第10章:食糧戦略の顧問、王国を動かす見えざる手
王国に帰還したベアトリスは、王国の非公式な「食糧戦略顧問」という、異例の地位に就任した。彼女は特定の官職には就かなかった。それは、彼女自身が特定の権力に縛られず、自由な立場で影響力を行使することを望んだからであり、アルフレッド王子もその意図を理解し、尊重したからだった。
「ベアトリス様のご意見なしには、何も進まない……」
アルフレッド王子は、しばしばそう漏らすようになった。彼の執務室には、毎日、ベアトリスからの報告書や提言書が届けられた。それは、ヴェルムントでの経験に裏打ちされた、実践的かつ具体的な改革案ばかりだった。
まず、ベアトリスは全国的な農業指導に乗り出した。ヴェルムントで経験を積んだディートリヒとその村人たちを指導者として派遣し、王国の各地で農業技術の指導と土壌改良を行った。これまで迷信と経験則に頼りがちだった農民たちは、ベアトリスが示す科学的なアプローチに最初は戸惑ったが、すぐにその効果を実感した。痩せた土地が蘇り、収穫量が劇的に向上する様を目の当たりにしたのだ。
「この種は、水はけの悪い土地でも育ちます。そちらの土地には、この作物が適していますね」
ベアトリスは王国各地の土壌や気候を調査し、それぞれの地域に適した作物の選定や栽培方法を提案した。飢饉に強いジャガイモや根菜類だけでなく、小麦や豆類など、主要作物の品種改良も進めた。これにより、王国全体の食糧生産能力は飛躍的に向上し、来年以降の収穫にも大きな期待が持たれるようになった。
次に、ベアトリスは食のインフラ整備に力を入れた。特に力を入れたのが、食糧の貯蔵と流通システムの改善だった。
「飢饉の際にも、食糧が行き渡らないのでは意味がありません。各地に貯蔵庫を設け、災害時の備蓄システムを確立する必要がありますわ」
彼女は、湿気に強く、ネズミなどの害獣から作物を守る貯蔵庫の設計を指導し、効率的な輸送経路や物流網を整備した。さらに、収穫された作物を加工して長期保存できる技術、例えば干し野菜やジャム、ピクルス、乾燥肉などの製造を推奨し、各地に小さな加工工場を立ち上げた。これは新たな食料品産業の創出にも繋がり、多くの人々に雇用と安定した収入をもたらした。
そして、最も画期的なのが、レガリア帝国との連携だった。ベアトリスの提案により、アストライア王国とレガリア帝国の間で、食糧貿易がかつてないほど活性化した。帝国からは高品質な加工品や肥料が輸入され、王国からは豊かな農産物が輸出された。互いの国が食糧面で助け合い、支え合う「食の安全保障」体制が構築され始めたのだ。
これにより、長年くすぶり続けていた二国間の緊張関係は劇的に改善された。食糧不足という共通の課題を前に、両国は協力することの重要性を理解したのだ。ルードヴィヒ宰相は、ベアトリスの遠大なビジョンを誰よりも理解し、惜しみない協力を提供した。
「ベアトリス殿は、まさしくこの時代の救世主ですな。食を通じて、国と国、人と人とを繋ぐ、真の賢者であられる」
ルードヴィヒはそう言って、深く感嘆した。ベアトリスの影響力は、もはや一国の王族や大臣をも凌駕するほどになっていた。彼女の「見えざる手」が、王国の未来を、そして世界の未来を、確かな方向へと導いていた。飢餓に苦しむ人々は、彼女を「食の母」と呼び、心から感謝の念を捧げた。かつて追放された「悪役令嬢」は、今や王国の、そして世界の希望の星となっていた。




