23.腹の虫
ニコル先生はとても患者さんから人気があるようだ。
ハンス先生と違ってとても丁寧で優しい。
わたしが患者さんの衣服を持ち上げるのを手伝ったり、包帯を巻いたりすると、すぐにありがとうと微笑みながら言ってくれる。
「グレアさんは優秀だね。すごく助かるよ、ありがとう」
ああ、ハンス先生にニコル先生の爪の垢でも煎じて飲ませたい。ハンス先生と言えば、この診療所に居候を始めてからニコル先生の手伝いをすることもなく、毎日早朝、いや夜のうちから釣りに出かけている。
いっそここに転職でもしようかと思い、診療所の窓から見えるエメラルドブルーの海を見ていたら、巨大な魚を抱えたハンス先生が帰ってきた。
「ブリが釣れたぞ~!」
ハンス先生がドヤ顔で1m以上あるブリを両手で抱えている。本当にブリって釣れるのだと思った。
全く料理は出来ないのに、ハンス先生は魚をさばくのは上手かった。
夕食はブリの刺身に照り焼き、ブリしゃぶとブリ尽くしで、釣ったお魚というのはこれほど美味しいのかと思った。海の近くに住むというのも良いかもしれないと思っていたところに、患者さんが来た。
「ニコル先生、娘が虫にあたっちまった」
父親に連れられてきたのは15歳の女の子で、お腹を押さえてウンウン唸っている。
「カルネーさん、娘さんをそこのベッドに寝かして。何をいつ頃食べたのか教えてください」
わたしが掛け布団をとったベッドに、父親が娘を横に寝かした。
「今日は俺が獲ってきたサバの刺身を娘が食ったんだ。今から3時間ぐらい前かな。そうしたらさっきから急に腹が痛いと言い出したんだ。結構虫には気を付けていたんだがなあ……」
ニコル先生が娘さんを診察する。
ハンス先生が声を掛ける。
「アニサキスか?」
「……多分」
ニコル先生が父親に言う。
「おっしゃる通りサバの虫にあたったようですね。痛み止めを出しますが、我慢して虫が離れるのを待つしかありません」
「先生、大丈夫なのか。先月ボルの奴はそれで胃に穴が開いたじゃないか」
「ですが、カルネーさん。お分かりの通りそれしか手は……」
「ちょいとごめんよお父さん、俺にも診察させてもらえるかい?」
「誰だお前さんは」
父親は怪訝な顔でハンス先生を見る。
「カルネーさん、彼はわたしの友人のハンス先生です。王宮に招かれるような高名な医師ですよ」
物は言いようだとわたしは思った。挙句に地獄牢に入れられて国外追放されたけど。
「そんな偉い先生とは知らず失礼しました。ぜひお願いします」
父親が頭を下げると、ハンス先生は娘の診察をし、ニコル先生と話している。
「お父さん、ニコル先生の言う通り、通常はこのサバの虫は、虫が諦めて噛付くのをやめるのを待つしかない。お父さんだって海の近くに住んでいるから分るだろ」
「ああ、これはここらじゃ珍しくない。でも、先月ボルってやつがこいつが原因で胃に穴が開いたとやらで大変な目に遭ったんだ。それで心配で診てもらいに来たんだよ」
「そりゃ心配だろう。どうだいお父さん、人体実験やらせてもらうことは出来ねえだろうか」
「人体実験?」
父親は目を丸くしてハンス先生を見る。ああ、いつものことながらもう少し優しく伝えることは出来ないのだろうか。ニコル先生に頼めば爪の垢ぐらいもらえそうだ。
「ああ、これは知っての通り、サバに寄生する寄生虫が胃に噛付いて起こる痛みだ。通常はそいつが離れるのを待つしかないが、その虫をこの俺の助手に魔法で取らしてみたいんだよ」
父親はびっくりした顔でわたしを見る。ニコル先生が優しく伝える。
「グレアさんは魔族で、魔法を使って治療が出来るそうです。それで王宮にも招待されているんですよ。どうですか、お願いしてみては」
「……へえ、お嬢さん魔族なのかい。魔法とは恐れ入ったよ。まだそんなもの使える人がいたなんてな。ニコル先生が言うなら間違いない、お願いします」
この辺りの住民からのニコル先生への信頼は絶大らしい。
「よし、グレア、よく見てみろ」
ハンス先生は紙に絵を描いてわたしに教えてくれた。
「胃って言うのはこんな形をしている。この壁のどこかにこのくらいのちんちくりんなアニサキスって言う虫が、頭を突っ込んで噛付いているはずだ。こいつを引きはがしてつぶしてしまえ、出来るか」
「やってみます」
わたしは女の子の鳩尾のあたりに手のひらを当てて魔力を込めた。女の子の鳩尾のあたりがぼうっと光り、父親が驚きの声を上げる。
「胃に虫が突き刺さっているのが分かるか? もしいなかったらその先の十二指腸にいるかもしれねえ」
わたしは胃壁に噛付いている小さな虫をイメージし、胃の中をくまなく探す。
「見つけました。胃壁にいます」
何となく白い小さな虫がいるような気がして、魔力でそっと胃壁から引きはがす。かすかに取れた感覚がした。虫に少し力を加えて潰しておく。
「取れました、ハンス先生」
女の子を見てみると、急に憑き物がとれたように痛みを訴えなくなった。
「ニコル先生、ハンス先生、それにグレアさん、ありがとう!」
父親が涙を流して喜んでいる。ああ、わたしのお父さんも洞窟で元気で暮らしているのかな。今晩は久々に蝙蝠達を呼んでみよう。
娘がすっかり良くなったことに気をよくした父親は、ニコル先生とハンス先生に一杯おごりたいと出かけて行った。わたしも一応誘われたが、何となく女性が接待するようなお店に行く雰囲気が感じられて、丁重に断った。全く男の人というのはどうしようもない。
わたしは、大掃除をして最近やっと片付いた二階の自分の部屋の窓を開けた。夜の海に月の光が映って綺麗だ。わたしが少し念じると、どこからか一匹の蝙蝠が飛んできた。
「お父様に伝えて。わたしは今、ウドテル王国の海辺の診療所で働いています。お父様は海を見たことはありますか。とても綺麗でお魚がおいしいです。お父様やお母様はお元気でしょうか。お体を大切にしてください」
「ナガイ……オボエラレナイ」
「そんなに長いかしら。じゃあ、これでお願い。わたしは今、ウドテル王国の海辺の診療所で働いています。元気です。お父様、お母様は元気ですか……これでどう?」
「オットウトオッカアハゲンキカ」
そう言うと蝙蝠は飛び去って行った。ダメな個体にあたったようだ。
そんなことをしていると、下から診療所の扉をたたく音がする。もう深夜だというのに何事だろうか。




