11.王宮への招待
診療所を訪れる、膝の痛みを抱えた患者さんは増え続けた。
お金に困らなくなってくると、ハンス先生は宣言した。
「週休三日制にする」
何でも、元いた日本で過労死した経験から、必要以上には働かないと決めたらしい。今までは借金を返すために土日もなく働いていた……とは言っても患者さんはほとんど来なくて開店休業状態だったが、金曜日、土曜日、日曜日は休診日になった。
ハンス先生は休診日になると、泊りがけで趣味の山登りに出かけてしまった。元の日本では大学の頃は山岳部に入っていたそうで、社会人になっても山を登り続けることが夢だったらしいのだ。
わたしは正直これがやりたいという夢が無いし、趣味も特にない。休診日は読書や診療所のお掃除に、プランターの植物の世話をして過ごした。元の世界のブラック企業で死ぬほど働かされていた身としては、こうして自分の静かな時間を持てるのが新鮮だった。
買い物にも行きたかったが、ひとりで外出するのは今でも少し怖い。出かけるのは時々近くの商店で、食料品などの生活物資を買い物する程度だ。
今まで結構目まぐるしくいろいろなことが起こった。休診日に一人になって落ち着いて考えてみると、異世界に来るときは伯爵令嬢や公爵令嬢になって、皇子様と恋に落ちることに憧れていた。
奴隷として売られそうになった時はどうなることかと思ったけど、最近はハンス先生のお友達のベルナール伯爵のお屋敷に行ったし、マリエット様は子爵夫人だ。ドミニク様は騎士団長様なので、きっと部下には若くてかっこいい騎士様がたくさんいらっしゃるのだろう。ちょっとずつ、憧れの世界へと近づいている気がする。
わたし、だんだん運が向いて来てはいないだろうか。このまま多くの貴族とお近づきになり、わたしを見初めてくださるイケメンと結ばれ、伯爵夫人とかになってしまったらどうしよう。社交界とか大丈夫なのだろうか。
一人で妄想してついニヤついてしまう。
そんな折、とうとうハンス先生に王宮からお声がかかった。
古びた診療所の入り口で、華美な服装の王宮からの使者はこう告げた。
「国王陛下がハンス先生をお呼びである。至急王宮までお越しいただきたい」
ハンス先生のことだから拒否するかと思ったら、さすがにしなかった。こういうのを断ると、この世界では死罪になるそうだ。
机の上に置かれた支度金という名目でもらった大量の金貨を前に、ハンス先生は溜息をつく。
「元の日本だって、医者が治せるのは病気のほんの一部。何でも治せるわけじゃないのにこの世界の貴族は何かと要求高いんだよなあ」
そう言ってハンス先生は、以前糖尿病の貴族に食習慣を見直して運動しろと言ったら、治せないのかと激高された話をしてくれた。
「ああ、やだなあ。このくらいの街で食うのに困らない程度に医者やっていくのがちょうど良いんだけどなあ」
がっくりと肩を落とすハンス先生と対照的に、わたしは期待に胸を膨らませていた。
とうとう国王陛下に会える。ということは皇子様にも会えるのだろうか。見初められちゃったらどうしよう。第一皇子じゃなくても第三皇子でもいいな。でも、第一皇子と第二皇子が夭折して、第三皇子が即位することになったらどうしよう。わたしが王妃になってしまう。子供が生まれたら他のお妃に負けないように立派に育てて帝位につけよう。後宮の陰謀になんて、負けてなるものですか。
わたしは妄想が止まらなかった。
見たこともない豪華な王宮からの迎えの馬車が、診療所の前に止まった。近所の人達が物珍しそうに大勢集まってくる。ハンス先生とわたしは、着替えや診察用具などを入れたカバンを持って馬車に乗り込んだ。近所の人たちが口々に応援してくれる。
「ハンス先生、王様に失礼なこと言っちゃだめだよ。死刑になっちゃうよ」
「グレアちゃん、体に気をつけなよ。王都は寒いっていうからね」
わたしは馬車の窓からみんなにありがとうと言って手を振った。
王宮の馬車は、こんなにも乗り心地が違うものかと驚くくらい快適だった。
王都までは馬車で三日かかった。
途中で泊まった宿も高級なもので、夕食も豪華だった。ハンス先生は二人だけで食べるのもおもしろくないと、わたし達を護衛してくれた騎士様達も夕食に誘った。
中でも護衛隊長のモーガン様は、ハンス先生と同じ年頃の気のいいおじ様だった。
「いやあ、ドミニクのやつがこの前王都に来た時に、自分の膝が完治したのがよっぽど嬉しかったらしく、ハンス先生は名医だ名医だと触れ回ったのです」
モーガン様は王国騎士団に所属されてはいるが、今は一線を退いて、このようなちょっとした仕事を頼まれるたびに引き受けているそうだ。ドミニク様とはかなり親しいようで、何でもドミニク様が新人の頃に鍛えていたらしい。
「ドミニクが膝を痛めているのは皆が知るところ。そのドミニクが走り回るのを見て、誰もがびっくりしました」
ハンス先生が苦々しく聞いている。
「それで噂が広がり、国王陛下がハンス先生をお呼びになったのです」
「恩を仇で返すとはこのことだ」
お酒の追加を給仕の人にお願いしながらハンス先生がぼやく。
「いや全くその通り。ドミニクは良い奴なのですが、ちと頭の回りが悪いところがある。医者にとって王宮に呼ばれるということは、なかなか大変なことも多いと聞きます」
「だって、並み居る王宮の医師団が匙を投げた患者を診なきゃいけないんだろ。荷が重いよ」
「そうでしょう、そうでしょう。結局治せなかったからと言って逆恨みを受け、処分された医者も多いと聞きます。ご愁傷さまです」
「モーガンさん、あんた人の不幸を楽しんでいない?」
「今宵が最後の酒になるかもしれません。ささ、ハンス先生飲んで飲んで」
「あ~もう飲むしかないか、今日は飲むぞ~」
今日は飲むぞとか言って、毎日飲んでいるくせに。わたしはモーガン様に聞いた。
「王宮には、病気を治せる……魔法使い? 宮廷魔導士みたいな方っていないんですか」
「これはグレア殿、古風なことを言われる。宮廷魔導士など、この何百年おりません。ましてや病気を治せる魔法使いなど見たことありません。千年前に魔王が滅んでからというもの、不思議と魔法を使える人間もどんどんいなくなって、今では数えるほどです」
「そうなんですか。じゃあわたしって結構貴重な存在なんですか」
「当然ですグレア殿。しかもこんなにもお美しい。グレア殿を見ているだけでどんな病気でも治ってしまいそうです。わはははは」
あ~、モーガン様も騎士様とは言えやっぱりおじさんだ。
「あの、王宮に魔族のわたしが入ってしまってもよろしいのでしょうか。差別とか……」
モーガン様はわたしの方に向き直っていささか真顔で言った。
「差別は正直言ってあります。もともと魔族は人類の敵でしたからな。でもそれも千年前の話。普通に暮らす人にとっては一生のうち、魔族に会うこともなく過ごす人がほとんどでしょう。ただ、貴族の中には今や絶滅危惧種である魔族をコレクションとして秘密裏に飼っていたりするどうしようもない者もおります。」
わたしは奴隷として売られそうになった恐怖を思い出した。
「とは言っても、ハンス先生とグレア殿はこの国の最高権力者である国王陛下のお客人、誰も失礼なことは致しますまい。そんなことをしたらこのモーガンが許しません」
「モーガン様、ありがとうございます。心強いです」
「あ~今心臓にキューピットの矢が刺さりました。ハンス先生、治療してください」
「バカにつける薬はねえよ」
やっぱりモーガン様はおじさんだ。
少し不安はあるけれど、モーガン様の言う通り、ハンス先生とわたしは国王陛下の客人なのだ。しかも今となってはもう行くしかない。わたしは覚悟を決めた。
翌日、二日酔いで馬車に揺られるという責め苦を受け、ヘロヘロになったハンス先生を乗せた馬車は王宮に到着した。




