少女の覚醒
「……な」
少女の開眼に、達樹に遅れ菜々子も気付いた。他の面々もその後どんどん注目していく。
その瞳の先――そこに誰がいるか、達樹にも容易に想像がついた。
「……あ」
舞桜が反応したその瞬間、水槽の中が突如、光に包まれた。
「どうやら、彼女も目覚めたいらしいな」
定岡が悠然と語った――その直後だった。
光が消える。そこに、女性の姿はなかった。
達樹は慌てて周囲を確認する。水槽の横、そこに、彼女がいた。
「転移魔法だな」
定岡が告げる。水槽から抜け出ただけだが、その異常性がはっきりと浮き彫りになる。
「彼女の力の一端だ。その力は、この場の誰よりも――」
定岡が解説をしている途中、少女が動き出す。
ペタペタと裸足で歩く。そして定岡の近くへ。
「……どうした?」
定岡が尋ねる。その時達樹は背筋が寒くなった。
何か――言いしれぬ不安感。目の前の少女が何をするのか予想が付かない。
いや、より正確に言うならば、こうするのではないかという考えが浮かんでいた。けれど達樹は動けない。
少女が周囲を見回す。一度だけ目が合うと、達樹はドクンと一つ鼓動が大きく鳴った。
達樹たちは少女の動向を窺い、動けない。そうした中で、定岡は少女の頭に手を置いた。
「……悪いが、君に――」
「邪魔」
一瞬だった。達樹たちが反応するよりも前に、全てが終わっていた。
瞬きをした直後、定岡の体がすっ飛んでいく。全員が何事かと見張った矢先、近くにいた手島の体も宙に浮いた。
「が――」
床に倒れ伏す定岡。ただ吹き飛ばされただけでなく、何かしら魔法を食らったか――
刹那、少女の足下が突如発光した。罠だ、と達樹が認識し、その光が少女が一気に包み込んだ。
「拘束型の魔法……!」
菜々子が呟く。魔法発動を感知した直後、使用者を拘束する魔法だと達樹にも理解できた。少女の場合、魔法起動が早かったため、罠発動が一歩遅れたということか。
光が彼女を包み、一気に――そう思った矢先、パアンとガラスの割れる音が聞こえ、いとも容易く少女は拘束魔法を抜け出した。
「……面倒」
その言葉の直後だった。突如、彼女は右足を上げ、床に勢いよくたたきつけた。
そんなことをしても、当然床がどうにかなるはずもない――刹那、変化が起こった。足下に魔力を送り込んだか、周囲の床が光り輝いた。
次に発せられたのは、軋むような音と床から伝わってくる振動――
「なっ……!?」
菜々子が呻く。それと同時、ガガガガ、と何か来られるような音が聞こえ――研究室全体が鳴動を始めた。
「罠を魔法で無理矢理破壊したのか……!」
日町が叫ぶ。どこかに存在していた罠を発動させる機能を、足を介し破壊したというのか。
無茶なやり口に全員が少女を警戒する。だが当の彼女は罠を破壊し動かない。後方に呻くように倒れる首謀者達の姿はあるが、どうやら命まではとっていない。
「……あなたは」
菜々子が口を開く。少なくとも敵対している雰囲気ではない。よって、話ができるかもしれない――そういう希望的観測から、干渉しようとしたのかもしれない。
だが――少女は舞桜に視線を向け、笑った。
「……お姉ちゃん」
ビクリ、と舞桜が大きく震える。
「……お姉ちゃん?」
「――やめて」
拒絶の言葉。まったく同じ顔をする少女に対し、舞桜はただ否定するしかない。
しかし少女の方はそれを認識したのかしていないのか。小首を傾げ近づこうとする。
刹那、舞桜の手がかざされる。達樹は嫌な予感がして声を挟もうとした。だが、決定的に遅かった。
舞桜が魔法を放つ。業火が生じ、真っ直ぐ少女に当たる――
「駄目だよ」
けれど、少女はそれを、手で弾き飛ばした。
「え……?」
菜々子が呻くのを達樹は聞いた。舞桜の攻撃すら、通用していない。
「残念だよ、お姉ちゃん」
そして呟く。達樹はここで背筋がゾクリとなり、
「全員、ここから逃げろ!」
その言葉も間に合わず、少女が右手を掲げる。
直後、発せられたのは激しい光。誰もが呆然とする中で――その魔法は炸裂した。
達樹はそうした中でどうにか回避を試みようとする。けれど、なすすべが無く、光に飲み込まれた――
* * *
「っ……」
舞桜は光の中で呻く。気付けば防衛本能からか、結界を構築し自身の身を守っていた。
その中で、様々な思いがよぎる。目の前の少女の存在、自身の出生。そして達樹の決意。
自分という存在が崩れ落ちたような気がしたけれど、それを達樹が支えてくれた。彼には申し訳なく思う。彼からは色んなものを奪ったはずなのに――
その中で、光が途切れる。少女は何事もなく立っており、微笑を浮かべていた。
気付けば舞桜以外の誰もが床に倒れていた。最悪の状況を一瞬想像したが、気配ですぐに生きているとわかる。
「大丈夫だよ」
そして少女は舞桜に告げる。
「人は殺しちゃいけないんだよね?」
「……あなた」
「前にね、人を殺しちゃったら色んな人に怒られたの。遊んでくれなくなったし、ご飯も食べさせてもらえなかった。だから殺さないよ?」
何か――そう、何かおかしい。
というより、少女にとってはこの研究所の中にいることで世界が完結していて、倫理観など持ち合わせていない。
舞桜は自分と同じ顔を持つ少女を見据え、どうすべきか考える。
魔法は通用しなかった。おそらく自分よりも遙かに強い存在なのだろう。
けれど、彼女を止めなければならない――しかし、どうやって。
能力は圧倒的に彼女の方が上。舞桜一人で対抗できるとは思えない。
ならば、どう戦えば――悩んでいた時、少女は手をポンと叩いた。
「そうだ、やりたかったことをしよう」
「え……?」
「お姉ちゃんも、少し時間が経てば落ち着くよね?」
彼女は何を言っているのか――舞桜が呆然とする中で、彼女は続ける。
「一度、外に出てみたかったんだ」
その言葉、舞桜にもどういうことを意味するかわかった。もし彼女が他人と出会ったらどうなるのか。
「ま、待ちなさ――」
言い終えぬうちだった。彼女の姿が途端にかき消える。転移した――
舞桜はすぐに追おうとして、どうにもできないと悟る。彼女を止める術が見当たらない。そして達樹たちを放置しておくこともできない。
「みんなを、起こさないと……」
いや、それよりも警察に連絡か――舞桜は思考がまとまらない中で、行動を開始した。




