08.往診
クロエおばあさんの膝を治して以来、ちょくちょく同じような患者さんが診療所に来るようになった。自由に歩き回れるようになったクロエおばあさん自身が広告塔のようになっているらしい。
わたしもだんだん経験値が上がって来て、患者さんを治すたびに具体的なイメージが深まるようになり、より魔法もうまくかけられるようになった。
「じゃあ、往診に一緒に行ってみるか」
ハンス先生はそう言ったが、ロベールに監禁されていた時の恐怖で、この診療所で働くようになってから一度もわたしは外に出たことがなかった。ちょっと躊躇したが、蝙蝠達も最近は周囲に異常がないことを毎日報告してくれているので、行ってみることにした。
往診先は伯爵家の大きなお屋敷だった。
異世界で伯爵令嬢になることを夢見ていたが、実際の伯爵家のお屋敷に足を踏み入れることが出来るなんて、思っても見なかった。豪華な調度品の数々に緊張してしまう。
「ハンス、今日は噂の美人さんと一緒かい」
お屋敷の奥の寝室でこちらを向き、ハンス先生に気安く声を掛けたのはこのお屋敷の主、ベルナール伯爵だった。何でも病気になる前は、ハンス先生と山登り友達だったらしい。
「今日はお前に人体実験したくてな」
「何だよ、また患者に酒をしこたま飲ませる実験か」
すごく伯爵はハンス先生と仲が良さそうだ。
「ちょっと横になってくれ」
ハンス先生がそう言うと、数人のメイドが伯爵の体位交換を手伝った。本物のメイドというものを初めて見た。メイド服がかわいい。ハンス先生がゆっくり伯爵の足を持ち挙げると、すぐに伯爵の顔がゆがんだ。
「痛い痛い、しびれるよ」
「じゃあうつぶせになってくれ」
伯爵はハンス先生に言われるがまま、うつぶせになった。
「ベルナール、今日はこの魔族の娘、グレアの治癒魔法でお前を治してみたい。やってみてもいいか」
ハンス先生がそう言うと、伯爵の周りの人達は明らかに動揺していた。しかし伯爵は何も気にしていないようだ。
「最近巷で噂になっている膝を治すやつだろ。よしやってくれ、おまえとグレアさんに任せた」
伯爵はそう言って笑った。
ハンス先生は持ってきたカバンから腰の骨の模型を取り出してわたしに言った。
「この病気は椎間板ヘルニアと言ってな、この背骨と背骨の間にある椎間板というクッションの役割をしているものが飛び出し、脇にある神経を圧迫することが原因だ」
ハンス先生は模型で椎間板を指し示しながらさらに続ける。
「本来なら手術でこの飛び出した椎間板の出っ張りをとってしまいたいところだが、この世界ではそういうわけにもいかん。魔法でやれるか?」
「やってみます」
最近何人もの患者さんの膝を治した自信が、わたしを前向きにさせる。
「ここだ、ここの椎間板だ」
ハンス先生が指で背骨の場所を示す。
わたしはそこに手のひらを向け、椎間板の出っ張ってしまったところを取り、椎間板自体を再生させるイメージで魔力を込めた。魔力を込めた背骨の部分が淡く光ったのを見て、周りの人達が感嘆の声をあげる。
魔法をかけ終わったのを見て、ハンス先生があおむけにした伯爵の足を先ほどのように挙げてみる。どれだけ挙げても伯爵の顔はゆがまない。
「おいハンス、全然痛くないよ」
魔法は成功した。ハンス先生は、神経はダメージを受けているはずだからまだ安静にしておいた方が良いと言った。しかし伯爵は大喜びで、メイド達にベッドのリクライニングを上げてもらい、宴会しようと言い出した。
「いやあ、グレアさん、ありがとう!」
伯爵はわたしに何度も握手をして頭を下げてくれた。患者さんを身分で差別するわけではないが、伯爵という身分が高い人に感謝されるというのはものすごく感激してしまう。自分にも存在価値があるのではと思える。最初、貴族は魔族の治療など嫌がるかと思っていたが、そんなことはなかった。いや、この伯爵が特別なのだろうか。
ハンス先生も最初は止めていたものの、結局伯爵のベッドを囲んで宴会になってしまった。伯爵は途中からは普通に歩き回り、ハンス先生と山登りの話をしながら酔っぱらっていた。わたしはお食事をいただいたが、生きてきて一番おいしいお料理だった。
途中で、女のわたしでもうっとりするくらい綺麗な伯爵夫人が話しかけてきた。
「あのハンス先生を禁酒させるなんてどんな方かと思ったけど、こんなお美しいお嬢さんだったなんて納得ですわ」
伯爵夫人が教えてくれたところによると、毎日晩酌を欠かさないハンス先生が、診療所の前で倒れていたわたしを治療していた三日間はお酒を断って、治療に専念してくれていたらしい。わたしが回復してきた四日目の夜に、伯爵の屋敷に往診に行った際にようやく禁酒を解除したそうだ。
ありがたいとは思ったが、たった三日間の禁酒ですごいことのように思われるって、ハンス先生はどれだけ酒好なダメ医者と思われているのだろうと思った。
でも今日は、憧れていた伯爵家のお屋敷でご馳走になったし、とても綺麗な伯爵夫人とお話しさせてもらったから、ハンス先生には感謝しておこう。




