04.橋の下
この橋の下に隠れて三日目になる。
ここは、川に架かる橋の付け根にあるわずかな空間で、すぐ下は急な護岸の壁が川に続いていた。不用意に寝返りを打てば川に転がって落ちてしまいそうだ。しかし、急峻な山の中で暮らしていた魔族の血のせいか、外敵から守られている気がして安心する。
昨日から体が熱い。かなり熱があるようだ。雨に濡れた体のままでいたせいだろう。おまけに咳が止まらない。見つからないようにと咳を我慢すればするほど咳がとまらなくなる。
自分の近くをドブネズミ達が心配そうに這いずり回る。蝙蝠とかドブネズミとか、人間が嫌いなものに好かれる特性が魔族にはあるのだろうか。
街中でロベール達がわたしを探し回っているかと思うと恐怖でしかない。いつまでここに潜めば諦めてくれるのだろうか。
橋の下に隠れて五日目。自分がかなり消耗してきているのを感じる。熱は相変わらずだし、咳は、ボコボコという何か変な咳になってきた。水は指から魔法で出せるので困らなかったが、もう何も食べていない。ドブネズミ達がわたしを心配してミミズをたくさん持ってきてくれた。
「ドブネズミさんありがとう。でも、わたしはミミズは食べられないの」
わたしがそう言うと、ドブネズミ達はミミズを持ってどこかに行ってしまった。
橋の下に隠れて六日目の夜、ふと見るとドブネズミ達が1000ゼニー紙幣を持ってきてくれた。ミミズが食べられないとお金、しかも紙幣を持ってきてくれるなんて驚きだ。これで薬でも買いに行かないと、きっとわたしはこのまま死んでしまう気がした。
ドブネズミ達にお礼を言うと、わたしは紙幣を握りしめて橋の下から夜の街に出た。
監禁されていた倉庫から、やみくもにかなり走ってたどり着いた橋ではあったが、ここも街の中心部から離れた場所だった。明かりも少ない。歩き始めて分かったことだが、わたしはもう歩くこともやっとの状態で、普段なら平気な暗い場所も、かすんでしまって良く見えない。
『転がる雌豚亭』の町にあった薬局は、商店街の中にあった。この街でも商店街さえ分かれば薬局にたどり着けるはずだと思って歩くが、自分でもあきれるほどゆっくりとしか歩けない。素足で歩く石畳が冷たい。もう限界だ、と思って手をついていた傍らの古びた建物を見ると、『便所坂診療所』と書いてあった。診療所という言葉に安心したのか、わたしはその場で崩れ落ち、気を失ってしまった。
気が付くと、あまり柔らかいとは言えないが、清潔なシーツの敷かれたベッドでわたしは寝ていた。そこは雑然といろいろなものが置かれた、お世辞にも綺麗とは言えない部屋だった。窓に面した机では、よれよれの白衣を着た男性が何か本を見ながら書き物をしていた。
「気が付いたか。悪いが体を拭いて着替えさせてもらったよ。あまりにも臭くてな」
メガネをかけ、無精ひげを生やした50歳くらいだろうか、疲れた感じのおじさんがこちらをちらっと見てそう言った。
「おまえ魔族だろ。俺は魔族の患者は診たことがないから分らんが、人間に効く薬はどうやら魔族にも効くようだ。その机の上の薬を飲んでおけ」
ベッドの脇に置かれた小さな机には、白い紙に包まれた薬とコップに入った水が置かれていた。その隣には、くしゃくしゃになった1000ゼニー紙幣が置いてあった。ふと気づいてみれば、熱も下がっている感じがした。この医者? が治療してくれたのだろうか。この医者も、わたしが美少女だから助けてくれたのだろうか。
「あの、わたしを助けていただいたのでしょうか。ありがとうございます」
おじさんが喜びそうなかわいらしい笑顔を作ってそう言うと、その医者はこちらを振り返って言った。
「ふざけんな。わざわざうちの診療所の玄関前で倒れやがって。玄関先で患者に死なれでもすれば、ただでさえ閑古鳥が鳴いているのに、誰もうちに来なくなっちまうじゃねえか!」
医者はそう言うと、こちらにやって来て、わたしのおでこに手を当てた。
「熱は下がったみたいだな」
聴診器を白衣のポケットから出すと、医者はわたしの胸に聴診器を当てた。
「胸の音もだいぶ良い。これなら大丈夫だろう。お前もうちょっとで死ぬとこだったぞ」
「ありがとうございます。だいぶ体が楽になったような気がします」
「玄関先で倒れているのを発見してから三日三晩意識が戻らないから心配したよ。あ、まずその薬飲んどけよ」
そう言うとその医者は、机に戻ってまた本を見ながら書き物を始めた。
何かいつものおじさん達の反応と違う。わたしは上半身を起こし、小机の白い紙の包みに入った粉薬を、コップに入った水で飲む。ものすごく苦い。
「起きられるか。起きられるならそっちの奥に浴室があるから風呂に入れ。お前の髪がガビガビで臭くてかなわん。ゆっくりでいいから無理すんなよ魔女っ娘」
医者はこちらを振り返りもせずにそう言った。
こんな美少女に臭いって言うなんて何て失礼なおじさんだと思ったが、久しぶりのお風呂は最高だった。熱い風呂は病み上がりには良くないとのことで温めのお湯だったが、本当にさっぱりした。思い起こせばこの異世界に来てからお風呂に入ったのは初めてだ。やっぱりお風呂は良い。
お風呂から出ると女性用の下着とワンピースが置いてあった。
「悪いな、死んだ女房の下着と服だが良かったら着てくれ」
少し大きかったが、何とか着られた。やっぱりまだ体調が回復しきっていないのか、くらくらする。
「しばらくおとなしく寝てろ魔女っ娘」
魔女っ娘って言い方はどうだろう。わたしは魔族の娘ではあるが魔女ではない。『転がる雌豚亭』にいたおじさん達はわたしにもっと優しくしてくれた。何なんだこのぞんざいな態度は。助けてもらって何だけど、口も悪いしわたしはこの医者ちょっと苦手かも。
またわたしはベッドに横になったが、確かに風呂あがりに寝てみると、さっきまで感じなかったが布団が臭い。きっと橋の下のドブネズミが這い回るようなところで濡れた体でずっといたわたしは、相当臭かったのだろう。ちょっと恥ずかしくなった。
それにしてもこの診療所は人が来ない。元の世界の日本で見かけた駅前の小児科などは、結構混んでいるイメージがあったが、この世界ではこれが普通なのだろうか。
日も暮れかけた頃、やっとお客さんがやってきた。
「やあ、ハンス先生。こんにちは」
「ああ。クレメンスさんどうも。いやあ、最近物価も上がって困りますなあ、あははは」
「息子を助けてもらったハンス先生にこんなことを言うのは申し訳ないのですが、例の借金、利息だけでもお返しいただけないでしょうか」
「あ~、分かっています分かっていますとも。今月末にはまとまったお金が入る予定なんです。今月末にはお支払いしますから」
「先月も、先々月も同じようなことをおっしゃっていたような……」
「今は患者が寝ているんです。また今度お話は伺います。さあ、お引き取りください」
そう言って医者はお客を追い出した。今日初めて来た客は借金取りだった。
この診療所は本当に大丈夫なのだろうか。わたしが布団からじっと見ていたことに気づいたのか、医者はあわててこう言った。
「何見てんだよ魔女っ娘。開業医は往診で儲けるんだよ往診で! 往診行ってくるから留守番しとけ!」
そう言って医者はカバンを持って出かけてしまった。患者に診療所の留守番をさせる医者ってどうなんだろうか。やっぱりわたしはこの医者のことが嫌いだ。




