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洞窟暮らしの魔族の娘に転生しても、皇子様と結婚したい  作者: 渓夏 酔月


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39.愛する人

「アベル様、抱きしめてください」


「どうしたんだい、グレア。いいよ、こちらにおいで」


 アベル様はわたしを抱きしめてくれた。アベル様はとってもいいにおいがする。


「ねえ、アベル様。アベル様はわたしが街に出て、国民を治療に行くことは反対ですか」


 アベル様はわたしの頭をなでてくれながら言った。


「う~ん、よく分からないな。そう言うことはおばあさまや父上に聞いた方が良いと思うよ」


 アベル様は優しく微笑みながらわたしにそう答えた。


 わたしは欲深い女なのだろうか。それとも嫉妬深い女なのだろうか。元の世界で恵まれなかったという想いが、わたしにそうさせているのだろうか。


 春には小さいとはいえ王国の、皇太子妃になることが決まっている。もう国民にも発表された。周りの国々からのお祝いの品も届きだした。


 国母陛下、国王陛下に王妃殿下もわたしを信頼し、世継ぎを産むことを期待してくれている。アベル様もわたしに優しくしてくれる。これは転生する際に、女神様に期待したことが全部かなえられたということではないだろうか。


 元の世界では『デブス』と呼ばれて蔑まれ、彼氏の一人も出来なかった。それが今では毎日侍女にかしずかれ、ドレスを着て宝石を身にまとい、王宮内を歩けば誰もが頭を下げる皇太子の婚約者。恋敵の伯爵令嬢も蹴落とした。


 これ以上何を望むというのだろうか。


 もともとこういうのを望んでいたのではないだろうか。


 最近思い出すのはハンス先生との日々だ。いろいろな患者さんを治療し、感謝された。感謝されるたびにわたしが、わたしの存在が肯定されていくような気がした。何物にも代えがたい充実した日々。わたしは結局何がしたいのだろうか。これって、いわゆるただのマリッジブルーというものなのだろうか。


 吹雪の日もすこしずつ少なくなり、季節は確実に春へと向かっていた。春になれば冬の間閉ざされていた国境は開き、きっとハンス先生はこの国から出ていってしまうだろう。その時わたしはこの国で皇太子妃となり、もう二度とハンス先生と一緒に患者さんの治療をすることは出来なくなるだろう。


 春の婚礼が近づくにつれ、多くの人がご機嫌伺にわたしに会いたがった。わたしは作り笑いだけが上手くなっていった。


 そんなある夜、わたしの部屋の外で侍女と誰かが言い争う声がした。ハンス先生が来た。わたしはすぐにそう思った。


「申し訳ありませんがお引き取りください。以前から何度も言っているように、ここに先生を通すことは国母陛下から禁じられています」


「いや~、それは知っているけど、ちょっとだけでいいんだよ。なあ、いいだろちょっとだけ。すぐ済むからよ」


「お通ししなさい」


 わたしは侍女に言った。


「しかし、国母陛下から先生をグレア様に会わすなときつく言われています。これはグレア様の御命令でも聞くわけにはまいりません」


 この時、普段はわたしの言うことを何でも聞いてくれる侍女達が、国母陛下の命令でわたしの動向を監視しているというのがよく分かった。


「ほんの少しの時間でよいのです。これでもわたしの言うことが聞けないというのですか」


 そう言ってわたしは指先からライターのような小さな炎を出した。


「ひいいっ」


 そう言ってその侍女は逃げて行った。


「ハンス先生、ここでは何ですから、あっちの小部屋に行きましょう」


「おい、いいのか」


 わたしはハンス先生の腕を引っ張って、普段は使われていない小さな部屋に入った。この部屋は暖房が入っていないので寒かった。ローソクで明かりを灯す。


 わたしはハンス先生をまじまじと見る。何か、何年も会っていなかったような気がする。


 気が付いたらわたしはハンス先生に抱き着いていた。


「ハンス先生、会いたかったです」


 わたしは泣いていた。泣きじゃくるわたしを、ハンス先生は抱きしめてくれた。


「よしよし、よしよし。大変だったな、大変だったな」


 ハンス先生はそう言って慰めてくれた。ちょっとお酒臭い、ハンス先生の懐かしいにおいがした。


 わたしが落ち着くのを待って、ハンス先生が言った。


「実はな、明日からエルフレッド山に行こうと思ってるんだよ。お前と登ったエルフレッド山、覚えてるだろ」


「はい。忘れようと思っても忘れられません」


「あの山の頂上からウドテル方面の斜面をスノーボードで滑ってみようと思うんだよ」


「あの岩壁を滑るんですか!?」


「ああ、今なら結構雪がついて、良い斜面になっているんじゃないかと思ってな」


 わたしがこんなに悩んでいるというのにハンス先生は相変わらずだ。思わず笑ってしまった。


「エリーゼたちも一緒に行くんですか」


「バカ言え、一人で行くんだよ。エリーゼやメアリーなんか、あんなところに連れて行ったら死んじまうよ」


 ハンス先生は寒そうにしながら言った。


「まあ、結構危険な滑走になるだろう。ひょっとしたらやられちまうかもしれねえ。それで一応、最後にお前に会っとこうと思ってな」


 なんてひどいことを言う男なのだろう。相変わらずだ。


「それって死んじゃうってことですか。ハンス先生が死んじゃうなんて嫌です」


「死なないよ。死ぬもんか。でも、万が一ってこともあるからよ」


 わたしは再びハンス先生に抱き着いた。


「死んじゃ嫌です。わたしはハンス先生がいなかったら生きていけません」


 わたしは泣きじゃくった。


「わたし、ハンス先生のことが好きです。大好きです。愛しています。ずっと前から」


 思わず自分の中から飛び出して来た言葉にびっくりして、泣き止んでしまう。


「ありがとよ。ありがとグレア。その言葉だけで十分だよ」


 ハンス先生はわたしの目をまっすぐに見て言った。


「お前、貴族になりたかったんだろ。皇子様と結婚したかったんだろ。お前の夢は目前じゃねえか。こんなおっさんに引っかかってる場合じゃないんだよ」


「わたし、自分のやりたいことが分からなくなってきたの。どうすればよいのかわからないの。ハンス先生は全然会いに来てくれないし。ひどいです。ハンス先生ひどいです」


 もうわたしは自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。


「ごめん、会いに来なかったのは謝る。ごめんな、もっと早く来ればよかったよ。なあ、グレア。お前は自分の本当にやりたい事をしろ。意外と自分のやりたいことっていうのは良く見えないものなんだ。自分に正直によく考えてみろ」


「グレア、俺は元の世界で医者をやっている時に、患者のために頑張るのが俺のやりたいことだと思っていた。そう信じていた。でも、過労死して思ったんだ。これが本当に俺のやりたいことだったのだろうかって。一人で俺を育ててくれたおふくろを残して先に死んじまってまで、過労死することが俺の本当にやりたかったことなんだろうかって」


 ハンス先生が真剣に話してくれる。わたしはハンス先生の目を見つめる。


「結局、おれはいろいろと囚われていただけじゃないかって思ったんだよ。医者というのは患者のために尽くすべき、患者のために尽くしている医者はかっこいい、部下にも信頼されている、なんて外から自分を見ている視線にな」


「そんなの結局どうでもよかったんだよ。結局は誰かにどう見られているかなんてどうでもよかったんだよ。大切なのは自己満足だ。自分がどれだけ楽しんでいるかなんだ。人生はエゴイストであるべきなんだ」


「よく医者は患者の命がかかっているから重要な仕事だ、って言う。確かにその通りだが、一番真剣になるときは患者の命がかかっている時より自分の命がかかっている時なんだ。一番真剣になれるほうが楽しいに決まっている」


 ハンス先生は急にふっと笑って言った。


「とまあ、これは俺が山に行ったり海に行ったりする言い訳なんだけどな。要は、自分のやりたいことを見つけてエゴイストに生きろってことだ。自分の人生に責任持てるのは自分しかいねえからな」


 わたしは何か、ハンス先生が今度の山で死んでしまうのではないかと思って急に不安になった。


「じゃあな。俺はそろそろ行くよ。皇太子様の婚約者とこんな夜中に密室で長いこと居たら変に疑われちまうかもしれねえからな。おっと、この前は酒ありがとな。美味(うま)かったよ」


 部屋から出て行こうとするハンス先生の腕を引っ張ってこちらを振り向かせると、わたしはハンス先生に口づけをした。ハンス先生がびっくりして固まっているのが分かる。


「ハンス先生、死なないで」


「死なないよ。グレア、愛してるぜ」


 そう言ってハンス先生は部屋から片手を挙げて出て行った。


 ハンス先生、そう言うのは冗談めかして言わないでください。卑怯です。




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