09.騎士団長様
この日の午前中早くに、診療所の前に立派な馬車が止まった。いかにも上流階級の御夫人といった身なりの女性が降りて来て、扉を開けた。
「お義兄様、おはようございます」
「あ~、おはよう。今患者の治療中だから、悪いけど奥の部屋に運んでおいてくれるかな」
ハンス先生がぶっきら棒に答える。
わたしが慌ててその女性に答える。
「マリエット様、もうすぐ終わりますからそちらへ置いておいてください。わたしが後でお運びします」
この女性はマリエット様という、ハンス先生の亡くなった奥様の妹さんで、時々野菜、干し肉やパスタなどの食料を診療所に持ってきてくれる。借金にあえぐこの診療所が何とか今までやってこられたのは、マリエット様からのご支援によるところが大きい。なのにハンス先生の相変わらずのぶっきら棒な対応は、いかがなものだろうか。
「おはようございます。治療中失礼いたしますね」
「マリエット様、おはようございます。今日はこの膝を治していただけると聞いてやって参りました」
マリエット様が患者さんとあいさつを交わす。マリエット様は子爵家の御夫人だが、いろいろな慈善活動をなさっていて、この街では名前が知られているらしい。
マリエット様は慈善活動に出かける前のこの時間に、食料を届けてくださることが多い。いつもは誰も患者さんなどいないのに、最近は患者さんがいることが多くなった。クロエおばあさんの噂を聞いた、同じような膝の痛みに悩むお年寄りがやって来るようになったのだ。
「お大事になさってください」
治療を終えた患者さんは、痛みから解放されて大喜びで帰って行った。
「また杖を置いて帰りやがったな」
ハンス先生が嘆くのも無理はない。最近は治療のおかげで杖が必要なくなった患者さんが、この診療所の玄関に杖を立てかけて帰ることがブームになっているらしく、杖がたくさん立てかけられていた。
「お義兄様、最近ではこの診療所、『杖立診療所』って呼ばれているらしいですよ」
マリエット様が、わたしと一緒に奥の部屋に食料を運びながらハンス先生に言った。『便所坂診療所』よりそっちの方がよっぽどいい。いっそ名称変更してしまえば良いのに。
「グリアさんに感謝しないとだめですよ。こんなに患者様がいらしてくださるなんて、姉が見たらびっくりするでしょうよ」
「まあ、何だ。グリアには頑張ってもらっている」
「あれ。ハンス先生、それわたしに感謝しているってことですか。珍しい、先生はマリエット様がいらっしゃると素直になれるんですね」
頭をかいているハンス先生を見ながら、マリエット様と一緒に笑ってしまう。
ハンス先生と言えども、マリエット様には頭が上がらないらしく、見ていて可笑しくなってしまう。
最近患者さんが増え、膝が良くなったお礼と言って、結構な額のお金を置いていく人が多い。ハンス先生の借金もだいぶ返済出来たようで、金回りが良くなると何となくこの診療所も活気が出て明るくなってきた感じがする。
昼頃、マリエット様が置いていってくださったお弁当をハンス先生と食べていると、診療所の扉が開いていかつい大男が入ってきた。年齢は30代後半位で、白地に青い縁取りのされた服を着ていて、胸には金色の十字架が描かれていた。ひょっとして騎士様だろうか。
「あなたがハンス先生でいらっしゃりますか」
「そ~ですけど何か」
ハンス先生、お弁当は置いてください。あと口に食べ物入れたまましゃべらない。
「お忙しいところ、突然お訪ねして失礼いたします。私はドーエル騎士団長のドミニクと申します。実は先生に私の膝を診ていただくて参りました」
ドーエルというのはこの街の名前で、その街の名前をつけた騎士団の団長様ということは、この街で一番偉い騎士様ということだろう。わたしのファンタジー世界の憧れの存在、本物の騎士様にいきなりお会いすることが出来てしまった。感激した。
「若い時に戦闘で右膝を痛めました。その時はもの凄く膝が腫れたのですが、徐々に治まっていって、動くようになりました。しかしそれから時々膝が不意に抜けるような感じになることが起こるようになりました。それ以降だんだん年を重ねるにつれ、右膝の痛みがひどくなってきたのです。これでは騎士団長としての責務を果たせません」
「ほうほう。じゃあちょっとそこに座って。診察するから」
ハンス先生は食べかけのお弁当を置いて騎士団長様を診察し始めた。
「城の医師からは、完治するのは難しい、サポーターや痛み止めで何とかだましだましやっていくしかないと言われました」
ハンス先生は、騎士団長様の足を触ったり、ひねったりしている。
「しかしそれではもう騎士団長の仕事は務まりません。そこで最近、仲間から膝を治す名医がいる。そこの診療所に行った患者は杖がいらなくなって、杖を捨てて帰ってくるというハンス先生の御評判をお聞きしたのです」
騎士団長様は苦悩を打ち明けるようにお話しされた。とても真面目な方のようだ。ハンス先生に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。
診察を終えたハンス先生は、腕を組んでうーんと唸っている。
「どうですか先生、治していただけますか」
「ちょっと近い、近いよ、そんなに顔を近づけなくていいよ。基本的にはお城の先生に激しく同意。その医者の見立ては正しいよ。これはこの世界では保存的に見るしかない」
「そ、そうですか……やっぱり無理ですか……」
「ただ、治る可能性がないわけではないけど、人体実験してみる?」
「人体実験? やります! やってください先生! 私の騎士生命がかかっています。私は騎士で無くなったら死んだも同然です。人体実験でも何でもやっちゃってください!」
ハンス先生はしてやったりといったように笑ってわたしに振り向いた。
「さあグレア、新しい症例に挑戦するぞ」
診察机の引き出しから膝の模型を取り出して、ハンス先生がわたしに説明してくれる。
「ドミニクさんの膝の痛みの根本の原因は、この紐みたいな靱帯が切れる、前十字靭帯断裂だ。おそらくこれが若い時の戦闘で切れちまったんだろう。普通はこれで騎士なんて廃業になってもおかしくないところだが、ドミニクさんはきっとものすごく努力したのだろう。何とかだましだまし勤務にいそしんだ」
ハンス先生の説明をドミニクさんもうなずきながら聞いている。
「無理して頑張った挙句、膝を衝撃から守るこの半月板、実際は半月というより三日月っぽいこの膝のクッションに負担がかかりここも損傷。おまけに軟骨部分にも炎症が及んで今ここに至る状態というわけだ」
膝の模型をパカッと開けて、半月板なるものをハンス先生が教えてくれる。
「グレア、このちぎれた前十字靭帯をくっつけ、半月板を整復し、軟骨を再生させろ。出来るか?」
「やってみます」
「おお、ありがとうございます。お願いします」
騎士団長様はまだ治療もしていないのに感激していた。責任重大だ。
わたしは騎士団長様の右膝に手のひらをあて、魔力を集中させる。ハンス先生に教えてもらったちぎれた前十字靭帯の端と端を引っ張って来てくっつけるイメージを思い浮かべる。膝がぼうっと明るくなり、騎士団長様が驚きの声を上げる。
ひととおりやり終え、何となく出来た感じがしたので魔力を込めるのをやめる。
「ドミニクさん、立って歩いてみてください」
ハンス先生がそう言うと、騎士団長様は恐る恐る立ち上がり、ゆっくり歩きだした。
「無い、痛みが無い。嘘みたいだ。若い頃の膝に戻ったみたいだ!」
騎士団長様は涙を流して喜んでいた。
「これで、これで騎士を続けられる。ハンス先生とグレアさんはわたしの命の恩人だ!」
診療所に勤めていて何が良いって、患者さんに感謝される時ほど気持ちの良いものはない。元の世界では仕事をして誰かから感謝されることなんてなかった。感謝こそわたしにとって一番の報酬だ。とか言って、騎士団長様には実際の報酬もたくさん置いていっていただけた。
「やった、これで借金完済だ! もう今日は仕事しないぞ。グレア、外に本日休診って札を出しておけ。今晩は久々に外で飲むか。グレア、お前にも服を買ってやろう。いつまでも俺の嫁さんのお古じゃ何だしな」
そう言ってハンス先生は外出の準備を始めた。そう言えば、わたしはこの街で買い物に出たことはまだ一度もなかった。




