第17回 とある個室にて ──耳付き掃除機のロンド──
清潔感のある部屋だった。
だが清潔感と、活気とか温かさとかは反比例するもののようで。
やはりそこも、どこか寂しさを感じずにはいられない所だった。
病室のようなというか病室そのものというか。
実際、そこに居るのは病人と大して変わらない風の人間だった。
甲太は泣いていた。
その病室のような場所で。
白と灰色に彩られた世界、少しはカラフルなものがあるかと思えば薄~いコスモス色とかベージュ色とかの、90年代のパソコンの色みたいな退色感であった。
そんな清浄で荒涼とした部屋に置かれた、大きなベッドの上で甲太は泣き続けた。
赤井手少年は泣く。泣く材料には事欠かない。
恐ろしかった。
自分が恐ろしく自分が操っていた存在が恐ろしく、他人が恐ろしく、ここが恐ろしく、過去が恐ろしく、未来が恐ろしかった。
自分は一体何をしていたのか。
思い返すだに夢のようにしか思えなかったが、生憎夢にしてはあまりにもくっきりはっきり記憶に刻み込まれていた。
信じられない。自分は人を殺めようとしたり町を破壊しようとする人間ではない!
そう思うたびに今いるこの場所が、己が意見に対する何よりの反証であると思い知らされる。
色味の無いベッドでさめざめと泣く、絶望しか感じられない。
眠れば苦しい現実から抜け出せるかと思いきや、夢の中ではまざまざとこれまでの出来事が色濃く再生され、そこに悪夢ならではの息苦しさと焦燥感が加味される。
うなされて起きれば、そこは灰色の現実だと気づかされ再び絶望する。
悪夢から悪夢へと行き来するだけの生活だった。
半月が経った。
その間甲太はただ泣き暮らすだけの日々。
哀れな光景ではあったが、当人以外からすれば流石に何時まで泣いているのだ? と思われる時期だ。
この者もそう思ったのか。来訪者が部屋をノックした。
ここに来てから一度も開いたことのないドア。そのカギがガチャリと鳴る。
「こんにちは~~ お加減はいかがかな?」
ドアを開け入ってくるその様は、如何にも陽気であった。
しかし甲太の方は、ノックを聞いた時点でビビり上がり、布団に潜り隠れてしまった。
来客はそんな部屋の主の態度をいささかも気にせず、まるでお見舞いに来た家族のようなムーブを始める。すなわち部屋の中を見回し、部屋の感想を漏らしたのち、辺りを見て回る。
そんな感じでしばらく経った。
ようやく布団の下から様子を窺いだす甲太。
訪ねてきた者は浅黒い肌を持つ青年? だった。
アメコミTシャツに短パンというラフな格好。
未知の病原菌を消毒するときのような、完全防備の人間が入ってくるかと思ったので拍子抜けした。
今まで外国人と接したことない甲太には、この人がどこの国の人なのかも何人なのかも何歳なのかも判りかねた。態度からすると歳は若そうだが・・・
小中学校の時は、クラスに黒人とのハーフの子はいたが、親しくはなかったし、その子は日本人だった。
この人は何やらメッチャ流暢に日本語を話してはいるがガイジンだろう。外人特有のアクセントがある。
それに…… この場所に連れてこられるまで相当に時間がかかった。日本国内であんなにかかる場所はない筈。ここは外国だ。
そのガイジンの闖入者は部屋を見て回ったり、トイレ(システムバスだ)を一しきり覗いた後に、ベッドの甲太に近寄ってきた。
「ちょっと体を起こしてくれないか? 様子を見たいんでね」
優しく言われたが、引っ越したばかりの猫のように甲太は布団を被って動かない。警戒してるというより、思考停止して動けないモードに入ってるようだ。
そんな甲太のさまを見ても、来客は余裕を崩さず。
「ま・そうだよな。初めて会う時は誰だって緊張するものさ」
そう言って尻ポケットをゴソゴソしだして。
「そんな時にはコレ! 魔法の杖! をぶった切ったものだ」
何やら異常な言動を始めたガイジンに、恐怖半分好奇半分を刺激された甲太は、隙間から盗み見ようともぞもぞする。
色黒の客は部屋の真ん中で、魔法の杖と呼んだ短い木の棒を、ぶんぶん振り回していた。魔法使いの真似事でもしてるよう。
「それ!」
ひとしきり振り回した後、その棒を部屋の隅に向ける。すると部屋の隅の下部に隙間が開いて、中からお掃除ロボットが出てきた。ネズミのような耳飾りが付いている。
「えい!」
棒を上にかざすと天井がプラネタリウムのような星空となり。
「はいはいはい♪」
棒を上下させると、どこからともなく音楽が流れだす。古き良き外国のアニメの一節で、合わせてお掃除ロボットも歌い出した。ザ・スマート家電。
(くだらない)
布団の陰から覗いていた甲太は心中で毒づいた。
バカにしやがって。こっちをガキだと思ってやがる。
なにが魔法の杖だ、ただの木目調のオサレリモコンじゃないか。
そう思いつつも、少しずつ布団の隙間は大きくなっていて。
それを気配で察したのか、スマート家電魔法使いは甲太の方を振りむいたかと思うと。
「そいやっ」
オサレリモコンを甲太に向ける。
ギョッとする甲太。慌てて布団を閉じるが何やらおかしい。なんか揺れている。地震か、いやベッドが振動しているのだ!
動揺で布団の下でジタバタしている甲太に魔法使いは。
「ベッドが起き上がって落っこちる前に、顔を見せた方が得だと思うけどね」
リクライニング付きのベッドだったのか、だがどこまで起き上がるんだこれ? 普通ではない。
甲太は観念して身を起こすことにした。床に落とされて見下ろされるよりは恥がないだろうと判断する。
するとベッドの動きが止まり。
気が付けば音楽や星空も止んでいた。
起き上がった甲太に手を差し出してくる来客。
「こんにちは甲太! 僕はカール。ファミリーネームは… もう少し親しくなってからとしよう」
当然握手の誘いなど無視する甲太。目を合わせないように天井の隅を見つめている。
そんな無礼さを気にするそぶりもなく、カールとやらは勝手に喋っていた。
「元気そうで良かった。体重も減ってはいるがまあ許容範囲だろう。えっ、なんで体重を知っているのかって? 実はここの施設の便座は体重が測れるんだ。なんだっけあれ、そうそう!『一石二鳥』ってヤツだよ。でも女性陣からはすこぶる評判が悪いんだ。便利だと思うんだがなあ。おや? 僕の言葉が気になるかい。前いた学校の同級生に日本人が居てね。仲良くなるついでに日本語を習ったのさ。我ながら上手いもんだと思うんだがどうかな? 何か気になる点があったら指摘してくれるとありがたいな」
(指摘する点はクソうるせえから黙ってろ!ってことだな)
脳内で罵る甲太。相手のお喋りに苛立つせいか、いつの間にか外国人に対しての緊張は無くなっていた。
「シーツは一週間ごとに洗濯してるから、え~、ミョウゴニチだっけ? アサッテか? まあいいや2日後に食器と一緒にドアのスペースに入れといてくれ。あんまり汚してから出すと当番が怒るからね。そこだけは確認しといてくれ。きちんとやらないと屈強な男たちが乗り込んできて、寝ているところをムリヤリ引っぺがされるぞ」
甲太の脳内悪口にも関わらずさらに話し続けるカール。少なくともテレパシー能力を持っていないのは確実だ。
「ま、今のところはそんなもんかな」
くだけた言い方も難なく使いこなすCさん。
やっと終わったかと息をつく思いの甲太。突然の来訪への動揺も収まってきた。後は早く帰ってくれと望むのみ。
(その程度の話だったら、食事と一緒にメモでも入れといてくれればいいだろが)
ちなみに食事はドアに宅配ボックスみたいのが付いてて、決まった時刻に入れられている。空の食器を入れて返さないと新しい食事は貰えない。最近やっと食事が喉を通るようになってきた甲太だったが、パン主体のメシには辟易していた。
「それではちゃんと話を聞いてくれたお礼に、とっておきの魔法をお見せしよう」
そうしてカールは木の枝のようなデザインのリモコンを、ベッド側の壁に向ける。
すると壁の真ん中の部分が透き通り、外から太陽の光が降り注いできた。そこは大きな窓だったのだ。
半月ぶりの陽光の眩しさに目がくらむ甲太。
苛立っていた心に、暖かいものが湧きあがってくる。
その大きな窓は壁と一体化していて、開けることは出来ないようだった。
それでも久しぶりに見る外の景色。中庭? が一面に広がっている。
規模は遥かに大きいが、何か学校を思い出す眺め。
特段目を引く建造物などはないが、塀の外には日本ではあまりない、だだっ広い平地が広がっているのが、かすかに覗けた。
甲太と一緒に、しばし外を眺めていたカール(彼には見慣れた光景だろうが)だったが、もういいかなという感じで説明にかかる。
「窓のここ(下の部分を指し)、ここにタッチパネルがあるからこのボタンで普段は曇りガラス、外を見たいときや陽を入れるときはクリアに、真っ暗くしたいときは壁と同色と、押すたびに切り替わる。カーテンが欲しいかもしれないが、この部屋には付いていない。そこら辺は解るだろ? さて次に」
窓と同じ要領で壁の一部にテレビが埋め込まれていた。
「残念ながらリモコンがないのでテレビ下のタッチパネルで操作してくれ。レトロな感じでこれはこれでいいだろ? と言ってもチャンネルは2つしかないけど」
一応ありがたくはあるのだが、突然の来訪に甲太は疲れていた。長い説明にうんざりしてくる。
「そしてこれが本日一番の魔法。えいや!」
その声に甲太も期待をそそられ顔を向けるが、すぐさま失望に変わる。
壁から現れたのは美麗な絵画とプリザーブドフラワーというのか美しい花々を載せた器であった。壁の一部が透明になり埋め込んであった、それらの装飾が見えるようになったのだ。
けれど元気な時でも芸術を解さない甲太であり、それが今は絶望の最中なのだから、そんな飾りなどどうでもいい本当に。
(消えてくれ一瞬でも早く! 頼む!)
そんな甲太の希望が叶い、ようやくカールは帰りそうな素振りを見せる。
ホッとする甲太。これでやっと落ち着いて絶望に浸れる。
カールはお暇の声をかけてくる。
「じゃあ、そろそろ切り上げようかな。邪魔して悪かったね。それにしてもだいぶ元気そうで安心したよ。なかなか優しい、良い顔してるじゃないか。とても自国の議事堂を吹き飛ばそうとした人間には見えないね」
ギクリとした、甲太は。突然ナイフを背中に突き付けられた感。
「やっぱり直接会ってみないとな。コックピット越しでは何にも伝わらないもんだ。それじゃまた来るね」
そう言って退室するカールだったが、後ろ姿を見送る者はいない。
甲太は固まって動けなかった。微動だに出来ない。
気付いてしまった。無理やり気付かされた。
思い出す。絶対に思い出したくない記憶を。
あの声、あの口調。
それはあの時、月光に照らされたロボットから流れてきたのと同じものだった。