19.監獄ロック
温泉に入った人が死んでしまうという呪い。
にわかには信じがたいが、自分がこのドロッとした氷のように冷たい水に浸かり、発狂しそうになった経験からすると、あり得ないこととは思えなかった。
わたしは少しの時間ですら耐えられなかったのに、この地獄牢に入れられた人は、もっと長時間この苦しみを味わい、発狂してこの暗い水に沈み、死んでいったのだろう。
いかばかりの無念、怒り、悲しみだろう。もの凄い恨みを残して死んでいったに違いない。地下水脈を通じてその恨みが呪いとなり、温泉に溶け込んで地獄牢の職員の命を脅かすというのは納得できる。
本当は王妃様のお風呂のお湯に、呪いをかけてほしいところだけれど。
「最初は、温泉に入った夜勤の職員が、朝に休憩室で死亡していたのが始まりでした」
トーマス様が思い出すことすら恐ろしそうに言う。
「高齢の職員が多い職場なので、たまたま心臓発作でも起こしたのだろうと、痛ましいことではありましたが、たいして気にはしていませんでした」
「それ以来、温泉に入った者が熱を出すことが続いたある日、もう一人死んだのです」
ハンス先生が呑気にお酒のホットレモネード割りを作っている。
「一人目と同じように、温泉をよく使っていた者が休憩室で死んでいたのです」
トーマス様がわたしの方を見る。トーマス様の顔が呪われているようで怖い。
「温泉を普段使わない者には、熱が出ることも死者も出ませんでした。それでこれは、地獄牢で死んだ者の呪いが地下水脈から温泉に伝わっているのではという話になり、誰も温泉に入らなくなったのです」
「それだけ温泉に入った人が病気になったり死んでしまえば、普通そうなりますよね」
「そうですグレアさん。誰も温泉に入らなくなって以来、熱を出したり死ぬ者もいなくなりました。そのことが一層、これは呪いだとみんな思うようになったのです」
さみしそうにトーマス様が言った。
「それで、この不人気職場がさらに不人気になり、今では定数10人の職場が、3人しかいません。まあ、誰も最近地獄牢には入ってこないからいいんですが」
「俺達迷惑だった? ごめんね」
「いえいえ、ハンス先生とグレアさんが来てくれたおかげで皆張り切っているからそれはいいのです。温泉が無くなったことでこの職場の魅力がなくなったというか、残念と言うか……」
「気にせず入ればいいのに」
ハンス先生の言葉に呆れてしまう。ハンス先生のような無頓着な人はいません。
「それが、一人だけ気にせず入った者がいたのです……」
トーマス様の言葉にわたしはびっくりしてしまった。ハンス先生のような無頓着な人がいたなんて。
「そして先日、死んだのです」
死体を目の前で見ているような顔で、トーマス様が言う。
「今回の者は、休憩室で死んでいたのではありませんでした。出勤して来ないので、その者の家に私が訪ねたところ、家の中で倒れて死んでいたのです」
これは絶対に呪いだ。わたしはそう確信した。
「私はこれでも一年前に赴任して以来、この不人気職場を働きやすい環境に改善してきたつもりです。それがこんなことになってしまって……呪われた職場なんてあんまりです」
そう言ってトーマス様は肩を落とした。
筋肉隆々とした男の人がしょんぼりしていると、本能的に慰めたくなってしまう。
「そうか、お前さんは一年前に赴任してきたのか」
ハンス先生が聞く。
「そうです」
「お前さんが赴任する前は、そういうことはあったのかい?」
「いいえ。聞いていません」
「前任ってどんな人だった?」
「もの凄く細かい神経質な人で、事務室にちょっとでもホコリがあったり、ちらかっていたりすると職員を怒鳴り散らしていたそうです」
「それがあまり細かいことを気にしないあんたが赴任して、職員は大喜びしたと」
「……そのとおりです」
ハンス先生がにやりと笑う。
「死んだ職員って、死ぬ前に咳とかしてなかった?」
「……確かに、風邪みたいな感じで咳をしていました……ハンス先生、どうして分かったのですか」
「ふうん。俺、もう原因分かっちゃったかも。それ、呪いじゃないよ」
ハンス先生がニヤリと笑いながら言う。
なんだろう。全然分からない。ハンス先生が分かるってことは、何か病気だとでもいうのだろうか。温泉に入ると死ぬ病気……何だろう、そんなの日本にはなかったと思う。
「ちょっと俺に温泉見せてくれ。よかったら一年前からいる職員も一緒に見てもらいたい」
そう言って、ハンス先生はわたし達の入れられた牢獄から出て、事務室の方へ歩いて行った。その後にトーマス様がつづく。
わたしは慌ててハンス先生に言った。
「ハンス先生、この牢って出ちゃってもいいんですか?」
「別に、裁判官の人とかが来たらまた入ればいいだろ」
「じゃあ、何で事務室じゃなくて、わざわざ寒い牢屋の中でお酒を飲んでいたんですか?」
「なかなか牢獄の中で酒を飲む機会なんてないからな。それに言うじゃないか、『酒はロックが旨い』ってな」
そう言ってドヤ顔のハンス先生は、トーマス様と、事務室の方へすたすた歩いて行ってしまった。
監獄とロックと氷割りをかけているのだろうか。うまいことを言ったつもりになってドヤ顔をしているのがむかついた。無視してやりたかったが、ここで一人にはされたくなかったので、わたしも慌てて後を追った。




