24.急患
「ニコル先生、ニコル先生、夜分遅くすいません。先生!」
診療所の扉の外から切羽詰まった声がする。
わたしが扉を開けると、父親が18歳の娘を抱えて立っていた。以前この診療所に来たことのある漁師のガードナーさんだった。
「ガードナーさん、どうされました?」
「ああ、グレアさん、ニコル先生はいないか。娘が大変なんだ」
「とりあえず、娘さんをここに寝かしてください」
診察室のベッドに娘さんを寝かせてもらうと、わたしはニコル先生とハンス先生が不在のことを伝えた。
「ああ、もう、サバの刺身なんて食べさせるんじゃなかった」
ガードナーさんが言うには、今日のお昼に自分の獲ってきたサバの刺身を娘に食べさせたところ、夜になってお腹を痛がり出したらしい。最初は大したことはなかったが、徐々にひどくなってきたらしい。原因は虫だと思うが、全然良くならないとのことだった。
これはさっきとおなじアニサキスだろうか。アニサキスを胃壁からはがすのは意外と簡単に出来た。あれなら自分一人でも出来そうだ。
「ガードナーさん、先生たちは不在にしていますが、虫を取ることならわたしの魔法で出来ると思います。治療させていただいてもいいですか」
「あんたにそんなこと出来るのかい! 頼むよやってくれ」
わたしは手のひらを娘さんのお腹に向けると魔力を込めた。お腹のあたりがぼうっと光る。さっきやったばかりなので、すぐに胃がどこにあるか分かる。わたしは胃壁をくまなく探す。さっき取ったアニサキスをイメージして探す。探す、探すけどどこにもいない。
自分がものすごく動揺しているのを感じる。胃の中にいない。わたしが見落としているだけなのだろうか。もう一回一通り探してみるが見つからない。ハンス先生がさっき言っていた、十二指腸というところにいるのだろうか。それがどこにあるのか聞かなかったが、きっと胃の先だろう。
娘さんが痛がってふうふう言っている。
胃から十二指腸に向かって探していくと、やたら狭いところに遭遇した。この先は何か腸の構造が違う感じがした。よく分からない。ハンス先生、どうすればよいのでしょうか。不安になる。
「グレアさん、虫は、虫は見つかりましたか」
「す、すいません。もう一度探してみます」
額から汗が零れ落ちる。全身汗でぐっっしょり濡れている。いくら探してもアニサキスが見つからない。緊張のあまりどうして良いか分からなくなってきた。
もう何回目になるだろう。また最初の胃の上部からアニサキスを探していく。娘さんはさっきより明らかにもっと痛そうにしている。
どうしよう、見つからない。何がいけないのかが分からない。こういう時に次にどうすればよいのかわからない。ハンス先生、助けて、助けてください。
わたしがもう泣き出しそうになった頃、診療所の扉が開いて、香水のにおいをぷんぷんさせたハンス先生とニコル先生が酔っぱらって帰ってきた。
「ハンス先生、アニサキスが見つからないんです!」
気が付くとわたしは叫んでいた。
するとハンス先生とニコル先生は、酔っぱらった足取りから一転し、すぐにわたしのところにやってきた。
「グレア、いったん魔法を中止しろ。経緯を説明しろ」
「はい、ガードナーさんの娘さんは、ガードナーさんが獲ったサバのお刺身をお昼ごろ食べたそうです。そして夕方からちょっとずつおなかが痛くなってきて、先ほど23時頃、来院されました。わたしはアニサキスかと思って胃や十二指腸? を探しましたがいくら探しても見つかりません」
「そうか。大変だったろ。一人でよくやった。ちょっと俺が診察してみる」
わたしはハンス先生が診察しやすいように後ろに下がる。ああ、助かった。ハンス先生が神様に見える。
診療所の扉が開いて、ガードナーさんの奥さんもやってきた。
「娘はどうなんですか、大丈夫なんですか」
「はい、わたしが治療を試みたのですがうまくいかなくて……申し訳ありません。今ちょうど帰宅したハンス先生が診察しています」
ハンス先生がニコル先生と話し合っている。
「ガードナーさん、悪いけど、娘さんのケツの穴に指を入れて診察してもいいか」
「ハンス先生、いくら医者と言っても嫁入り前の娘にそんなことさせるわけねえだろう」
ハンス先生、いきなり何を言い出すのかと思えば。そんなむちゃくちゃな診察方法なんてあるのだろうか、ガードナーさんが気色ばむのも当然だ。
「ハンス先生、それは必要なことなのかい?」
ガードナーさんの奥さんが聞く。
「腹の上からの診察では限界がある。しかも女の体は男よりも複雑だ。ケツから指を入れて痛みの正確な場所を特定したい」
「だからと言って、嫁入り前の娘に……」
「あんたはおだまり!」
ガードナーさんは奥様の一喝に黙り込んだ。
「あんたが漁のことに対してハンス先生にああだこうだ言われたくないだろう。お医者のことはお医者に任すのが筋ってもんだ。ハンス先生、娘を助けるために必要なことだと思うならやってください」
ガードナーさんの奥さんは肝が据わっている。こういう時は母親のほうがしっかりしているのだろうか。
「これは直腸診と言って、腹部の診断には重要な診察なのです」
ニコル先生がそう補足する。
「じゃあ、お任せします。娘を助けてください」
ガードナーさんがそう頭を下げた。
わたしがシーツを上げて、娘さんが見られないようにする。ハンス先生が直腸診を行った。ハンス先生がニコル先生と相談している。
「これは、虫垂炎だ。俗に盲腸って言われているやつだ」
ハンス先生がそう告げると、ガードナーさん夫妻ががっくりとうなだれてすすり泣き始めた。
盲腸って、そんな大した病気だっただろうか。わたしは死刑宣告でもされているようなガードナーさん夫妻の反応に驚いた。
「元の日本じゃ簡単に手術で治る病気だが、手術が出来ないこの異世界では、この病気になった人の多くが亡くなる死の病さ。しかも若い人が突然なったりするものだから、結構恐れられているのさ」
ハンス先生がわたしに説明してくれたが、みんなにも聞こえるようにそう言った。
「だが、今はお前がいる、グレア。アニサキスじゃなかったからって下を向くな。お前は一人でよく頑張った。これから挽回の時間だ」
ハンス先生はそう言うと、ガードナーさん夫妻に向き直って言った。
「盲腸はこの世界では死の病だ。だが、俺達になら何とか治せるかもしれねえ。頼む、人体実験させてくれねえか」
「人体実験って、具体的に何をするんですか」
ガードナーさんの奥様が聞く。
「具体的に言うと、腹を切って腹の中の盲腸を切り取るのさ。普通なら痛さに耐えられないし、手術したくても道具も無菌的な操作もこの世界では難しい。でも、グレアの魔法ならそれが出来ると思う。初めてやることだから人体実験になっちまうが、娘さんの命を救うにはこれしかねえ」
「……分かりました。ハンス先生、娘をお願いします」
ガードナーさんの奥様はそう言って頭を下げた。ガードナーさんはただおろおろしていた。母は強しだと思った。
「ハンス先生……本当にやるんですか……」
「ああ、ニコル。俺はやる。やってやる。今の俺にはグレアがいる」
わたしはハンス先生にそう言われて、心が震えるほど嬉しく感じた。
「グレア、頼めるか」
「はい先生。わたし、ハンス先生のご期待に応えるよう全力を尽くします」
わたしはハンス先生の目をまっすぐ見てそう答えた。
わたしの存在意義はここにある。そう思った。




