきり理解できた。
「あ、待って。サエグサさん」
すると、助け舟は立栄本人から来た。呼ばれた女性――サエグサという名の彼女が、振り返る。
「単に見覚えのる方だと思っただけですから」
「見覚え?」
「はい、先日ちょっと事件に巻き込んでしまいまして。怪我をさせてしまったんです」
(へえ……覚えていたのか)
達樹は少なからず驚いた。夜の繁華街で顔もロクに見えなかったはずだし、何より一瞬の出来事だった。まさか憶えているとは思わなかった。
彼女の言葉によって、達樹はこの場を取り繕う術を思いつく――途端、立栄に向かって立ち上がり、頭を下げた。
「その節はありがとうございました」
達樹の言葉により、立栄は小さく頷いた。
「こちらこそ、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
彼女は謝罪し、颯爽とその場を立ち去る。
そして取り巻きの女子は、達樹に一瞥しただけで渋々引き下がり、彼女の後を追い始めた。