第7章:国境を越える美食の香、賢者との出会い
「ローゼンベルク亭」の評判は、もはや辺境の一地方に留まらない、確かなものとなっていた。特に、季節を問わず高品質な野菜が手に入るという噂は、食材にこだわる他国の貴族や商人たちの間でも広く知られるようになった。その評判はついに国境を越え、隣国レガリア帝国にまで届く。
レガリア帝国は、アストライア王国とは歴史的に複雑な関係を持つ大国だった。彼らはアストライア王国を格下と見ており、時に緊張関係が生まれることもあった。そのレガリア帝国に、弱冠30歳にして宰相を務める、ルードヴィヒ・フォン・レガリアという傑物がいた。彼は並外れた知性と冷徹な判断力を持つ切れ者として知られ、帝国の富国強兵に貢献していた。
ある日、ルードヴィヒ宰相は、部下から上がってきた報告書に目を通していた。それは、アストライア王国の辺境にある「ローゼンベルク亭」に関するものだった。
「ほう……追放された公爵令嬢が、荒れた地でこれほどの美食を作り出している、と?そして、その土地の経済をも動かしていると?」
ルードヴィヒは好奇心を覚えた。食は国家の根幹をなす。民を飢えさせないことこそが、国の安定と繁栄に繋がることを、彼は誰よりも理解していた。単なるグルメではない。そこには、国の未来を左右する可能性が秘められている、そう直感した。
「面白い。私が、直接視察に行くとしよう」
彼は身分を隠し、少数の護衛と共にヴェルムント領を密かに訪れた。ローゼンベルク亭の質素ながらも清潔な佇まい、そこで働くベアトリスや村人たちの活き活きとした姿に、ルードヴィヒはまず感銘を受けた。そして、彼が注文した料理を一口食べた瞬間、その表情は一変した。
「……これは、素晴らしい」
素材の持つ味が最大限に引き出され、それでいてこれまでの常識を覆すような斬新な組み合わせ。洗練された味付けは、帝都の最高級レストランと比べても遜色ない。いや、それ以上の感動がそこにはあった。ルードヴィヒはベアトリスの料理だけでなく、彼女の経営手腕、そして未来を見据える視野に感銘を受けた。彼女が単なる料理人や農家ではないことを、彼は見抜いたのだ。
食事が終わると、ルードヴィヒはベアトリスに名乗らず、一介の旅人を装って声をかけた。
「失礼、そちらの料理の数々は、一体どのようにして生み出されたのですか?そして、これほどの素晴らしい食材が、なぜこの辺境で……」
ベアトリスは、訝しげな表情を見せながらも、彼女の料理に対する情熱と、ヴェルムント領への思いを訥々と語った。前世の知識、土壌改良、品種改良、水利の整備、そして村人たちとの協力。その言葉一つ一つから、彼女の真摯な姿勢が伝わってきた。ルードヴィヒは、この女性がただ者ではないことを確信した。
数日後、ルードヴィヒ宰相は正体を明かし、ベアトリスを正式な客人として招いた。そして、驚くべき提案をした。
「ベアトリス・フォン・ローゼンベルク殿。我々レガリア帝国は、貴女の才能と、この地の『食』の可能性に、大きな希望を見出しました。つきましては、レガリア帝国とヴェルムント領の間で、正式な貿易協定を結びたい」
ルードヴィヒの言葉に、ベアトリスと、同席していたディートリヒ、マリエルは驚きを隠せなかった。隣国との貿易協定は、国家レベルで行われるものであり、一介の辺境の領地、ましてや追放された元貴族が関わることなど、前代未聞だったからだ。
「帝国の首都にも、ヴェルムント領の豊かな農産物や加工品を供給していただきたい。その代わり、帝国からは、貴方方が求める物資や、技術を提供いたしましょう。もちろん、王国を介さず、直接的な貿易です」
この協定は、ヴェルムント領に計り知れない利益をもたらすだけでなく、ベアトリスの影響力を飛躍的に拡大させるものだった。王国による妨害を受けていた食材の販路も、これによって大きく広がる。
ベアトリスは熟考の末、この提案を受け入れた。
「宰相閣下。わたくしは、このヴェルムントの地を、そしてこの地の豊かな食を守り、育てたいと願っております。その思いにご理解いただけるのであれば、喜んでお引き受けいたします」
これにより、ヴェルムント領の農産物や加工品は、レガリア帝国市場に流通するようになり、ベアトリスの名は、一地方のレストラン経営者から、国際的な貿易に影響力を持つ存在へと昇華していった。ヴェルムントは、この協定によって、国境を越えた「美食外交」の拠点として、新たな一歩を踏み出したのだった。




