三話 『平和的解決を致しましょう』
「──と、意気揚々と飛び出したのはいいけれど……」
ヒールを高鳴らせながら走っていたリナは不意に立ち止まり、周囲の景色に視線を巡らせる。
落ち着いて見てみると、視界に新たな要素が増えていることに気づいた。
それは、日本にはなかった──否、あの世界にはなかった概念だ。
「──凡そ、魔力の流れが可視化されているというところかしら。森の奥に入れば入るほど、それが穢れているわね……」
この先に、魔物と呼ばれる存在が──龍が、いるのだろう。
この魔力の穢れ具合を見るに、悪しき存在と断定して支障は無さそうだ。
しかし、
「それにしても遠いわ。これほど離れているのなら早々巻き込まれることは無さそうだけれど……翔べるのなら関係がないわね」
そこまで口にして、リナは瞳を瞬かせ、
「──そうだわ。私も飛べばいいじゃない」
そう呟くと、全身に魔力を巡らせる。
だが、ひとつ問題があった。
それは、
「──恐らくだけれど、詠唱が芝居がかっていればいるほど、魔法が強くなるみたいだわ」
そう。
これはおそらくこの世界の仕様。
文句を言っても仕方がない。
「──レナを守るため、ね」
だから、割り切ることにした。
「……重き鎖を解き放て。大地の縛りより解放せよ──軽身浮遊」
やがて、リナの体がゆっくりと浮遊する。
森を丸ごと見渡せるくらいに浮いたその身体を前へと滑らせて、飛行機と変わらぬ早さで移動していく。
「──あら、とても便利だわ。この調子なら、最奥まで辿り着くのに10分も要らないわね」
心地よい風を顔へと受けながら、リナは唇の端を吊り上げて笑う。
魔力の穢れがどんどん濃くなっていくのが見えるから、この奥にいる龍の強さは先程殺した魔物の比ではないと思われるが、
「──いいわ、強ければ強いほど、私の成長の糧になる」
そう呟くと、リナは、ひたすら愉快そうに、微笑んだ。
◆◇◆◇◆◇
「──この辺かしら」
魔法を解いて地面へと降り立ち、リナは周囲の景色へと視線を巡らせた。
魔力の穢れの濃度が酷くなっている。
リナの屈強な精神力の前ではさして影響はないが、一般人がこれを吸えば、錯乱状態になることは避けられないだろう。
これは、生半可な戦士では役に立たないわけだ。
「──一度、空気を浄化しておいた方がいいわね」
精神的な影響は少なくとも、あまり触れていて良いものではない。
それに、森の植物たちが穢れに当てられて生気を失いつつある。
生態系が崩れれば、レナを囲む環境──ひいては、食物の供給などに支障が出る可能性がある。
それは、好ましくないことだ。
「穢れよ、己が汚染を解き放ったその罪を、清めに変えよ──穢気浄化」
詠唱とともに、手のひらから透明な光が立ち上がる。
穢れた空気は黒く濁った霧として立ち込めていたが、光に触れるとゆっくりと白く変化し、漂う霧は清浄な空気へと溶けていく。
わずかに残っていた不快な匂いも消え、空間は清々しい空気に満ちた。
──汚染の痕跡すら、光が拭い去った。
「これでいいわね。あとは、原因である龍とやらを殺せば……」
そう、小さく呟いた瞬間だった。
「──殺気」
今まで生きてきた中で、感じたことのない気配であった。
だが、それに似たものは幾度となく向けられてきた。
恨み、怒り、その他諸々の、どろどろと汚らしい感情。
「──っ!」
瞬間、前方から喉を焼くような熱気が流れてきた。
それは、炎の前兆だ。
リナはそれを目敏く感じ取り、上空へと飛んでそれを避ける。
森があっという間に燃え盛り、焦げ臭い匂いが辺りを包み込む。
「──これは、誰も手を出せないわけだわ」
叫び、リナは地面を忌まわしそうに見下ろす。
そこには、穢れた魔力に身を包み、虚ろな瞳で魔法を行使し続ける──
「──神聖な生き物と言われる龍が、呪われているだなんて」
そう、呪われた龍の姿があった。
「──でも、それはそれね。悪いけれど、こちらも実力行使で行かせてもらうわよ」
呪われ、操られているであろう龍を殺すのは気の毒だが、そんなことはリナには関係ない。
それに、本気で戦わなければ、おそらく本当に危ない。
そう思わされるほど、目の前の龍は強いのだ。
「──ふっ!」
リナは拳に魔力をぎゅっと凝縮させると、躊躇なく龍の頭部に打ち込んだ。龍は思わず短く鋭い悲鳴を上げ、頭頂の鱗がバリバリと音を立てて剥がれ落ちた。
しかしリナはその光景に目を奪われることなく、白くしなやかな長い脚を大きく振り上げた。脚が龍の胴にぶつかる瞬間、鈍い衝撃が空気を切り裂き、龍の体全体が大きく揺れた。
「──! くっ」
だが、龍に接近しすぎたことが、すぐに仇となった。
振り下ろされる尾が、容赦なくリナの脇腹に叩きつけられる。
尾が作った風圧で髪が顔に貼りつき、砂埃が舞い上がる。
衝撃で体が弧を描くように吹き飛ばされた。
「──一筋縄ではいかないわね。なら、少し嗜好を変えるわ」
リナはそう吐き捨てると、手のひらから淡く光る魔力を湧き上がらせ、指先から空中に放つと、鎖と棘を備えたモーニングスターの形が浮かび上がる。
龍が咆哮を上げ、鋭い爪を振り下ろす。
リナは一歩横に跳び、低く身を翻すと、モーニングスターを前に突き出した。鎖が空中で軌跡を描き、棘付きの球体が龍の翼に向かって鋭く飛ぶ。翼をかすめた衝撃で空気が裂け、龍は思わずバランスを崩す。
リナは足場の岩を蹴り上げ、空中で回転しつつモーニングスターを引き寄せる。魔力で増幅された鎖が伸縮し、敵の攻撃範囲を巧みに避けながら、棘が次々と龍の防御の隙間を突く。龍が火を吐こうと口を開けば、リナはその火炎を見極め、横に滑るように身を翻しつつ鎖を振り上げ、翼の付け根に強烈な一撃を叩き込む。
龍が怒りを露わに再び咆哮する中、リナは冷静に周囲を見渡す。飛び石を利用して急加速し、飛び上がりながらモーニングスターを頭上で旋回させる。その重みを利用して龍の背を狙い、一瞬の隙に鎖の球体を振り下ろす。その一撃は、龍の鱗をかすかに削り、火花と金属音を生む。
「──そろそろ、死んでくれない? あなたがいると色々と困るのよ」
言いながら、リナは龍に少しずつ近づいていく。
もう抵抗できるだけの体力は残していない。
せめて最後は、優しく殺してやろうか。
「──あら」
そんなことを柄にもなく考えている最中、リナははたと動きを止めた。
その理由は、ただひとつだ。
「──そういえば、あなた、呪われているのよね」
──龍を味方につければ、レナは今よりもっと安全になる。
──私がレナのそばにいられない、今みたいな時でも。
──そう、か。
「──物は試し、ね」
リナは短く呟くと、
「心の奥底に潜む暗黒よ、光の脈動に触れ、すべての穢れを消し去れ。──パルス・クリアランス」
リナは深く息を吸い、片手を前に突き出した。掌から白銀の光が渦巻き、宙に漂う黒い霧を切り裂くように広がる。魔力が龍の体表に触れると、呪いで歪んだ気配がゆらぎ、僅かに震えた。
声に込められた意志が光に宿り、呪いの力を吸い取り、龍の心を覆っていた闇を少しずつ払いのける。棘や翼に纏わりつく暗黒のオーラが、かすかに煙のように消え、龍は咆哮を上げるものの、その動きはどこかぎこちなくなった。
リナは光の波動を続けながら、魔力を送り込む。呪いで閉ざされていた龍の理性が、光の温かさに触れることで徐々に戻り始める。目の奥の赤い輝きが揺れ、やがて怒りだけではなく、理解と混乱が混ざった光に変わる。
モーニングスターを握る手に力を込めつつ、リナは後退して安全距離を取ると、
「──こんな私が浄化魔法を使えるなんて、神は思ったよりも見る目がないのね」
と、小さく呟いた。
そして、
「──貴様、は」
「──ふふ、はじめまして。早速だけど、私と条約を結んでくれない?」
と、悪びれもせず、笑ったのだ。




