14.治療
何よりも驚いたのは、ハンス先生が昨日の夜お酒を飲まなかったことだった。
豪華な料理が出ると、お酒を飲まないと料理に失礼だといつも言っていたのに、昨日は一滴も飲まなかった。ハンス先生の本気に、私も気合が入る。
ハンス先生は王宮の料理長に頼んで、圧力釜でいろいろな機材を煮てもらっていた。これで滅菌(細菌を死滅させること)になるらしい。ハンス先生が元の世界の日本で手伝っていた山小屋の診療所でも、こうやって滅菌していたそうだ。
王宮の一室を手術の部屋とし、ありったけのろうそくで明るくした。小さなベッドに皇女様が横たわる。助手としてモーガン様が手伝ってくれることになった。ハンス先生に言わせると、手術というのはチームワークが重要なので、気心が知れている人のほうが良いとのことだった。
手の消毒を終えたハンス先生が手術室に入り、わたしとモーガン様を見る。
「これより人体実験を始めます。皆様よろしくお願いします」
ハンス先生の宣言で治療は開始された。脇で第二皇子が皇女殿下の手を握っている。
「では、グレア。打ち合わせ通り、まず卵巣嚢腫につながる血管その他を糸で結ぶイメージで結紮し、切り離してくれ」
わたしは手のひらを皇女殿下のお腹に向け、昨日の夜にさんざんハンス先生に教えてもらった人体構造を思い浮かべながら魔力を込める。皇女殿下のお腹がぼうっと明るくなると、モーガン様や第二皇子様が感嘆の声を上げる。
「卵巣嚢腫を切り離しました」
わたしがそう告げると、ハンス先生は言った。
「よし、これからが本番だ」
ハンス先生は皇女殿下のお腹をアルコール度の高いお酒で消毒すると、圧力鍋で滅菌したメスを手にした。
「グレア、この線に沿って感覚を遮断しろ」
事前に皇女殿下のお腹に書いておいた線の周りを、わたしは魔力を込めて痛みを感じないように感覚を遮断するイメージで魔力を込める。
「ハンス先生、出来ました」
わたしがそう言うと、ハンス先生は手に持っていたメスで、線に沿って皮膚を切開した。所々出血する血管を、ハンス先生が考案した機材でパチパチと挟んで止血していく。ハンス先生が丁寧に切り進めていくと、卵巣嚢腫が見えてきた。
ハンス先生は、切開したところを金具で引っ張って広げてわたしに言った。
「卵巣嚢腫をここから取り出せるか。無理ならもう少し切開を広げる。取り出すときはゆっくり取り出すんだぞ。皇女殿下の体は嚢腫がある状態に慣れちまっているから、いきなり取り出すと負荷がかかる」
「分かりました」
わたしはゆっくりと卵巣嚢腫を魔力で持ち上げ、少し回転させてから切開されたところから取り出す。額を流れる汗をモーガン様が拭いてくれる。
少しずつ卵巣嚢腫が外に出てくる。あまりに巨大なその塊に驚く。赤ちゃん位の大きさの、つるっとした丸い塊だった。皇女殿下が苦悶の声を漏らす。
卵巣嚢腫の大部分が出たところで、ハンス先生が手でつかんで脇のトレーに置く。
「気を抜くなよグレア。まだこれからが重要だ」
「はい、ハンス先生」
「まず切開した皮膚をくっつけて元通りにしろ」
「はい」
皮膚の傷を治すのは目で見たそのままなのでイメージしやすい。普段なら何ともないが、魔力をずっと使っているせいで疲労が半端ない。だがここで諦めるわけにはいかない。
「ハンス先生出来ました」
「よし、では腹腔内に入った雑菌をことごとく死滅させるイメージで魔力を込めろ」
「はい」
昨晩ハンス先生に教えてもらったのは、手術の成否を左右するのは細菌感染による術後感染症だそうだ。もうフラフラだったが、最後の死力を振り絞って魔力を込める。
「ハンス先生、出来ました」
わたしは魔力を使い果たしたせいか、気を失ってしまい、倒れかけたところをモーガン様に抱えていただいた。




