第5章:奇跡の店、「ローゼンベルク亭」誕生の瞬間
「この廃屋を、レストランにしましょう」
ベアトリスが指差したのは、村のはずれに立つ、見るからに荒れ果てた石造りの建物だった。もとは村の集会所か何かだったらしいが、長い間使われずに打ち捨てられていた。天井は崩れかけ、壁には大きなひびが入っていたが、ベアトリスの目には、そこに未来の「ローゼンベルク亭」の姿がはっきりと見えていた。
「ベアトリス様、ここをですか……?」マリエルは不安げな顔をした。普通の貴族令嬢なら、こんな場所には足を踏み入れようともしないだろう。
だが、ベアトリスの決意は固かった。彼女はすぐに、村人たちに協力を仰いだ。村人たちは最初は戸惑っていたものの、ベアトリスが自ら先頭に立って清掃と改築作業を始める姿を見て、徐々に力を貸すようになった。
「土を掘るのも、家を直すのも同じですわ。まずは基本から」
ベアトリスは前世で得た建築やデザインの知識を応用し、内装から厨房の設計、客席の配置に至るまで、全てを自ら手掛けた。厨房は、効率的な動線と衛生面を重視し、かまどや調理台、貯蔵庫の配置を工夫した。客席は、素朴ながらも温かみが感じられるよう、木材を多く使用し、窓からは外の景色が見えるようにした。廃材や村に自生する植物で装飾を施し、テーブルや椅子も村人たちの手で作られた。
店名については、ベアトリスは熟考の末、追放された自身の公爵家の名を冠することにした。「ローゼンベルク亭」。それは、かつての自分を否定するのではなく、追放された場所で、新たな形で自らの存在を確立するという、ベアトリスの静かなる決意の表れだった。
改築作業は、厳しい冬が始まる前に急ピッチで進められた。ディートリヒは建築の知識にも長けており、ベアトリスの指示を的確に理解し、職人たちの協力を取り付けるのに尽力した。セリアは、店の看板を描いたり、簡単な掃除を手伝ったりと、自分にできることを探しては、いつもベアトリスの傍にいた。村の子供たちも、野花を摘んで持ってきたり、木材を運んだりして、小さな手で手伝った。誰もがこの新しい試みに、少しずつだが希望を感じ始めていた。
そして、ある冬の日の朝。ついに「ローゼンベルク亭」がオープンする日を迎えた。店の前には、開店を待ちわびた村人たちが列をなしていた。
「本当に、お店ができるなんて……」
「どんな料理が出るんだろう?」
温かい光が漏れる店内。入り口の扉を開けると、そこには素朴ながらも清潔感あふれる空間が広がっていた。厨房からは、香ばしい匂いが漂ってくる。ベアトリスは真新しいエプロンを身につけ、マリエルと共に厨房に立っていた。ホールには、笑顔で客を迎えるディートリヒと、少し緊張した面持ちのセリアがいた。
最初の客が扉を開けると、セリアが練習したての挨拶で彼らを迎え入れた。
「いらっしゃいませ!ローゼンベルク亭へようこそ!」
料理は、ヴェルムントで採れたジャガイモやカブ、新しく栽培を始めた豆類やハーブ、そして村人たちが捕獲した小さな野鳥の肉などを使ったものだった。ジャガイモとチーズを重ねて焼き上げたグラタン、香ばしい鶏肉と季節野菜の煮込み、そしてデザートには、地元産のベリーを使った温かいパイ。
客たちは、一口食べるごとに驚きと感動の声を上げた。
「なんだ、この味は……!これまで食べたどんな料理よりも美味しい!」
「こんなにも、野菜が甘くて豊かな味がするなんて……!」
特に好評だったのは、ベアトリス特製のソースがかかった「黄金のジャガイモグラタン」だった。クリーミーなソースと、ホクホクとしたジャガイモの組み合わせは、村人たちの舌を魅了した。そして、ベアトリスの心のこもったもてなしが、訪れる人々の心をも温かくした。
「本当に、このお店はすごい」
「あの追放された公爵令嬢が、辺境でとんでもなく美味しい店を開いたそうだ」
そんな噂は、この日を境に、瞬く間に広がり始めた。村の商人や旅人たちが、この辺境の小さなレストランの話題を、他の街へと持ち帰ったのだ。やがて、遠方の都市からも、その美食の噂を聞きつけて人々が訪れるようになった。
だが、客が増えるにつれて、新たな課題にも直面した。食材の安定供給、人手不足、そして冬の間の暖房燃料の確保。ベアトリスは、ディートリヒやマリエル、セリアと共に、これらの課題を一つずつ解決するための方法を模索する日々を送った。しかし、その顔には、かつて王都で見せたような憂いはなかった。むしろ、充実感と、新たな挑戦への喜びが溢れていた。ヴェルムントの地で、「ローゼンベルク亭」は確かな一歩を踏み出したのだった。




