彼女のために
「あなたは全て証拠を隠し、自分の力でねじ伏せられると、考えておいでのようです」
「そうだな。ここで痛い目に合う可能性は十二分にあるが、君達の罪を増やすだけになるだろうから、薦めはしない」
「……そうですか」
舞桜は抑揚の無い相槌を返し、手を軽く振った。
直後、達樹の正面に風が生まれ、その中に一つの映像のようなものが映し出される。魔力を用いた投影機のようなもの――達樹が理解すると、声が聞こえた。
『さて、まずは褒めないといけないな――青井を追っていた騎士が潰されたことを知った時、驚愕したよ。やれやれ、つくづく予定が狂わされる』
先ほど話した三石の声が、映像と共に再生される。そこで初めて――三石の顔にヒビが入った。
「風の魔法しか使えないと油断しましたね。私が状況によって使えなくなるのは、攻撃系の魔法――このように記録する魔法は、全くの別です。そしてあなたは、この映像が大きな証拠となるのは、理解できますね?」
「――貴様!」
予想外の事態に、三石が憤怒した。
「達樹」
そこで、彼女が小声で呟く。
「おそらく、怒りに任せ突撃を敢行する。その一本調子の動きが、唯一の勝機――」
――途端に達樹は理解する。本来ならば記録を教えたりせず、三石を無視し逃げ出せばよかった。しかし、彼女は眼前にいる強化騎士を危惧した。相手が様々な状況を見越しているならば、逃げる場合も何らかの対応策を立てているはず――だが、三石が怒り単調な指示を示せば、隙をついてこちらが倒せる可能性が高まる。
彼女の意図を読み、達樹は瞬間的に四肢へ魔力を流した。彼女の策に応じるため――その感情が、重騎士の槍を折り盾を砕いた白い光を全身に生み出した。
自分の魔力から、これが短時間しか保たない事はわかっていた。しかし、その力が今は必要だった。彼女を――守るために。
三石が何かを叫んだ。二人を殺すため騎士への命令――言葉によって強化騎士が走る。
間合いを詰め、握る剣で一閃する。達樹にとってその速度は、体感的に舞桜との戦闘で見せた、あの驚異的な速度に匹敵していた。
しかし達樹は身を捻り、その一撃を――避けた。斜め左から振り下ろされた一撃を紙一重、髪を一房斬っただけで済む。
そして達樹は全身に力を込めた。自分の四肢が発光しているのを自覚しながら、足を踏み出した。その一歩は、強化騎士が次の動きを示すよりも、僅かに速かった。
「――はあああああっ!」
絶叫し、力の限り拳を強化騎士の胸部に叩きつける。白い光が体に当たると吸い込まれ、白が黒を染めながら、衝撃で吹き飛ばす。
その最中達樹は見た。胸部はしっかりと砕け、手先から消滅していく強化騎士の姿が。
刹那、達樹の魔力が収まる。強化騎士は三石の横を通り過ぎると壁に激突し、その後完全に消滅した。
後方を見る。そこには数だけの騎士をものともせず、等しく風によって切り裂き滅していく舞桜の姿があった。
「……さすが、だな」
声と共に彼女は振り返る。そして達樹に小さな笑みを見せた後、三石へ向き直った。
彼女の視線の先には、立ちすくむ三石の姿。
「終わりです」
冷酷な舞桜の言葉。立場は完全に逆転した。
彼女の持つ記録を示せば、彼が失墜するのは火を見るより明らか。最早彼に打つ術は無い――達樹は勝利を確信したが、彼は弾かれたように身を翻した。
即座に舞桜が風を放つ。しかし、彼はその一撃を受けても倒れず、無理やり後方にあるガラス張りの扉をくぐり、閉める。
「くっ!」
舞桜はすかさず風の刃を放つ。その一撃は確実に扉だけを破壊するが――遅かった。彼はなぜかその室内にある研究器具を、破壊し始める。
「まだ、決まったわけではない――まだ、私が破滅するとは決まっていない!」
狂気すら感じさせる声で、彼は一心不乱に器具を破壊する。
舞桜は風の力を使って一気に扉へ近寄ると、中にいる三石へ風を放った。
「ぐあっ!」
三石が倒れ伏す。達樹は遅れて部屋へ近寄り、中を見る。フラスコやビーカーが破壊され、気色悪い色の液体がぶちまけられていた。
「何をしたの?」
「ふふ……ふふ……」
舞桜の問いに、彼は天井を見上げ笑みを浮かべた。その姿は、既に正気を感じられない。
「さあ……我が僕よ。力ある物を取り込み、全てを、破壊しろ――」
言葉と共に、床にぶちまけられた液体が全て黒く染まった。達樹と舞桜は小さく呻くと、慌てて引き下がる。黒い存在はさらに侵食を始め、部屋全体を覆い始める。
「なんだよ、これ……!」
「開発中の騎士を無理やり目覚めさせたということ――!?」
舞桜が驚愕しながら呟いた直後、部屋の端のある一角に黒い塊が触れる。
その場所は、後方にある物とは別に増幅器が固まって存在している場所であり――触れた瞬間魔力がいきなり膨れた。それも、達樹が身震いするほど、急速に。
「な――!?」
「まずい――!」
舞桜が何かを察したか、達樹の隣へ来る。黒い塊は増幅器を包みこみ、そして――突如黒い渦となって二人へ襲い掛かる。
「――っ!」
達樹が驚愕する間に、舞桜が動く。達樹の手を引っ張りながら術を行使し、一気に移動する。窓側に到達すると、彼女は素早く窓を開けた。
「外に出る!」
「わ、わかった!」
風の術により空中浮遊し、部屋を出た。
その間にも闇は部屋を侵食し続け、増幅器の塊があった場所に到達する。その直後、またもや魔力が膨らむ。
遠目になったその光景を、達樹は絶句し眺め始めた――
舞桜の術により部屋のあった高さで空中浮遊しながら、達樹は呟く。
「あの増幅器を全部取り込んで、騎士が生まれるのか……?」
「ペンダントが無くても、無茶苦茶な存在ができるだろうね……」
舞桜が答えると、達樹はふと下を見た。異変に気付いた研究員達が、外に出て施設を見上げている。幸い空は暗く異変に目を向けているため、二人には気付いていない様子。
「さて、どうしようか……」
舞桜が呟くと、さらに変化が起こる。黒い渦が部屋を縦横無尽に駆け巡り、何かしら形を成そうとしていた。しかも黒はどんどんと膨張し、やがて建物に亀裂を入れ始める。
達樹がその光景に呻いた時、闇が上階を突き抜けた。建物を破砕する音と共に、闇の一部が屋上へ到達する。
「上の階は真っ暗だから、人がいないことが唯一の救いかな――」
舞桜が零す間に、なおも闇は膨張を続け――激変する存在に、達樹は彼女へ尋ねた。
「舞桜、あれを倒すことはできないのか?」
「今仕掛けるのはかなり危険だよ。あれだけ荒れ狂っている以上、魔力ある物を無理やり取り込もうとするだろうし……それに、まだ明確な核が定まっていない。倒せるとしたら、もっとはっきりとした形に成らないと――」
彼女がそこまで言った時、轟音が夜の闇に響いた。亀裂の入った建物を大きく突き破り、闇の大半が空へと延びる。それがやがて収束し始め、人間の形へと変化していく。
「巨人、か――」
達樹はそう評する。建物を突き破り屋上へと体を伸ばす漆黒の巨人。見た目だけで、あらゆる存在を畏怖させる。
巨人はさらに成長を続け、十階の研究施設の半分に匹敵する大きさを、屋上に現す。
「大怪獣映画、みたいだな……」
夢見心地で達樹は呟いた。対する舞桜は無言のまま巨人を見つめる。下では研究員が避難に入り、建物の外へ逃げ出していた。
「……達樹」
やがて舞桜が声を発する。達樹には彼女が何を言うか予想がついていた。
「屋上で佇んでいる今倒すしか、犠牲者をゼロに抑えるには方法はない」
「ああ、そうだな」
「ペンダントの力を使っていないから、私の術を封じる能力は無いと思う。けど、あの巨体の動きを止める風を維持するには、継続して魔法を使い続ける必要があるし……何より魔法を維持し続けることだけで手一杯になる」
「そうか……そして、他の騎士と同じく胸部を打てば倒せる、だろ?」
「うん。あれだけ大きいから、魔力の核も見える。それは間違いなく胸部……だからこそ、達樹の力がいる。あの強化された騎士を倒せた、達樹の力が」
必要とされている事実に、達樹は僅かに身震いした。さらに体には緊張が走る。
けれどそれを無理やり抑え、頷いた。
「わかった。指示に従うよ」
「……お願い」
舞桜はそこで風を操作し、巨人へ急行する。
少しして二人が降り立った場所は研究施設の屋上。真正面に巨人を見据え、二人は構える。
巨人もまた魔力に反応したか達樹たちに気付く。そして建物を破壊しながら、屋上へ片足を上げた。
それはほんの一歩。しかし、建物が軋むような音と衝撃が生まれる。
「あまり衝撃も、与えない方がいいみたい」
舞桜は言うと、両手を大きく広げた。
「ここで、終わらせる――!」
巨人と二人の間を円の中心として、旋風が吹き始める。
それは達樹にもわかる程強力な魔力を放ち、瞠目させる。巨人もまた反応したか、手を伸ばし風に触れようと動き――触れた先から風に切り裂かれ指が消失する。
だが巨人が指を離すと、瞬く間に再生される。それを見て、舞桜が言った。
「増幅器の効果がまだ続いている。今も膨張を続けているみたい」
達樹は巨人を見た。確かに彼女の言う通り、見上げるその巨体が少しずつ大きくなっている。
巨人は二人を見ているのか頭部を下に向け――右腕を伸ばした。同時に達樹が身構え、さらに舞桜が右手をかざす。
直後、彼女の右手から暴風とも呼べる風と共に、全てを切り裂く風の刃が放たれた。それは巨人の腕に直撃すると、指を削り取る。
「駄目――やっぱり威力が落ちている」
成果は出たが、舞桜が息をつきながら呟く――そこで達樹は声を上げた。
「落ちているって、もう巨人を倒せる魔法を使えないってことか?」
「違うの。この風の結界を維持に集中しながら、強力な術が使えない。さすがに複数の魔法を集中して使うのは、私もまだ足らないみたい」
彼女は嘆くように応じると、巨人を見上げた。
対する巨人は腕を引き、指が即座に再生する。そして、なおも膨張を続ける。
「達樹、勝負はさっきと一緒で一瞬」
相手を見ながら彼女が言う。達樹はゆっくりと頷いた。
「私が今使える、最大レベルの術を放つ。それで相手の動きを止めるから、達樹の攻撃で、胸部を攻撃して」
「わかった」
達樹は承諾と共に魔力を集中させ始めた。
自信は全くなかった。増幅器頼りの自分の技が、目の前の巨体に通用するかどうかなんて、まったくわからない。だが、今は先ほど強化騎士を倒した力と、彼女の指示を信じるしかない。
「……行くよ!」
彼女が声を発し――巨人が再度腕を向けてきたのは同時だった。
巨人の腕は、先ほどとは異なり、二人へ振り下ろす一撃――対する舞桜は再度右手を向け、手先から魔力が溢れた。
風が、先ほどとは異なり断続的な刃を生み出し、腕の先から消し飛ばし、さらに体まで襲い掛かる。このまま胸部まで突き通すのではないか――そう達樹が思った直後、刃が胸部に触れると、今度は魔法が負けて風がかき消える。
(あのポイントだけ、重点的に強化されているということか――!)
達樹は悟りながら、右手に魔力を集中させ、白い光を生み出す。それが形を成し一筋の光を生み出すと、思いっきり振りかぶり、
「いけぇ――!」
叫び、胸部へ放った。
光は阻むものなく巨人へ突き進み、胸部の中心を貫いた。光は弾け、その一撃は胸部を見事に貫通し、破壊する。
「やった――!」
達樹が感嘆の声を上げ――直後、巨人は咆哮を上げた。耳が引きつり、達樹と舞桜は顔をしかめる。
その間に、巨人の胸部が急速に再生していく。
「再生した!?」
「――違う」
達樹が驚愕すると同時に、舞桜が何かに気付いた。
「達樹の一撃より、取り込んだ増幅器の再生能力の方が強い……!」
舞桜が驚愕の言葉を告げた瞬間、巨人が両腕を振り上げ、頭の上で両の拳を合わせる。
達樹は即座に理解した。振り下ろす気だ――
「達樹!」
舞桜が叫ぶ。その直後、彼女の右手に魔力が凝縮し始める。
「攻撃をもう一度! そして、それが通用しなかったら――」
彼女が叫んだと同時、巨人の腕に魔力が集まり始める。
達樹の背筋が凍る。その一撃は屋上どころか、この建物全てを巻き込み破壊するくらいの強力な一撃だと理解する。もし拳が振り下ろされれば、自分達の命は無い――
悟りながら、達樹は舞桜の言葉を察した。もし通用しなかったら――退いて欲しい。そう、彼女は言っているに違いない。
瞬間、達樹は魔力を集め始める。先ほどよりも、さらに強く。
「風よ、お願い――!」
舞桜が祈るように声を上げた瞬間、巨人の拳が振り下ろされる。それ目掛け彼女は風を放った。傍に入る達樹が吹き飛ばされそうなほどの暴風が放たれ――拳に直撃すると、動きを鈍らせる。
「くうっ――!」
呻く彼女に対し、拳がゆっくりと迫る。もし彼女の魔法が発動を終えてしまったら、自分達は巨人に殺される。それはとりもなおさず、暴走する巨人を解き放つことになる。
「達樹……!」
そこへ、舞桜が達樹へ顔を向け言葉を発した。
早く――最初は、そう言ってると思った。だが違った。彼女の表情は、達樹を案じるような、それでいて悲しそうな色を見せていた。叶う事なら逃げて――そう語っているのだと、達樹は確信する。
刹那、達樹の中に怒りに近い感情が湧きあがる。時間の流れが遅くなり、悲痛な顔で達樹を見つめる舞桜へ、奥歯を噛み締める。
(なぜだ……なぜそんな目で、俺を見るんだ)
胸中で呟きながらも、達樹にはわかっていた。
終わりが近い事を予感させる表情。達樹は彼女が自分を犠牲にしても、近しい人を傷つけたくないという思いが、伝わってくる。
串刺しになった時の彼女の顔を思い出す。悲しさしかなかった彼女の表情を。
(俺は――)
次の瞬間、右腕が焼けるように熱くなった。それが魔力によるものだと悟った瞬間、時間の流れが正常になる。巨人の腕が静かに近づき、今にも叩きつけられそうになる。
「俺は――!」
声に出して、あらんかぎりの力で右手を振りかぶる。白い光が凝縮し、それでいて右腕全体が完全に光によって包まれる。
爆発的な力の上昇が、巨人の腕を僅かに止めた。その隙を、達樹は見逃さなかった。
「これで――終わりだ!」
叫び、全力で右腕に込めた光を――巨大な槍のような光を、投げた。
巨人が即座に回避しようと腕を引き戻そうとする。だが、達樹の槍が瞬時に大気を駆け抜け、巨人の胸に直撃した。
ゴアッ――! 空気を震わせる重低音が、周囲に鼓膜に響く。巨人の胸部が光に包まれ、やがてそれが胸部全体を吹き飛ばす。
巨人は最初大きく体を震わせた。そして胸部が再生しようと闇が生まれ――それは一瞬で動きが止まり、闇が剥がれはじめ力を失くし、ゆっくりと消滅していく。
「やっ、た……」
舞桜が、消えていく巨人を見ながら呟く。達樹はしばし巨人が消える光景を眺めた後、舞桜へと向き直る。
「舞桜……」
「……何?」
「俺は……」
歩こうとして、達樹は足に力が入らないことを悟る。あまりに強力な一撃は、達樹の体力をゼロにしてしまう程に、魔力を吸い上げたらしかった。
「俺は……頼りないかもしれないけど……一応、舞桜の騎士のつもりだよ。期間限定だけど……」
最後の最後まで締まらないなと思いながらも、続ける。
「だから舞桜の指示には従う……けど、俺にも舞桜のことを守らせて欲しい……だから、そんな悲しい顔をしないでくれ――」
そこまで言った時、達樹の体が揺れ前のめりになって倒れそうになる。
これは顔面直撃コースだなと悟った時、いきなり真正面から抱きとめられた。
「え――」
舞桜が、達樹を支えた。彼女の体温が直にに伝わってくる。
「……ごめん」
彼女は謝った。なんで――口を開こうとした時、新たな言葉が彼女の口から漏れた。
「ありがとう……達樹」
抱きとめられたまま、彼女が言う。その時ほんの少しだけ、彼女の肩が震えた気がした。けれど、達樹は何も言わなかった。
やがて、下から声が聞こえた。喚声と呼んで差し支えないそれは、屋上を見上げて何事か言っているようだった。
「さすがに、逃げないとまずいか」
彼女は呟くと、唐突に宙へと浮いた。達樹もそれに合わせて浮遊し、空中で漂うような態勢となる。
「このまま、逃げよう」
「いいのか?」
「事情は後でいくらでも話せるから……今は、休まないと」
彼女が達樹へ向け小さく微笑んだ。
その顔は達樹から見て月明かりに照らされており、闇に舞い降りた天使のように艶やかだった。




