可愛い婚約者が今日も可愛い
「昨日の見合いの返事だが」
俺が初めての見合いに臨んだ翌日のこと。
父から尋ねられた。
「どうする? 年齢差が大きいし、お前の意向を尊重するぞ。
まあ、婚約しなくとも、今回、伯爵家と話が出来たし、関係を深めて行けそうな雰囲気は作れたからな」
彼女と俺の見合いが、商談のダシ扱いになっている。
だが、俺の腹は決まっていた。
「もちろん、婚約しますよ」
「本気か?」
「本気ですとも」
俺、ウィルフレッド・カーヴィル、二十二歳。
彼女、マルヴィナ・スタインズ、六歳。
犯罪的歳の差カップルではあるが、見合いを仕組んだのは親同士。
何の遠慮がいるものか。
「あ、でも、マルヴィナ嬢が嫌だったら、諦め……きれないかもしれないけれど、頑張って諦められるよう努力……できるかな?」
断言した後で、ぐだぐだと逡巡する俺を、父が何とも言えない顔で見ていた。
俺の生まれた家はカーヴィル侯爵家。
兄弟は男ばかり四人だ。
俺は次男だが、スペアは三男。
なぜなら、俺は頭が良かったから。
自慢ではない。ただの人間としての特徴みたいなものだ。
侯爵家では男子五歳になれば家庭教師が付く。
俺はあっという間に文字を覚え、言葉の意味を理解し、暇さえあれば図書室に籠った。
周りの大人にはずいぶん心配されたようだ。
なにせ、それまでは広大な庭を駆け回ってばかりいたから。
身体を動かすことも好きだったが、俺は草花も好きだった。
萌えるのも、茂るのも、花咲くのも、やがて枯れていく事すら。
そして、学ぶことによって知ったのだ。
人間の手によって、植物を生き生きとさせたり、今までには存在しなかった品種を造り出したり出来ることを。
俺が植物学にのめり込み始めたので、父は三男に跡継ぎのスペアを期待することに決めた。
そして、俺には、領地のためになるような作物の研究者を目指せ、と。
そのための学費は惜しまず出してくれた。
家の商売に直接かかわらなくとも貢献できるよう、俺も頑張った。
貴族必須の学園を飛び級で駆け抜け、大学に入学。
間口の広い高等基礎教育も難なく突破し、植物学の研究室所属となる。
教授の信頼も厚く、研究方針や研究テーマの相談を受けることもしばしばであった。
領地のためになる研究、と言っても、侯爵領は食料の栽培には向かない。
大街道沿いで王都と行き来がしやすいが、土地の面積がさほど広くないのだ。
それで、地の利を生かして流通業を営んでいる。
地図で言えば、中央にある王都から南側、つまり国の半分の流通をほぼ掌握していた。
直接、運搬を請け負うことはもとより、流通に携わる者のための宿や、王都に近いという利便性から需要が多い貸し倉庫、替え馬やら何やら取り揃えて手広い。
寄り子の子爵家男爵家は遠く離れた田舎の地に在るものが多いが、牧畜に最適な土地で馬牧場をしていたり、馬車を作るための材料となる木材を育てていたり。
かつては、それらの土地の有効活用に頭を悩ませていたのだが、曽祖父が一念発起して流通業を始め、祖父の代に軌道に乗った。
それを継いだ父も信用第一の薄利多売で、なかなかうまくやっている。
俺に持ち掛けられた見合いの相手は、スタインズ伯爵家の一人娘だった。
話がまとまれば、俺は婿に入ることになる。
かの家は花の栽培で有名だ。
そして我が家は、王都で売れるものを作っているところと縁を結びたい。
丁度その頃、観賞用の花がブームになり、父はスタインズ伯爵家に目を付けたのである。
家から散々、教育費をむしり取っておいて、こんな時に役立たずでは侯爵家の息子とは言えない。
俺は二つ返事で見合いに赴くことにしたが、研究で忙しかったこともあり、全ては実家に丸投げして、釣り書きにすら目を通さなかった。
お陰で、ご令嬢との顔合わせで「え?」と間抜けな驚愕面を晒すことになる。
当日、両親によりスタインズ伯爵家領地へ連れていかれた俺は、応接室で伯爵夫妻としばし歓談した。
その後「娘は、庭の方におりますので」と、従僕の案内で外に出た。
これはきっと後は若い二人で、ということだろうと得心するも、案内された花盛りの庭のどこにもご令嬢の姿は見えない。
「お嬢様、お客様ですよ!」
「はーい!」
令嬢、というより子供のような声が答えた。
続いて、爛漫と咲き乱れる花畑からひょこりと顔を出したのは、可愛らしい女の子。
自分で摘んだ花の束を抱えた少女は、小走りでこちらに近づいてきた。
「初めまして。スタインズ伯爵家の娘、マルヴィナです。
よろしくお願いいたします」
そう言った彼女は、花を抱えているせいか小首を傾げるようなお辞儀。
『見合いの初顔合わせで、正式な礼じゃないとかあり得ない!』なんて言う奴いたら出てこい。俺は全く文句が無い。
何なら、こっちの礼を正式採用しても良いと真剣に思う。
「は、初めまして。私はカーヴィル侯爵家のウィルフレッドです……」
何とか挨拶の言葉を紡ぎ出したものの、俺の目は少女に釘付けだった。
天使様ですか? うさちゃんですか? 子猫ちゃん?
なんて可愛いんだ。
知らなかった。俺は可愛いに弱い。
いや、これまでに可愛いものを全く見ていないなんてことはないだろう。
だとすれば……
要するに一目惚れだった。
それまで常に学究の徒として邁進し、常に調子よく稼働していたはずの脳が凍り付いたかのように停止してしまった。
気が付けば、従僕が広げてくれた敷物の上に座り、彼女から花冠の編み方を手取り足取り教わっていたのである。
「は……俺、いや私は何を……」
マルヴィナ嬢はくすくす笑いながら答える。
「ウィルフレッド様は、普段は俺とおっしゃるのですね。
わたしの前では普段通りにしていてくださると嬉しいです」
「はい、わかりま……うん、わかった」
ニッコリ笑うマルヴィナ嬢。再び固まりそうになる俺。
目を逸らす従僕よ、笑うか呆れるかいい加減どっちかに決めろ。
とにもかくにも、俺の初恋の相手は、非常に幸福なことに見合い相手だった。
家に帰った俺は改めて、いや、初めて釣り書きを見た。
マルヴィナ嬢、六歳……ろくさい!?
子供の年齢なんて気にしたことが無かったが、六歳ってあんなに大人な対応をとれるものなのか?
実のところ、侯爵家の兄弟はそれぞれが専属の侍従やら侍女やらに世話をされ、あまり交流をせずに育った。
友人と遊ぶより勉学に勤しんだ俺はなおさらだ。
自分以外の子供をよく知らない。
そうだ、せめて自分の子供の頃を思い出してみよう。
あんな風に、大人な態度で他人と接することは出来ただろうか?
家庭教師には、それなりの敬意を払っていたつもりだが、使用人には割と尊大だったような。
マルヴィナ嬢は使用人に対しても素直に返事をしていたし、そういえば、世話をしてもらった時、礼も言っていた。
明らかに彼女の方が人間力が上だ。
俺は今からでも、彼女に社交性を学ぶべきではないか?
学園でも学業第一に飛び級で突っ走った俺は、社交は疎かと言うのもおこがましいくらいに、おざなりにしてきた。
俺、二十二歳。彼女、六歳。
貴族家の政略的婚約でなければ犯罪者だ。
婚姻可能な、彼女の成人十六歳まで、まだ十年もある。
だが、彼女と交流したいし、なにより彼女は可愛い。
もしも、この話が無くなって、彼女が他の男と見合いするなんて、考えただけで黒いナニかが全身から立ちのぼって来そうである。
翌日、父から尋ねられた。
「どうする? 年齢差が大きいし、お前の意向を尊重するぞ。
まあ、婚約しなくとも、今回、伯爵家と話が出来たし、関係を深めて行けそうな雰囲気が作れたからな」
「もちろん、婚約しますよ」
「本気か?」
「本気ですとも。
それから、今まで長期保存に強い野菜と果物の研究をしてきましたが、今後は花卉の研究に移行します」
「いや、それは……
確かに花卉の流通は盛んになって来たが、食用植物の栽培を広めた方が手堅いんだがな」
「大丈夫です。
同じ研究グループに、今まで競って来た研究者が何人もいます。
発想力では私に劣りますが、うまく誘導してやれば、確実に結果を出してくれます」
実は、大学の研究室で成果を出しても名誉しか残らない。
そもそも、一人では実験をするにも膨大な手間がかかって進まないし、研究費用も安くない。
その辺を国が請け負ってくれるので、結果がもたらす利益も国のものになるのである。
我が侯爵家の生業は流通業だから、個々の作物の栽培権なんてものは要らないのだ。
広く栽培され、流通経路に乗ることが大事。
息子を大学に放り込んで、好きにやらせておけば利益につながるのだから、これ以上うまい商売はなかなか無い。
というわけで、今まで俺と張り合って来た研究仲間には、旨そうに見える人参を大盤振る舞いしてやる。
俺のアイディアを他の人間に研究してもらう間に、俺は花卉研究に時間を割くことができる。
彼女が望むなら、どんな花でも創り出せるようになってみせよう!
「お前が植物研究ではなく領地経営に興味を持ってくれたら、跡継ぎに据えたかもしれんな……」
父が小さく呟く。
その後、幸いにも伯爵家からは婚約承諾の返事が来て、俺は父に告げた計画を実行することにした。
案の定、花卉の研究室へ移ることに、教授は難色を示した。
しかし、今後もアイディアを提供することでなんとか懐柔。
更に俺の代わりに時間をかけてくれる研究者たちをなだめすかし、持ち上げ、言いくるめて目的を達したのである。
そして俺は花卉研究のため、スタインズ伯爵領に足しげく通うようになった。
表向きスタインズ伯爵の意向を訊きつつ、本題はマルヴィナ嬢の好きな花を教えてもらうためである。
食用植物の研究より、ずっとずっとやる気がみなぎる。
大学の花卉研究室の教授が、こんなにやる気のある研究者が入ってくれたのは初めてだと泣いていた。
やがて、花卉の品種改良に慣れてきた俺は、腕試しに国花の色違いを創ってみた。
ほんの思い付きだった。
しかし、色違い国花は大学の大きな成果となり、王家からお褒めの言葉があったそうだ。
俺個人は学長室に呼び出され『君のお陰で、王家との予算交渉が捗りそうだから、何か要望があれば遠慮なく言ってくれ』という副賞付きの礼を言われた。
大きな貸しをひとつ得たわけだ。
ところで、マルヴィナ嬢にどんな花が好きかと訊ねると、なんと具体的に絵を描いてくれたのだ。
本当に贔屓目抜きにしても、素晴らしい絵である。
六歳の腕ではない。
話を聞けば、俺と同じで、小さい頃から家業の花の栽培に興味があり、家にあった精密画の模写から始め、野の花やら栽培品種やら、いろいろ描いて来たのだそうだ。
線が素晴らしい、色付けが素晴らしいと俺が真剣に褒めたせいか、その後は手紙に花の絵を描いた小さなカードを入れてくれるようになった。
もちろん綺麗にファイリングして、俺の宝物にしている。
俺が花卉研究に移行してから八年。
既に数々の成果を出した俺は教授の椅子も狙えるほどになった。
だが、婿入り予定だから大学に居座るつもりは無い。
つまり教授から見れば、蹴落としにくる心配の無い存在だ。
アイディアは降るほどに湧くので、惜しみなく研究室に落としている。
重宝この上ないというわけで、他の研究者を好きにこき使っていいよ、という許可まで出た。
というわけで、俺は愛しき婚約者の住む伯爵家の領地に、長期滞在も可能となった。
しかし、滞在中も遊んでいるわけではない。
俺が創り出した新品種で、なかなかの儲けを出している将来の舅スタインズ伯爵。
『伯爵領にも研究室があったら便利ですよね~』なんて俺が軽口を言ったら、彼は温室付きの立派な研究室をさっさと建ててしまったのである。
皮肉ではなく、ありがたかった。
研究室で仕事をしていると、お茶とお菓子を携えたメイドを従えて、マルヴィナがやってくる。
十四歳になった彼女は、また一段と女の子らしくなった。
可愛いだけではなく、ほのかな色気をまとい始めている。
彼女は研究室内に置いた自分用の机で、伯爵領の書類を読んだり、カタログや商品に添える花の下絵を描いたりしている。
あれからどんどん絵が上達した彼女は、もう立派な画家だ。
出版社から花の画集の出版を打診されているくらいなので、なかなか忙しいだろう。
「済まないな、マルヴィナ。
領主の仕事の方を、ぜんぜん手伝えなくて」
彼女はにっこり笑顔で……ああ、可愛い。
「ウィル様が売れるお花をたくさん創ってくれたから、領の財政が潤って優秀な人を雇うことが出来るもの。
わたしが学ぶのは、彼等を監督することだけ。
難しいけれど、忙しくはないの」
凄いな、彼女は自分の立場が分かっている。
そういう大人な感覚があるから、かなり年上の婚約者を受け入れてくれているのだろう。
俺は……彼女が途中で歳の差が嫌になって、婚約解消となるかもしれない不安を最初から感じていた。
あまりに怖くて口には出来なかったが。
「……君は、十六も歳の離れた男と見合いをした時、嫌じゃなかった?」
マルヴィナは目を丸くした後、少し頬を染めた。
「あの頃は、歳の差婚なんて言葉さえ知らなくて。
両親に、将来お前のお婿さんに来てくれるかもしれない方とお会いするんだよ、と言われただけで」
「見ず知らずの大人の男が来て、怖いと思わなかったかい?」
彼女は思い出し笑いをした。
「怖くなかったわ。
ウィル様は、なんだか、わたしの顔を見て、びっくりした顔をしていて。
一緒に花冠を作りましょう、と誘ったら『うん』って素直に座ってくれて」
「君があんまり可愛かったから、脳が故障したらしい。
実は、よく覚えてないんだ」
「まあ……じゃあ、今は大丈夫?」
今でもしょっちゅう、可愛いと口にする俺を気遣う彼女。
いやもう、分かっていて、少し揶揄われているのかもしれないが。
「いや、どうかな……」
あの日から人生が変わったのか、それとも俺が変わったのか。
口ごもると彼女が小さく笑う。
「わたし、一人娘でしょう?
皆が可愛がってくれるけれど、一番幼いから、自分から相手にこうしてああして、って指示したことがなくて。
ウィル様は、文句も言わずにわたしの言うとおりに座ったり、花冠を作ったり。
初めてのことで、それがとても嬉しかったの」
「そんなことが?」
「ちゃんとした大人の人が、幼い子供の話をきちんと聞いてくれるのは凄いことだと思うの。
婚約した後も、ウィル様はわたしを子ども扱いしなかったし。
だから、ずっと一緒にいられたらいいのにと思ったわ」
「俺はちゃんとした大人と言えるかな?
あの時は君のほうが大人みたいだった。
他人との付き合い方を、俺は君から学んだんだ」
「まあ、そうなの?
……あのね、わたし、いろいろな話を聞いて、歳の差婚でうまく行かないこともあると知って……不安になったこともあるけど」
「あるけど?」
「でもこうして、お父様が屋敷の敷地内に、ウィル様の研究所を作ったでしょう?
そしたら、ウィル様はもう領地に移り住んだみたいに、ほとんどここに居てくれるようになったから、不安は吹き飛んでしまったわ」
マルヴィナにはマルヴィナの世界があり、人間関係がある。
俺の知らないそこには心無い言葉をわざわざ伝えてくる者や、親切心からでも彼女を不安にさせてしまう者もいるはずだ。
そんな者たちに投げ込まれた闇と戦って、立ち上がった日もあるのだろう。
「……そうか」
「わたしたちはタイミングに恵まれてるわね。
もしも婚約話があったとして、その時、わたしが口もきけない赤ちゃんだったら、さすがに断られたんじゃないかしら」
「そうだな。初めて会った時、君はもう立派な淑女だった」
「ふふ。ありがとう。最初にお見合いしてくれたのがウィル様で良かった」
「本当は、俺も不安だった。
君から見れば、どんどんおじさんになっていく俺は、いつか見限られるかもって」
「国から認められた功績があるのに?」
「そんなもの、愛してもらうのに何の役に立つ?」
「役に立つわ。ウィル様が、この領地を富ませてくれたから、不安なく一緒に生きて行けるもの。
お母様がおっしゃってたの、経済的に切羽詰まっていたら、大事な人と愛し合う余裕も無いのよって。
わたしも、そう思うの」
愛し合える、と言った自分の言葉に赤面する彼女。
俺の頭の中で目出度い鐘の音が鳴り響く。
婚姻までは、後二年。長いな…………話題を変えよう。
「絵の仕事はどう? 出版社の方は?」
「画集と併せて、レターセットやカード用の絵も頼まれてるの。
でも、あまり急かさないで、じっくり描かせてくれるみたい」
「じゃあ、王都へ打ち合わせに行く様なことがあれば、俺が一緒に行こう」
「いいの? 嬉しい!
そうだわ、王都に行ったら、植物園に連れて行って欲しいの。
外国の植物も、たくさんあるって聞いたから」
「ついでにお茶用のお菓子もたくさん、見て来ようか」
満面の笑みだった彼女の顔が、少し曇る。
「わたし、どうしてあんなに不器用なのかしら?」
実は彼女、菓子作りに挑戦したのだが、どうも料理と相性が悪いらしく、うまく行かないのだ。
「苦手があるところも少しは見せてくれないと、俺は今以上に君の前で委縮してしまうよ」
「本当?」
「本当さ。君には得意なことがたくさんある。
俺は出会った時から、君を尊敬してる」
ぱああっと笑顔になった彼女。
「そうね、得意なことを頑張って、ご褒美のお菓子をウィル様に買ってもらえばいいのね」
「そうそう、それがいい」
屈託なく笑うさまは、まだまだ少女のあどけなさ。
「頑張るわ!」と決意する可愛い婚約者が今日も可愛い。
俺は、遠い婚姻の日を、幸福なまま待ち焦がれるのだ。