29.ウドテル錦
「これは、何と言ってお礼を言ったら良いのやら」
バルガルド様が自分の足を見てそう言った。
切開から一週間後、腫れの治まった筋肉を皮膚の中に戻し、皮膚を元通りにくっつけた。あんなにでろでろと飛び出ていた筋肉が、徐々に腫れが治まって小さくなっていった。人間の体ってすごいと思った。
バルガルド様の足が切断することなく治ったという話で、王宮内はもちきりになったそうだ。ハンス先生は500万ゼニーをもらってすぐに帰りたさそうにしていたが、国王陛下から呼び出しが来てしまった。
「まいったな~、金もらわないでいいから逃げ出すか」
ハンス先生は苦り切っていたが、それを察してだろうか、王宮内でわたし達が泊めさせてもらっている部屋の護衛が多くなった。
案内の人に連れられて、ハンス先生とわたしが国王陛下に謁見したのは玉座が据えらた大広間だった。多くの貴族が左右に並んでいる。まさに、元の世界のアニメで見たことのある、王との謁見の場だ。
「医師ハンスとその助手グレア、面を上げよ」
国王陛下の言葉に、ハンス先生とわたしは顔を上げた。国王陛下は優しそうなおじい様だった。
「ハンス先生、騎士団長の足と命を救ってくれたそうだな。わしからも礼を言おう」
「滅相もございません。バルガルド様の国家に貢献したいという強いお気持ちが彼の足を救ったのです。ですから私共は報酬をもらってさっさと……」
「時にハンス先生、我が国とエルブルグが交戦状態にあるのはご存じかな」
「はい、存じております。ですので報酬をもらったらお邪魔にならないようにすぐに帰り……」
「戦場には負傷した兵達が多くいる。その治療を手伝ってはもらえないだろうか」
「いえ、私はお酒を飲まないと死んでしまう体質でして、戦場になどとても……」
「報酬は弾む。しかもすべての王国に轟くウドテル王族にしか飲むことが禁じられている銘酒、『ウドテル錦』を一生好きなだけ飲んで良い権利を与える」
「国王陛下、私は傷つく兵士達を黙って見捨てることは出来ません。どうか手助けさせてください」
結局、わたし達は負傷兵を治療するために戦場に行くことになった。お酒のために命を危険にさらすなんてどうかしている。最近結構ハンス先生のことを尊敬し始めていたのに、呆れてものが言えなかった。
翌日、ウドテル錦をしこたま飲んで二日酔いになったハンス先生とわたしを乗せた馬車は、戦場に向かって出発した。
馬車は王都を出発して三日目、荒涼とした山岳地帯へと着いた。
「ハンス先生、私は軍医大佐のトーチェフと言います。先生の御高名はかねがね伺っております」
そう言って挨拶してくれたのは、黒縁眼鏡の奥に優しそうな眼をしている軍医様だった。
「ここはまだ戦場の外です。明日、最前線の後方にある野戦病院に先生方をご案内します。大したおもてなしも出来ず申し訳ありませんが、今日はここでゆっくりとお休みください」
案内された宿舎は、意外にも小綺麗で快適だった。ハンス先生と同室ということを除いては。
「わたし達、何か勘違いされていないでしょうか」
「戦場の外とは言え部屋に余裕が無いんだろ。そんなことより厨房からもらって来たこの料理、うめえな。ウドテル錦とよく合うよ」
あ~、お酒臭い。国王陛下から飲み放題を告げられて以来、本当にずっと飲んでいる。わたしはお酒をあまり飲まないので良く分からないが、そんなに美味しいものなのだろうか。
そんなことより明日は戦場だ。野戦病院は後方にあるとは言え、戦場であることには違いない。戦場に行くなんて初めての経験だ。元の世界でテレビの画面では見たことはあるが、明日自分が実際に行くとなるとこんなにも恐ろしいものかと思ってしまう。
ハンス先生は、戦場の医者は兵士を治してまた戦場に出すようにすることが仕事だから、医者としては悲しい仕事なんだと言っていた。わたしはこれからいったいどんな経験をするのだろう。
緊張して全く眠れない中、布団の中でじっとしていると、遠くから馬の嘶きと剣戟の音が聞こえた。怒声や鬨の声もする。ハンス先生は高いびきで寝ている。起こしたほうが良いだろうかと思っていると、宿舎の扉がバーンと開いてトーチェフ様が入って来た。
「ハンス先生、グレアさん、逃げてください。敵襲です!」
「……もう飲めないよ」
「ハンス先生、寝ぼけている場合ではありません! 敵襲です!」
「どうしたんですか、トーチェフ様」
「グレアさん、大変です。夕方に前線の兵士が王妃軍に向かって、『うちにはハンス先生とグレア様っていう凄腕の医師が来たからな、もうお前達なんか怖くないぞ!』と挑発したのです。そうしたらいきなり王妃軍が鉱山への攻撃をやめて、全兵力をこの宿舎めがけて投入したらしいのです。もう、訳が分かりません!」
……王妃様、相当わたし達のこと嫌っている……狙いはわたし達だ。
「早くお逃げください、我々も離散して撤退します。ここはわずかな守備兵しかおらず、とても支えきれません。放棄します」
わたしはハンス先生を叩き起こし、それでもウドテル錦の酒瓶を離そうとしなかったので叩き割って言った。
「ハンス先生、いい加減にしてください! 命あっての物種です! 逃げますよ!」
真っ暗闇の中、わたしの視力が役に立った。ハンス先生を引っ張って大混乱の戦場をひたすら走って逃げた。さっきまで恐れていた戦場が突然やってきた。戦場では、もう何も恐れている余裕などはなかった。




