落ちる少女
空から人が降ってくる。
それはすでに世間一般に広がっている認識だった。
それは天候でもなければ天災でもない。
それは日常の中に潜んだ非日常。
その者たちはどこから来ているのか。
どうして空から降ってくるのか。
それは、まったくわかっていない。
ただひとつだけ共通して言えること、
それは降ってくるのは『思春期の少女』だということだ。
彼女たちは空から降ってくるが地面に衝突するのかと思いきや、衝突の瞬間に再び消えさってしまう。
そんな彼女たちが地面に設置する直前に受け止める猛者が稀に現れる。
そういった少女を受け止めた者たちは『キャッチャー』と呼ばれた。
これは、そんなキャッチャーたちの物語である。
* * * *
「きた! きたきたきたきた! 少女きた! 見えてるか、ユウゴ」
マサユキは喜色を浮かべて夜空を仰いだ。携帯電話にがなりながら身を翻す。通話をヘッドセットに切り替えて走った。
寒さを堪えて張り込み続けて早ひと月。雨の日も風の日も雪の日も、なにあの人気持ち悪いと後ろ指を指されようと、テント張るなと追い立てられようと、見通しのよいマンションの屋上に居座り続けたのは、ひとえに『都市伝説の少女』と会いたかったからだ。双眼鏡で発見したのは偶然だったが、もう肉眼でもわかる距離まで落ちてきている。
『え、どこどこどこ……あああああ、見えたあああ! うわあ、すげえ初めて見た! 結構落下速度はゆっくりなんだな。物理的法則に逆らってるって噂マジなんだ!』
興奮と感動がヘッドセットから伝わってくる。普段はクールな印象のユウゴが、はしゃいでいた。
「ははっ、あれと遭遇するなんて、ほぼ運だけだもんな。しかもひと月ぶりときた!」
『噂だけは持ちきりだったけど……っと、ネットの奴らも気付いたらしい。場所も特定されて――やっべぇ、俺たち間に合うんじゃね。お前近いよ!』
「マジで」
『場所は●●交差点の近く。いや、まだ確定してないけど』
キーボードをタイプする音がした。別所で同じく陣取っていたユウゴが、パソコンでネットをチェックしているのだ。やっぱり仲間がいるっていい。感情の高ぶりを抑えきれず、階段を駆け下りる。エレベーターを待つ精神的余裕など存在しなかった。
少女が空から落ちてくる。
マサユキだって当初は一蹴したのだ。
そんなバカな。騒ぎ立ててバッカじゃねぇの。地面にぶつかる寸前跡形もなく消える? っは、何それ。夢なんだって、夢。幻。白昼夢って奴なんだろ。くっだらねー。
しかし目撃情報はこの一年で爆発的に増えた。それはネットの書き込みを見ても明らかだ。中には狂言もあったが、いくつかは確実に真に迫っていた。
写真や動画といった記録媒体には残らない。人の目のみに写る謎の少女。女にはその姿が視認できず、今のところ出現は二人が暮らす都市部に限定されている。人口百万人を優に超える都市で、嘘か誠か、捕まえられるのは十代後半から二十代までという噂――
ネット上ではいくつもの推測や考察が飛び交った。少女が落ちてくる理由、少女の正体、どこからあれらが現れるのか。この争乱は地域限定とはいえ、収まるところを知らなかった。静かに、だが確実に少女の噂は広まっていったのだ。
あーあ、みんな暇だからってよくやるよな。キャッチャーだってよ。頭沸いてるって。
そうバカにしながら何気なく窓の外を見て、一月前のマサユキは唖然となった。高台にある十
あのときの少女はビルとビルの合間に消えてしまった。
その衝撃をなんて口にしたらいいだろう。
――幻?
例えば、なにかの映像を追いかけたのだろうか。どこかの企業の大規模なCMだったり、蜃気楼や陽炎のような自然現象の一種なのだろうか。
己の目が信じられず、度々マサユキは少女を求めて『落ちた場所』へ足を運んだが……そこで待ち受けるのは「何も起こっていなかった」という現実だけだった。人ひとりが地面に叩きつけられたなら、何らかの痕があって良いはずだ。
夢なんだって、夢。白昼夢。くっだらねー。
そう嘲る声が全身に注がれた。それは、紛れもないマサユキ自身の声だ。
愕然となるばかりのマサユキへ声をかけたのが、通りがかったユウゴだった。
「なぁ、あんたも例の女の子探してたりする?」
ユウゴは都市伝説に興味を持って、目撃情報を頼りにここまでやって来たのだった。野次馬根性むき出しで、好奇心を満たすべく『少女』を捜す奴は多い。情報を集め、落ちてくるポイントを割り出し、夜討ち朝駆け少女を追いかける。執拗なほどの熱意をむき出しにして。
だが、あのときのユウゴにそんな気配は漂っていなかった。奴の雰囲気はそう、探偵と呼ばれる者たちに通じている。一歩離れた場所から『祭』を観察し、分析している類である。
「……俺以外にも、あの日の目撃者が?」
「あの日は日暮れ間近だったせいか、証言するのはあんたを含め八人。その落ちてきたはずの少女がどうなったのか……不思議なんだが全員が知らないって言うんだ。追いかけた奴もいたはずなのに。面白いだろ?」
肯定をもらって全身から力が抜けた。マサユキが見たのは夢でも幻でもなかったのか。八人。少なくとも八人が彼女に気づいたのだ。
「で、どんなだった? 俺はまだ一度も遭遇したことがないんだ」
ニコニコしながら問い掛けてきたユウゴと意気投合し、二人は都市伝説を巡る『祭』に参戦したのだ。
もどかしくバイクにまたがって、ユウゴのサポート通りに暗い夜道を走った。この日のために主要交差点の名称は頭にたたき込んである。ユウゴが教えてくれた場所への最短ルートを思い描いた。信号で足止めされるのも煩わしい。裏道を通り、夜空を仰いで、ただ一心に彼女の元へ。
今日はツイてる。
夜になってもなお明るい街へ降りてくる少女を視界に捉え、さらにスピードをあげた。ヘルメットの奥では唇が笑みの形につり上がる。このスピードであれば余裕で彼女の落下予測地点まで到達できる。
俺も向かうからな、と言い置いてユウゴからの連絡も途絶えた。すでに奴のアシストも必要ない段階だ。マサユキさえヘマしなけりゃ、確実に彼女をこの手に抱き留められるのだ。
そんな空想に胸を高鳴らせたときだ。併走するバイクに気付いた。路地からも自転車で同じ方向を目指す奴らの影が過ぎる。え? ちょっと待て。戸惑うマサユキの傍らを、猛ダッシュしている中学生だか高校生もいた。目標地点へ近づくにつれ、増加する。わらわらわらわら集まってくる。
ちょっ、今回どんだけ集まってきてんだよ。
隣を走ってる奴と目があった。全員が同じ目標を掲げているのだ。
スピードをあげた。彼女はどんどん落ちてくる。誰よりも早くその場所へ到着したかった。しかし、焦りと同時に奇妙な安堵も全身を支配していた。
俺だけじゃないんだってさ。こいつらも全員、俺らと同類なんだ。
非日常に憧れていた。これが、なにかのきっかけになるんじゃないかと。
好奇心に意地の悪いものを混ぜて、ユウゴにいつか問い掛けられたことを思い出す。
――なぁ、女の子キャッチしてさ、どうすんの。彼女にでもなってもらうの。どこのだれだかわかんねーし、なんで空を落ちてくるのかもわかんねーのに。とんでもない問題抱えてたり、宇宙人だったりしたら。お前どうすんの。
――わかんねーって。拾えるかどうかも謎だってのに。でも、気になんだろ?
少女だから追いかけるわけじゃない。捕まえてみたいから追いかけている。その先を読んで動いてる奴が、この場にいるとも思えない。捕まえることが目標なのだ。あのとき、ユウゴは「バカだなぁ」という言葉を呑み込んだように、小さく笑った。
そうだよ、俺らはみんな、バカ野郎だ。
少女がビルの群れに入った。落下地点にはライバルたちが密集している。ベストポジションを争いながら、ひしめき合って両手を。だれもが両手を掲げていた。
落ちてくる彼女は、暗がりの中でうっすらと光をまとっているようだった。長い髪とワンピースをふんわりと広げ、重さを感じさせないスピードで落ちてくる。深い海の底へ沈む何かを仰ぎ見るような、不思議な光景だった。マサユキはバイクを脇へ留め、人の輪から外れてその様子を眺めるしかできなかった。
『マサ! どうなってんの、今!』
少女が見えなくなったせいだろう。ユウゴが連絡してきた。
「うん、降りてきてる。もうすぐ、もうすぐだ」
女神でも現れたのではないか、と錯覚しそうになる。呼吸音さえ彼女を汚すようで、誰もが息を潜めた。
ここへ集まったのは物語の主人公になろうとした奴らだ。特別を夢見て、今それに遭遇するという奇跡を体感している。彼女を抱き留めるのは誰なのか。こうなってはどうでもよくなってくる――
どよめきが走った。今度こそ誰かが彼女を捕まえたのだ。人の輪がわずかに広がった。それをかき分けるようにしてマサユキが前へ出る。
少女はだれかの腕の中で目を瞑っていた。噂通りの美少女だった。バラ色の頬と、長いまつげと、艶のある唇に目を奪われた。光っているように見えた白い肌と華奢な身体は、シンプルなワンピースに包まれている。ほっそりした指が大事そうにつかんでいたのは、ゲームかアニメにでも出てきそうな魔法の杖だ。
本当に人間じゃないのかもしれない。ふと、ユウゴがおどけて「宇宙人かも」と笑ったのを思い出した。彼女が本物かどうか、生きているのかどうか、触れてみたかった。許されるならば、その髪に。腕に、頬に。
正体を疑いながら、暴かれずにいて欲しいと願っていた。くだらない真実に、今の感動をぶち壊されるのではないか、と。
やがて少女がぴくりと動いた。その瞼がそっとひらく。彼女は赤茶の瞳を動かして状況を確認した。息を呑む俺たちを一瞥し、抱き留めた奴を見つめる。怯えるように数度瞬き、唇をゆっくりと動かした。
「……うわ、きも」
生理的嫌悪を丸出しにした冷徹なるお言葉だった。
「ヤだあっ、気持ちわるいっ! 何なの、どっかいってよ!」
涙目の彼女が持っていた杖をぶんっと振りかぶる。その瞬間、目の前が真っ白に飽和した。何もかもが光の中にとけていく。
* * *
「あ、おっかえりー。いい男いた?」
落ちてきたばかりの少女は、両腕にできた鳥肌をさすりながら、嫌悪も露わに首を振る。顔にかかる長い髪を振り払い、泣きそうな顔でしゃがみ込んだ。
「なんか、キモイ奴らに取り囲まれてた。何なのあれ、何であんなに集まってるの、何なのよぉ……」
「あー……、なんかすごい噂になってるもんね。あたしたち」
「私が行ったときもヤバかったよー。もしかして、今後もっと増加しちゃったりするのかな」
「狙い通りではあるんだけどねぇ」
色とりどりの布地が覆うだだっ広い室内に集まった少女は、一様に顔を見合わせて、重いため息をついた。輪になってひとつの水晶球を囲う彼女たちは、それぞれお菓子をつまみ、お茶を飲み、クッションに埋もれながらお喋りにふけっている。一様に同じデザインのシンプルなワンピースと、いくつもの輝く宝石を身につけ、それぞれデザインの異なる『魔法の杖』を持っていた。
彼女たちは、魔女だ。
厳密には魔女見習いであったが……。
「先輩たちさあ、どんな方法使ったんだろうね? 運良くいい男と出会えたって人もいるらしいのに」
「彼氏できちゃったーって、あっちに住み着いちゃった人もいるんだよね」
「もうヤだよ私。異界わたって、男のココロ手に入れてくるなんて。触られたんだよ、変な奴に。なんか汗まみれでみんなはぁはぁしてて、ぎらついた目でさ……」
「ああ、泣かないで。怖かったね」
「だけどさぁ、今までで一番ココロ手に入ってたよ。大勢集まってたからでしょ」
しゃくり上げる少女を別の少女が慰める。うん、と落ちてきたばかりの彼女が杖を振ると、カラフルな宝石がいくつも転がり出てきた。彼女たちが身につけるアクセサリーの石とよく似ている。
これは、あの場に集まった男たちのココロの結晶だった。これを奪われると記憶を一部失ってしまうのだ。今ごろ異界では、呆けた男たちが首をかしげていることだろう。
「わ、三十個以上ある」
一回の結晶狩りに、これほど大量に手に入れたのは今回が初めてだ。
すっごーい、と賞賛を浴びて泣いた少女も少しだけ微笑むことができた。一抱えほどもある水晶球にそれらの結晶をかざすと、徐々に吸い込まれていく。
「手っ取り早くて目立つ方法ではあるけど、『空から落ちる』ってのも考えものなのかも」
「数が多すぎて対応しきれなかったら怖いよ。だって待ち構えてるんだよ、大勢で!」
浮かない顔で、だれかが結晶を爪弾いた。
「ふふっ、いいじゃない大量に手に入るんだから。確かに上質のものじゃないけどさぁ」
「今さらよ。試験なんだからパパッと終わらせたいって全員賛成したでしょ」
「話し合ったじゃない。みんなそれぞれ好みがあるし、必ずしも落としたい相手に出会えるかもわからないんだよ」
あっちの世界でも盛り上がってるのだし利用しない手はないと、ひとりが反論する。同意混じりの沈黙が広がった。
これ以上効率のよい『狩り』は思い浮かばない。作戦は地味だが、噂を呼ぶ演出は効果的だと教師にも褒められたのだ。純度の低いココロであっても数さえ集まれば何とかなる。そうだれもが考えていた。
魔女は、男を虜にせねば一人前だと認めて貰えない。見習いから脱するには、規定以上のココロを手に入れる必要があった。しかも今回はグループでの課題である。期日以内に全員がクリアできなければアウトだ。メンツを変え、一からやり直しである。
――私たち、まだちょっとしかあっちの世界に具現化できないし……
異界へわたることさえ、メンバーが力を合わせてひとりを送り込むので手一杯の有様だ。そのたび集めたココロも消費されていく。本来、この課題をクリアするには数年の時間が必要となる。
「まぁね。ただの男を倒せない魔女なんていないでしょうし」
「魔女試験の記録更新したら、ご褒美もらえるって聞いたことあるよ」
「そりゃ、効率重視で私たちやってきたんだもん。今さら別の方法で……なんて」
ため息がだれにともなくあふれた。
たったひとりでいいのにな、と彼女たちは思う。ひとりの女の子として、それぞれにパートナーができれば。真剣に彼女たちを愛してくれる(理想の)男と巡り会えたなら、この課題は簡単にクリアできるのに――
彼女たちは顔を見合わせ、再度ため息をついた。
「あーあ、いい男に受け止めて貰えるなんて現実、どこにも落ちてないよね」
世の中とは、上手くいかないものなのだ。
最後まで読んで下さってありがとうございました。
良ければ他にもSSはありますので、読んで下さると嬉しいです。