第1章:運命の夜会、理不尽な追放の宣告
アストライア王国の王宮大広間は、光り輝くシャンデリアの下、絢爛たるドレスを纏った貴婦人たちと、紋章を掲げた礼装の貴族たちがひしめき合っていた。王国に平和と繁栄をもたらすという聖女リリアーナ・セレスティアのお披露目と、アルフレッド王子との出会いの場となる、盛大な夜会が催されていたのだ。聖女リリアーナの登場は、王国に新たな希望をもたらす象徴として、多くの人々に熱狂的に迎え入れられた。彼女の天真爛漫な笑顔と、人々を癒すという不思議な力は、たちまち王子の関心を惹きつけ、その視線は公爵令嬢ベアトリスから、輝くばかりの聖女へと移っていくのが見て取れた。ベアトリスは、その光景を静かに見つめていた。胸の奥に微かな痛みが走ったものの、感情を表に出すことはなかった。完璧な笑顔を浮かべ、王子の隣で立つリリアーナに、祝福の言葉を述べる。それが、彼女に与えられた役割だった。
しかし、その夜会の終わりに差し掛かった頃、ベアトリスの人生は音を立てて崩れ去る。突如、王宮警備兵が慌ただしく大広間になだれ込み、周囲の貴族たちがざわめき始める中、王国の財政を司るオスカー大臣が、苦渋に満ちた表情で壇上に進み出た。そして、彼の口から発せられた言葉は、ベアトリスの耳には信じられない、悪夢のような響きを持って響いたのだ。
「公爵令嬢ベアトリス・フォン・ローゼンベルク、貴女には王国の予算を横領し、私腹を肥やしたという重大な嫌疑がかけられている!」
突然の告発に、会場は水を打ったように静まり返った。ベアトリスは息を呑んだ。身に覚えがない。しかし、次に現れたのは、捏造されたと思しき偽の帳簿と、彼女の罪を証言する歪曲された証言者の声だった。彼女に敵意を抱く貴族や、王子の関心が聖女に移ったことに乗じた者たちの周到な罠。そう悟った時には遅かった。
「……何かの間違いですわ!私にそのようなことをする理由など!」
ベアトリスは咄嗟に弁解しようとしたが、その声は誰にも届かない。そして、その極めつけは、彼女の婚約者であったアルフレッド王子からの、冷酷な婚約破棄の宣言だった。
「ベアトリス。貴様の行いは、王国の信頼を裏切るものだ。断罪する。貴様との婚約を破棄する!そして、辺境の荒れ果てたヴェルムント辺境伯領へ追放する!」
アルフレッドの声は、冷たく、そして感情がこもっていなかった。彼の瞳には、かつて見た微かな信頼の光は消え失せ、代わりに失望と、ある種の苛立ちが宿っているようだった。リリアーナはアルフレッドの隣で、ただおろおろと立っているだけだった。彼女の純粋な優しさは、この場におけるベアトリスの絶望を救う術を知らなかった。弁解は聞き入れられず、人々の冷たい視線が彼女に突き刺さる。かつて尊敬の眼差しを向けていた貴族たちも、今や好奇と軽蔑の混じった視線で彼女を見つめていた。王宮での生活は、まるで透明な牢獄のようだったが、外の世界に出ることを許されなかった。だが今、その牢獄から追い出されることに、ベアトリスは抗うことができなかった。
王宮から辺境への馬車に揺られながら、ベアトリスは自分の過去を振り返っていた。完璧な令嬢を演じてきた日々。努力は惜しまなかった。しかし、結局は何もかもが、偽りだったのだ。偽りの帳簿、偽りの証言、そして偽りの婚約……。理不尽さに打ちひしがれ、心は絶望の淵にあった。
だが、馬車の車窓から見える荒れた大地と、貧しい暮らしを送る人々の姿を目にした時、彼女の胸の奥で、微かな火が灯るのを感じた。あの時、公爵令嬢として、王子の婚約者として、どんなに窮屈な思いをしても隠し通してきた「前世の知識」への確かな手応えがあった。あの知識を使えば、この荒れた土地で、何かを変えられるのではないか。土に触れ、作物を育て、人々に美味しいものを食べさせたいという、幼い頃からの密かな夢が、今、絶望の中で現実味を帯びてきたのだ。
「ここで、終わるわけにはいかない……」
心に誓ったその言葉は、誰にも聞こえない、静かなる反骨心を燃やす炎のように、ベアトリスの瞳の中で揺らめいていた。彼女は公爵令嬢のドレスの裾を強く握りしめ、前を向いた。追放という最悪の終わりは、彼女にとって、新たな始まりとなる予感がしていた。もはや飾る必要はない。完璧な仮面を脱ぎ捨て、本来の自分を取り戻す。そして、彼女が本当に望む世界を、この手で築き上げてみせる。それが、ベアトリスが絶望の淵で掴み取った、確かな希望の光だった。荒れ果てたヴェルムント辺境伯領。そこで彼女は、もう一度、己の人生を切り拓くことを誓ったのだ。




