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君の人生、六割五分

作者: まじしょた

 1 


 幼いときの夏休み。海に、山に、それに、初めて行った都会の街。無限に続くと思われた時間。頭の中でどんどんフラッシュバックする。しかしどれもそれほど鮮明ではない。何年、いやもう十年は経つのだろうか。あの頃のことをそれほど覚えてはいない。

 だけどそこには確かに…そう確かに、知らないことを知っていく真新しさ、新鮮さがあった。


  ピピピピピピピピ—―

「…何だか懐かしい夢をみた気がする」

 布団がもぞもぞと動き、くぐもった声が響く。

 そこから出てきたのは身長普通、顔普通という平均的な少年であった。一つ特徴を上げるとするなら癖の強い寝癖であろう。

 少年は気だるそうに立ち上がり、扉を開けて階下にあるリビングに向かう。

 そんな中、少年の頭の中には先ほど見た夢のことで渦巻いていた。

 リビングにたどり着くと、そんな気だるそうな少年の顔が驚きに満ち溢れる。

「なんで姉さんがここにいるんだよ」

「あはは、弟、ただいま」

「ああ、もうそんな時期か…おかえり」

 リビングのカーペットに寝転がり、テレビを見ている女性、見事な怠惰っぷりを見せつけていた彼女は少年の姉。なぜか白衣とゴーグルを着けている、眼鏡ではない、実験用のゴーグルだ。

 頭がすこぶる良く、少年の田舎の高校で学年一位だったらしい。そして上京し、日本一の国立大学で理系女子大生満喫中。

 彼女のせいで入学当初、少年は教師陣にとてつもない期待を寄せられていたため、結構迷惑していた。ちなみに少年の方は頭も平凡である。

 そんな少年を姉は怪訝そうに見る。

「なんか悩んでんの?雰囲気暗いけど」

 少年はしまったと一瞬思ったが、気が付くと姉にポツリポツリと話し始めていた。

「…なんかさ、最近時間がたつのが早いというか、ちょっと前に高校二年になったばっかなのに、もう夏休みになってて…いや、こんなこと姉さんに話しても意味ないよな、ごめん」

 話していくうちに少年の顔はどんどん下がって、最後には俯いてしまった。

「……ねえ、弟、ジャネーの法則って知ってる?」

 その声を聞き、少年の顔は姉に向けられる。その姉の視線はテレビから少年へと移動していた。その鋭い視線に自分の心が覗かれているようで、少年は少し怖くなる。

「僕、そんな頭良くないからな、数学の公式か何か?」

 その質問に姉は首を横に振った。そして一息つき、話始める。

「まあ、あくまで一説なんだけど、この法則は、人間の体感時間を表したものだといわれている」

「体感時間?それって」

 こんどは姉は首を縦に振った。少年が思っていることがわかるのだろう。

「体感時間、人間の感じる時間の長さ。ジャネーの法則はフランスの哲学者、ピエール・ジャネが提唱した法則で、時間の流れの体感は年齢に反比例するという考え。例に挙げて説明すると、一歳と六十歳だと一年という重みが違うでしょ?一歳の一年は一分の一、ところが六十歳の一年は六十分の一。まあ、あくまで一つの考え方で、正直、問題点、指摘点が多い、」

 そこまで言った後、姉は顔をテレビに向けなおした。

 しかし、少年の頭は混乱したままだった。いきなり法則だの哲学だのと言われても頭の整理が追い付かない。しかし、姉の言わんとしていることはなぜか分かった。


 ————年を重ねるほど、体感時間は短くなる。


「……どうやったら、その時間を長くできるの?」

 少し間を開けて、緊張した顔で聞いた。

 こんどは姉はテレビから視線を離さずに答えた。

「まあ、運動して代謝を上げるとか。…まあ、あとは、新しいことに挑戦するってことかな」

「新しいことに挑戦?何でまた」

「人間ってものは飽き性でね、物事が次第にマンネリ化していく。そうするといつもの日常の繰り返しになっていくんだよ。弟が高校に入って体感時間が短くなった原因の一つだろうね」

「なるほどね…」

 新しいことに挑戦する。その言葉は自然と少年の腑に落ちていった。

 リビングにはテレビのアナウンサーの声が響く。ニュースを聞き手に届けるその鋭く、直線的な声が、まるでこの世とテレビの中との時間が隔離されているように少年には感じさせた。

「って、あんた今年もバイトしてるんじゃないのじゃないの?」

 少年は焦ったように時計を確認する。

「あっ、そうだった、危ない危ない、じゃ、出るわ」

「はーい、海でおぼれんなよー」

「監視役でもないからおぼれないって」

 そうした言葉の応酬をしているうちに玄関の引き戸が開く音が聞こえ、すぐに閉まる音もした。

「さて、一応計算しといてやるか」

 そうして姉は立ち上がり、一枚のメモ用紙を取り出し、何やら書き始めたのだった。



 2


「ブルーハワイ二つお願いします」

 水着を着た男性が少年に話しかける。

「はい、ブルーハワイ二つですね」

 その少年の声は笑顔をのせているように柔らかだった。

 かき氷を作る機械を二度動かして、ブルーハワイのシロップをかける。

 それを男性に渡し、お金をもらう。すべてがマニュアルどうりの行動であった。

 男性は短くありがとうございますと言い、後ろに待つ彼女のところへ戻っていった。

 そんな光景を見送っていた次の瞬間、少年の肩に衝撃が走る。

「ご苦労さん、昼からは混むだろうから先に昼休憩とってきな」

「ああ、店長、ありがとう」

 少年が振り向くと日焼けのしたがたいのいい初老の男が立っていた。少年が夏にバイトをしている海の家の店長だ。サーフィンを趣味としているらしくよくサーフィンをしているのを見かける。ここはお言葉に甘えて休息をとろうと思い、少年は海に出向く。そんな中突然、少年の体の中央の方から変な音がなった。


 ——グウーーー


「…ああ、そういえば朝ごはん抜いたから腹減ったなあ。早く食べよ」

 少年はここへ来る間に町に一軒しかないコンビニで食料は調達してあったので食べ物の問題はなかった。しかし、浜辺はどこを見ても家族連れかカップルかで埋め尽くされている。この中で一人で食べるというのはなんとも悲しいことであった。

 そうして浜辺を見渡しているうちにあることに気が付いた。

「ん?あの子、三日連続でここにきていないか?」

 少年の視線の先には一じっと水平線を望む女子がいた。女子といっても高校生くらいの子で、長い黒髪が潮風に揺れていた。その子の周りの時間だけが止まっているような感覚に陥る。

 別に普通だったら、そんなことを気にしていなかったかもしれない。だが、気にしてしまうくらいのおかしさがそこにはあったのだ。

「君、ずっと何を見ているの?」

 ……そう、少年がなぜか声をかけてしまうほどに。

「……海を見ているんだよ、分からないの?」

 意外にも返事は帰ってきた。その間も、その女子は海を見つめただけであった。遠目でもわかっていたが、その女子はあまりにも美しく真剣な顔をしていた。その顔に見とれていた少年だが、彼女のあまりにも平凡な答えに対しなんと答えるべきなのかわからなくなった。

「……」

 その女子につられるように少年の視線も海へと移る。

「私は蒼乃あおの みお。海を見ている」

「……一人で?それ楽しいの?ただじっと見ているだけで」

 《《一人で》》。これが二つ目に少年の感じた違和感であった。

 後のもう一つは同級生や先輩、後輩にこんな知り合いがいないということだ。田舎の地域コミュニティーというのは狭くて深い。おまけに若い人は少ないし、小中高の学校も町に一つずつしかない。そんな中で少年は澪を知らなかった。町に来る大抵の観光客は温泉目当てで一泊二日で帰っていくし、観光という線もないと思った。

「全然、楽しくない。だって退屈になるために海を見ているから」

 その言葉に少年は自分の耳を疑う。

 退屈になるため?退屈になったっていいことがあるわけじゃない。

「どうして退屈になりたいの?」

 それは少年の心からの疑問であった。

 そう考えているときも澪は海を真っすぐ見つめていた。

「君はさ、退屈な時って時間がゆっくり進むと思わない?」

 その言葉に思わずドキッとする。それは紛れもなく、朝、姉と話し合った体感時間についての話だったからだ。

「…蒼乃さんはつまり、時間がゆっくり進んで欲しいと思っているの?」

 まるで誰かさんと同じような悩みだと少年は思った。そして静かに澪の返事を待つ。

 澪は「ふっ」と力の抜ける息を吐きだし、初めて少年に向かって笑いかけた。

「澪。澪でいいよ。……私も誰かに聞いてほしかったから」


 3


 それから少年と澪は向かい合って話し始めた。

「……こんなの信じてもらえないかもしれないけど、私の今感じてる時間がね、去年とくらべて半分くらいになってる気がするんだ。…まあ私の感じ方なんだけど」

 澪の表情は最後になるほど暗くなっていった。

 澪の言いたいことはよくわかる。だが、去年と比べて半分というところに引っかかりを感じたが、少年はひとまず自分のできる澪への配慮をできるだけしようと心がける。不思議と周りの喧騒が離れていく気がする。やはり澪の周りは外界と遮断されているのだろうか。

「僕の姉さんに聞いたんだけど、体感時間は年を追うごとに短くなっていくらしいよ」

 少年の意外な反応に驚いたのか、澪は目を丸くした。

「……不思議がらないんだ」

「……まあ、僕もその悩みを持ってるから」

「そう…」

 そして二人の間には沈黙が流れる。しかしそれを破ったのはまたもやあの音だった。


 ――――グーーー


 ただしこの音は少年からではなく、澪のお腹から…

 一気に澪の顔は赤くなり、海になんてことないように顔を移した。しかし、少年からは赤くなった横顔が丸見えだった。内心めっちゃかわいいと思ったが声にはせず、あくまで紳士的でいることを少年は決めた。

「サンドイッチ持ってるからさ、一緒に食べよう」

「本当!?ありがとう」

 澪は少年に何とも言えない魅力溢れる笑顔を向ける。

 まさにその顔には何の暗さも映し出されていなかった。そう、なんの暗さも。

 少年はサンドウィッチを澪にあげて、姉から聞いた話の一部始終を聞いた。


「へえ、そんな考え方もあるんだ。……なんか、今感じてる私の時間みたいだね」

 そうやってふっと澪は笑う。だけどその笑顔は見せかけのものだと少年にはなぜかはっきりと感じられた。だから、だからこそ言わなくてはいけない。

「……退屈だと時間がゆっくりになる。それは本当によくわかる」

 事実、昔の少年は夏休み一日一日が退屈で長く、うっとうしく感じていた。けど、

「退屈っていうのは、前にも後にも進んでいない状態だと思う」

 海を向いたまま少年は話した。昼間の太陽の光は背中にじりじりとあたり、白い砂浜には二人分の影を作る。そうした中、澪はおもむろに口を開いた。

「…それでもいいんだよ、時間が長く感じられるなら」

 澪の髪が揺れる、それに従って影も揺れる。そうした彼女を右に感じ、同時に寂しさをも感じ取る。でも、少年は澪がこういうことを想定していた。答えはすんなりと口から出てきたのだ。

「時間をゆっくりにする方法、知らないでしょ。ゆっくり感じるためには、新しいことに挑戦していくのが大切なんだって」

 澪の視線が自分に向くのが分かった。でも海を向いて話し続ける。

「だからさ、澪。僕と一緒に新しいものに触れていこうよ」

 そうして澪に目をやると、その目には驚きが浮かんでいた。

「…どうしてそこまでしてくれるの?」

「さっきも言ったじゃん。同じだからだよ。じゃ、そろそろ戻るから。バイト終わったら一緒に町に戻ろう」

 そういって少年は海の家に戻る。その耳には周りの喧騒より波の音が強く聞こえていた。



 4



 バイトが終わって、少年は海の家を出た。仕事中もずっと時間のことを考えていたが、結局何がいいのか、何が悪いのか判断することはできなかった。結局自分にできることは澪と一緒に何かをするということだけであった。

「もう、遅かったじゃない。もう夕方だよ?」

 太陽はすでに西に傾き、茜色に空は焦げていた。

「まさか、ずっと海を見ていたんですか」

 半分冗談、半分本気で少年は聞いた。

「そうだけど」

「……」

 一回帰ってからまた来てくださいの意で、先ほどの約束を取り付けたつもりだったが、澪はよほど時間を無駄にはしたくないらしかった。

 少年はため息をつき、言った。

「ちょっと自転車取ってくる」

 そして自転車を取りに行き、少年は澪の場所に戻る。ただ、少年の頭には一つの疑問。

「どうやって澪はここに来たの?」

「歩きね」

 その言葉に少年は驚愕きょうがくする。

「え、え、歩きなの。自転車でも十五分はかかるんだけど」

「まあ、ざっと五十分くらいだったかなあ」

 もはやそれの方が時間の無駄だと思ったが、あえて声には出さずぐっとこらえる。

 県道を進んでいき、川を渡る。

 その中で、話をしていくうちに少しずつ少年は澪のことを知ることができた。

 高校二年生で同い年。東京の学校に通っていて、おばさんのところに来ているらしい。だから、三日連続で海に来ていて、それに少年が見たことなかった顔だったのだ。

 時々通る車が二人を照らし、過ぎ去っていく。もう辺りは暗くなっていった。

 そんな中突然、澪が口を開く。

「……私さ、軽い躁鬱そううつがあって、休息ってことで親に勧められてこっちに来たんだ」

「……そっか」

 突然の独白。だけど少年は不思議と驚かなかった。謎とか疑問とかを考えるとなんとなく精神的に参ったりしているのかもしれないと思っていたからだろうと少年は思った。

 その後も二人は歩いて行った。その間に交わされる言葉数は少なかったが、気まずくなったりはしなかった。お互い何かを考えていたのだろう。

 すると突然町の明かりがほのかに浮き出し、二人を照らす。

「わあ、すごい」

 川沿いに形成された温泉街。その川を挟むように柳が茂り、それをやさし気な色をしたライトが照らしていた。こっちの地方では結構有名な温泉らしい。どこぞの文豪もここを題材に小説を書いたそうだ。

「夜のこの町、見たことないの?」

 その言葉にうなずく澪。

「もうすぐしたら、お祭りと花火するんだよ」

「……そうなんだ」

 そう言いながらも町の風景に目を奪われたままの澪。温泉街らしい下駄の音が遠くから聞こえる。

「一応聞くんですけどですけど、温泉に入りましたか?」

「実は、人とお風呂に入るのが苦手で…」

「なるほど…」

 温泉街に来て本命に入らないとはと内心では絶句していたが、まあ仕方がないということにしておこうと少年は心の中で決意した。

 踏切を渡るとさらに周囲が明るくなる。その光に背中をおされ、少年は口を開く。

「明日はバイト、休みなんです。だから朝10時、この橋集合でお願いします!」

 それだけ言うと一気に心がクールダウンし、顔は下を向いて、少年は今すぐにでも逃げ出したいという気持ちに駆られた。否定されると思った。

「うん、じゃあ、また明日ね」

 じゃ、と手を挙げて澪は帰っていった。

 てっきり否定されると思っていた少年は固まり、澪がだんだん小さくなっていくのを見届け、その直後大急ぎで家に帰っていった。

「はあ、はあ、」

 家に着くころには疲労が限界に、ずっと無用の長物と化していた自転車をわきに止めドアをスライドさせる。

 リビングからはテレビの音が聞こえる。どうやらまだ姉しかいないらしい。

「ただいま」

「ああ、おかえり、ご飯は作っておいたから勝手に食べろよ、弟。ああ、あとこれね」

 そういって渡されたのは小さな紙。そこには複雑な式が書き込まれていた。

「これ何?」

「あんたの完了済みの人生の割合ね。まあ、弟の寿命を八十歳としたときの、だけど」

 その計算式の最後には65%と書いてあった。

 ご飯を食べ、自室に戻った少年はこの紙のことを考えた。だが答えが出る前に、瞳がだんだんと閉じていった。



 5



 次の日は目覚ましがかかる前に少年は起きた。そわそわした気持ちにさいなままれ、朝食のパンも喉をよくとおらなかった。

 姉にどうした、女かとか聞かれたことが運の尽きだろう。

 紆余曲折あり、何とか待ち合わせ場所の橋に到着する。10時まではまだ二十分近くある。まだ澪はついていないだろうと少年は踏んでいた。しかし、そこには白い帽子をかぶった、美しい人が立っていた。その人物が振り返る。

「君、やっと来たね。女の子に待たせるとはなかなかの神経してるね」

 おそらく冗談なのだろうが、少年は思わず赤くなってしまう。

「……」

 そんな少年を見て、澪はにやり。完全にしてやったりの顔をする。

「まあ、私も今、着いたところなんだけどね。で、今日は何をするの?」

 少年は何とか深呼をして落ち着き、気を取り直して、川の川上の方、そのもっと上の方を指さして言った。

「今日は、あの山に登ろう」

 その指につられて、澪の目もそちら側に。

「ああ、あのロープウェーのやつね……ここは山登りということで自分の力で、歩いてみない?」

 謎の沈黙と、一瞬だが澪の目が泳いだ気がしたが、気のせいかと少年は割り切った。

「もちろん、そのつもりだけど…その服で登れるの?着替えてくれば?」

 昨日聞いた話では、泊っているおばさん宅はここから近所らしい。

 何度もあの山に登ったことのある少年はそう助言した。

「大丈夫だよ!私の登山テク、見せつけてやるんだから!」

 なんだか今日の澪はテンションが高い。それはきっと昨日言ってた躁鬱の話につながるんだろうと少年は思った。でも、それを支えれるなら支えたい。そんなことを思いながら少年は山に向かって歩き出した。


「はあ、はあ、ねえもう一時間は登ってるんじゃない?」

 少年の後ろから明らかに疲れているなあとわかる声がする。

 少年は時計を見て、苦笑いを浮かべた。

「全然、まだ二十分も経ってないよ。まだロープウェーの中間の駅にもついてないし、半分以上残ってるね。どうする?途中からロープウェー乗る?」

 しかし、澪は首をぶんぶん横に振る。

「さ、最後まで行くから」

 そうやってまた登り始める。全くため息をつきたいくらいののろさだった。昨日の帰りも歩くのが遅いと少年は思っていたが想像以上だった。

 周りを見てもこんなとても暑い夏に山登りをしようとする馬鹿な人はこの二人以外にいなかった。カンカン照りの太陽。たまに聞こえてくる鳥のさえずりが二人の気分を軽くさせる。熱中症対策については、バックにスポーツ飲料を入れてるし、澪のおでこに冷えピタを張っているので大丈夫だろうと少年は思った。

 そんな時、二人の背筋を凍らせるものが地面に刺さっていた。


 熊、出没注意


「……大丈夫なのよね」

 冷や汗を垂らしながら少年は答える。

「熊に襲われた人、聞いたことないので」

 そこから二人はおびえながら、舗装されていない道を上っていった。


「はあ、あそこが頂上だよ、澪」

「やっと、はあ、ついたのね」

 頂上に着いた少年と澪は肩で息をしていた。少年はもともと長くても一時間で着くと考えていた頂上に着く時間が三十分も延びるとは少年は思っていなかった。

 少年たちは最後の一歩を踏み出す。

「……すごいね」

 澪が声を詰まらせながら、言った。

 今まで登ってきた山肌とその奥には町があった。一軒一軒がまるで米粒のように小さく映る。

 少年にとっては日常に含まれていたはずの光景も、この時は新鮮さで溢れていた。そしてそれはきっと澪のおかげなんだろうと少年は思った。

 少年は澪の横顔を見る。熱心に風景を見る澪はとても美しく見えた。

 そこで少年はふと疑問が浮かぶ。

「そういえば、澪って携帯持ってないの?」

「ああ、携帯ね…東京に置いてきた」

 一瞬、澪の表情が暗くなる。

 しかし、少年が怪訝な顔になる前に、澪が話を変える。

「ねえ、あそこにある白いまとみたいなやつは何?」

 澪は山の斜面に設置されていた丸い円のようなものを指さして言った。

「ああ、あれに売店で買える白い石みたいなものを当てると恋が叶うとか言われてるらしいよ」

 どこか他人事のように少年が言う。

「…へえ、君、好きな人とかいないの?」

 澪がどこか面白そうに言う。

 それは、少年にとってはあまりにも突然のことだった。

 そのおかげで少年は自分でも顔が赤くなるのが分かった。

 視界の端で澪をとらえると明らかににやついているのが分かった。

 観念したようにため息をつき、少年は言う。

「……いないよ。そっちはどうなの」

 そう聞かれると澪は頬に指をつけ、考えているように見せる。

 しばらくの沈黙の後、答えた。

「今はいないよ」

 今は、過去にいたのか、それともこれからできる予定なのか、どっちにしても何かあるのは確かだと少年は思った。

「じゃ、石投げに行こ」

 澪は少年に向かって言った。

「なんで?」

「なんで好きな人いないのにするの」という意味で少年は聞いた。

「なんでって…叶うのは恋だけじゃないかもしれないからかな」

「そっか」

 そうして売店で一つ十円のきれいな石を二個買った。

「一緒に投げよ」

「分かったよ」

「行くよー」

 二人とも投球のポーズをとる。

「せーの!」

 同時に二つの石が青い空に吸い込まれていく。と思うとすぐに重力に負けて落ちていく。少年も澪も石の行方を追った。

 ———カンッ

「「あっ」」

 二つの石は当たってそれぞれ別々の方向に散った。

 少年と澪はハハッと笑いだす。

「あはは、これで願い事、叶うのかな?」

 澪が楽しそうに笑う。

「いや、多分こっちの方が珍しいよ、あはは」

 少年も澪と同じように笑う。少年と澪で感情が共有されていた。

 しばらくの間、二人はずっと笑っていた。それを止めたのは少年だった。

「そこに、カフェがあるんだ。そこでご飯食べて、帰ろう」

「分かった」

 少年は歩きだしたが、すぐに止まった。

「どうしたの、澪」

 視線をさきほどまでたっていた場所に移す。

 そこには目をつむって何かを感じ取る澪がいた。

「…この風景を心に焼き付けてるの」

 澪はそれきりだんまりとする。

 少年も空気を読んで静かにした。これはきっと澪に必要なことなんだと考えたからだ。

 しばらく、少年の耳には風の切る音しか聞こえなかった。

「よし、ありがと。いこっか」

 澪はもの惜しそうにその場を離れる。

「…はい」


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― 新着の感想 ―
平凡な高校生の僕が夏休みに突然現れた姉からのジャネーの法則の話で漠然と感じていた時間の流れの速さに納得する導入がとても共感できました。海でのバイト中にどこか寂しげな雰囲気の澪と出会い、彼女もまた体感時…
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