第12回 とある夕刻の教室にて
甲太がサンゴーグレートと出会って、一年が過ぎた。
この間、日本のネット社会は、暗く大きい影に覆われたようだった。
ここには【CODE三五九】という領主がいる。
人々はその目を恐れ、SNSコミュニティの隣人が、そのシンパなのではないかと疑心暗鬼になった。
現実の息抜きが出来るはずだった場所が、逆に息が詰まるような空間に成り果てていた。
息が詰まるといえば甲太の住む町もそうだった。
何故かは分からないが、ここの空には、町を圧迫するような空気が垂れ込めていた。
突然の雷雨で、空に稲光が輝くときなど、雲の中に逆光に照らし出される、巨大な人影のようなものが見えることがあった。
それでも町の人は、そのことを声高に語り合ったりしない。
それが出来ない、させない雰囲気が町を支配していたのである。
夏休みが終わってしばらく経った。
この頃の高2といえば、進路について人生について、悩む者が多いだろう。
けれど、甲太の時間は、普通とは流れかたが違ってしまっている。
甲太は時たま学校へ行く。
もはや行く意味などないのだが、昼間ぶらぶらしているのも、どうも暇だし体が鈍る。SNSが盛り上がるのは夕方以降なので、それまで時間を潰したかったのだ。
授業には出たり出なかったりだ、出ても自席でボーっとしている。そんな甲太を教師も特には注意しない。何か触れてはいけない雰囲気を甲太は纏わせていた。彼に近づいたものには、災難が訪れるという噂も出回っていた。
そんな訳もあって、甲太の取り巻きも本当は甲太に登校してほしくなかったが、来てしまった以上は全力で媚びを売った。
甲太の方も、たまには取り巻きを可愛がらないとと思う。ほっといて拗ねられたあげく陰口とか言い出したら、潰さなきゃいけなくなる。それは可哀そうだ。
そんな訳で体育も見学だ。上からジャージを羽織っただけで着替えもしない。
取り巻き達がグラウンドで必死にバカをやって見せているのを、遠くから眺めつつ甲太は。
「世界制覇か・・・」
以前からサンゴーグレートに薦められている案について、思案していた。
サンゴーグレートの案とは。
今ある資金をもとに、ネットを通じて何人もの代理人を使い、金融商品を売買していくというものだった。
サンゴーグレートの超絶AIによって、株、債券、不動産などの選別・購入・売却を、とんでもないスピードで行っていく。代理人も次々にステータスの高い者に置き換えていく。
やがて企業買収などに手を広げ、最終的には世界的な投資ファンドや持ち株会社も傘下に収める、超巨大金融システムを構築する。
その頭脳は、サンゴーグレートであり。サンゴーグレートを操る甲太である。
大量の国債を買い集め、世界すら思うままに動かすことが可能となる。甲太の意思が世界に干渉できるようになると言うのだ。
「……なんだかな~~」
だけど甲太にはピンとこない。
なんとも話がデカすぎる。遠すぎる。
甲太としては、日本でSNSのいいね!稼ぎをしている方が、やりがいがあった。
「でもまあ、いっか」
他にやりたいこともないし。
暇つぶしに世界を手中に収めるというのも、いいかもしれない。
そんなことを薄っすらと考えていた。
体育が終わり下駄箱で履き替えようとして、そこに手紙を発見する。
支配者気取りだった少年は、一気に気弱な学生に巻き戻る。
(ええええええええええええええええっっっ!!!!!)
慌てて下駄箱を閉め、周りの男子に気づかれないように努める。
(あ… 女子は体育館で先に終わったのか・・・)
だとすれば、これは… やはり……
ひとまずその場を離れ、後から人気が無くなったところで取りに戻る。
授業に出なくても怒られない身は、こういう時便利だ。
次の時限が始まり、誰も居なくなった玄関で手紙を回収、屋上に移動しじっくり吟味することにする。
屋上に着いた甲太は封筒を眺める。
(えらい地味だな… 女の子らしくない… もしや)
いたずらの可能性が大きいのでは? 自分は不良とかに狙われている身だし。そうだとしたらあの場で騒がなくて良かった。
だがもしかしたら、真面目な子だから地味なのではという希望もある。とにかくさっさと読めば分かることだが、初めての体験で動きが緩慢であった。
意を決して読む。
〈伝えたいことがあるので、本日17時に教室で待っています。 沢楓〉
「!」
この「!」は通常の10倍の大きさの「!」である。
まさか楓がこんな手紙を送ってくるとは一かけらも思わなかった。
頭の中に感情と想像の情報量が爆増し、思わず座り込む。
(───楓が俺を?)
楓が自分に好意を持っているのか!?
確かにこれだけ金をばらまき、取り巻きに囲まれ目立っていたら興味を持ってくれる女子もいるだろう。実際その手の子に話しかけられる機会は何度かあった。
(だけど、楓だぞ)
転校初日に話して以来会話を交わしたことはないが、目の端に映る彼女は、優等生を絵に描いた上で3D化したような存在に見えた。
とても校内カースト上位になれたからといって好きになってくれるとは……
(そうだ… あの時のことを…)
校内で権力を得て自信が付いたら、何時かそれとなくあの日の事を謝りたいと思っていたのだ。
けれども権勢を得た甲太の周りには取り巻きが囲むようになり、楓の側にも常に友人たちが集まっていて、お互いの人垣で距離が遠くなってしまって。
何より、楓の目。見つめられると、まるで自分が何かとんでもないポカをやらかしてしまっているんじゃないかと、訳もなく不安にかられてしまう。それ故、正面から向かい合うのを恐れていた面もある。
そう考えると「楓に告白される」という、考えただけで眩暈がする未来像に現実味を持てなくなった。
でもだけど。自分と楓は幼馴染なのだ。
(…実は昔から好きだったとか)
そんな期待が吹き起ってくる。
が、その実どこかで、幼い頃のあれは惚れた腫れたとは違う、子供ゆえの損得ない友情だったという思いが甲太にはあった。
そして、心拍数が打ち上げ花火のようになった先ほどの衝撃が収まるにつれ。
楓が甲太と旧知の仲だと知った教師から頼まれて、甲太に生活態度を改めるように要請してくるのではないかと。優等生なんだから。そっちのほうが想像しやすいかもしれない。
だけれども、それでわざわざ放課後呼び出すだろうか?
様々な可能性を思い描いては打ち消す、それを何回も何回も繰り返す。
とにかく一度、恋愛というものについて誰かと相談したかった。こればかりはSNSで検索かける気になれない。
周りにそんな話を出来る奴はいなかったか? 花咲はどうだ。そういえば花咲を最近見かけないような?
こうして屋上をぐるぐる歩き回りながら、頭の中もぐるぐるしている甲太がいた。
早く真相を知りたいという思いも強いが、永遠にその時が来てほしくないという思いもまた強かった。
4時半になった。
そろそろ行かねば。
腰を上げる甲太。心の中ではガッカリしないよう期待値を下げる努力をしていた。
それでも期待というのは潰しても潰しても頭をもたげてくるもので。
生まれて初めて告白されるかもしれない、それもあの楓に。という近未来像は眩しすぎて決して頭から拭い去れないイメージであった。
電気が消えた夕刻の薄暗い教室。
窓からまだ、オレンジの光の柱が室内を照らしてくれているが、それもそのうち薄れていく。
並ぶ座席の後方、空いたスペースに沢楓が立っていた。窓から外を眺めながら。
教室の外から、陰影を帯びたその横顔を見て怖気づく甲太。近寄りがたい雰囲気に気圧されながらも、流石にここまできて前進以外の選択肢は無い。
「遅くなってごめん」
棒読み状態で前の扉から入る甲太。自分でもこの声何とかならんかと思うが、ちゃんと話しかけられただけでも進歩かもしれない。
机の間を進み、動揺を悟られないようにある程度の距離で止まった。
「ううん、大丈夫」
返答する楓。
その姿を前に、本当にこうなってしまった、と現実の真ん中に立ち尽くす甲太。
夢かと疑うとはまさにこの事か。
楓は少し申し訳なさげに。
「ごめんね。変なやり方で呼び出しちゃって。びっくりしたよね」
「いや…… 別に… 気にしないで…」
楓と会話が出来ているだけで、もう何かを達成してしまった感があった。転入初日に犯した過ちが許されたような気持ちになる。
「それで、わざわざ来てもらった訳なんだけど──」
いよいよ来た! 甲太に緊張が走る。楓の表情からは何も読み取れないが、いつもの弩クールさに比べると少しそわそわしているような。
「ちょっと聞きたいことがあって」
あれ? これは告白ではない──
ま・そりゃそうだよな。世の中そんなに甘くない。甲太脱力~。いやでもまだ、赤井手君いま好きな人いるの?パターンの可能性が──
「赤井手君…… 白臼山に来てた?」
甲太は戦慄した。凍りついた。
「は……?」
見てわかるほど動揺した甲太を前に、一瞬ためらった楓だが。意を決したように。
「私が白臼山に登った日に、赤井手君も来てたよね?」
真っ直ぐ甲太の眼を見つめてきた。射貫くような視線で。
まるで蛇に睨まれた蛙のよう、ではない。蛙に罪はないのだから。万引きGメンに肩を叩かれた万引き犯の方が近いかもしれない。それだけの後ろめたさがあった。
問題は、しょぼい万引き犯と甲太では、抱えているモノの大きさが違う衝撃も違う。
「ハ…… それは・・・」
息を継ぐのもやっとの甲太。その内部で黒い渦が巻き起こる。
落とされる。これまで、ここまで積み上げた最強で最高のオレが、崩されてしまう。
ストーカーまがいのことをしていた。気づかれていた。恥ずかしい。これ以上の恥辱はない。今まで黙っていた。知らないふりをしていたのか。俺が天辺まで昇り詰めるのを待って一気に落とすために。ありえない。今がありえない。
甲太は胸に詰まったものを吐くように。
「だからなに……?」
言い訳も思いつかない、混乱しかない。
この女はオレを貶めたいのか?
遠くまで自分の後を付けてきた、みすぼらしく浅ましい性欲に塗れたガキだと。
甲太の口調に、一瞬ひるんだ楓だが。
「だからって…… その、ちょっと確かめたかっただけなんだけどね」
口調は柔らかいが、その眼は甲太から外れることはない。
その眼。甲太は思い出した。フラッシュバックした。
あれは幼いころ。甲太は親の財布から小銭をちょろまかして駄菓子を買い込み、楓に振舞ったことがある。ただ純粋に喜んで欲しかったからだった。
だがあの時の楓は、今と同じような視線で甲太を見据え、これのお金はどこから、と聞いてきた
幼い甲太は言われて初めて罪の意識を覚え、泣き出してしまったものだった。楓はそれ以上追求せず、一緒に親に謝りに行こうと言ってくれて。
甲太の親も快く謝罪を受け入れた。甲太は心底ホッとしたのを覚えている。
違う。あの頃とは違う。
あの時は楓に許してもらって心から安堵した。喜びさえあった。
今は違う。自分は王なのだ。この世界を統べるものなのだ。
泣いて女に許しを請うなど、あってはならない。
あの時の自分は小さかった。何かあると泣き出す無力な幼児。
今の自分の存在は地球よりも大きい。世界には俺が必要なのだ。それがこんなつまらない、無数にいる女のただの一人に屈する訳がない。
「だから何なんだよ……!」
声が一段大きくなった。
想像以上の反応に楓は落ち着かせようと。
「いやあのね… 別にいいんだ。同じ日に来てたことは。ただ……」
「何だよ! 言ってみろよ文句があったらよ!!」
甲太の声は、ついに絶叫に変る。
「お前に何が分かるんだよ。俺の何が分かんだ言ってみろ!! 分かんねえだろ! 何も!!」
「私が言いたいのは、甲太はあの日あそこで何か──」
「黙ってろ! つまんない女が消えろ!!」
「え」
甲太は目をつむった。暗闇の中、必死に目の前の壁を壊そうとした。自分の進む道に立ちはだかる壁を。
「つまんねえんだよ! お前みたいな女。無価値のくせに話しかけるな。何にもないくせに!! 何の価値もないつまらない女が、だったらマン○でも見せてみろ。バカが! それぐらいしか出来ないだろバカマン○。バカなマン○が。マン○マン○マン○。ほら見せてみろマン○がっ!! ほらっ! クソゴミがッ」
叫び続けた。
声が枯れ、暗黒に静寂が訪れる。
目を開けると闇に包まれていく教室に一人残されていた。
楓は逃げ去ってしまっていた。
甲太はよろめきながら近くの椅子に座る。
全ての力。というか意思を使い果たしたようだ。
椅子の背にもたれかかり虚空を見上げる彼を、冷静になった自意識が襲い始める。
終わった。完全な終わり。
何も考えられないが、勝手に考えが続く。
なんだったんだろう、あれはなんだったんだろう。
あの日この場所に楓が帰ってきて感じたあれは。
ロボットを手に入れてやりたかったあれは。
無意識が暗い天井を駆け巡り、浮かんできてしまった真実に、甲太は完膚なきまでに叩きのめされた。
ロボットのパイロットになって強くなれたらやりたかったこと。
子供の頃から今まで想い続けたこと。
あの頃のように楓と何の分け隔てもなく話してみたかった。ただそれだけだった。
それが望みだった。
それが本当にしたかったことだった。
そしてそれは永遠に失われた。
自分で壊したのだ二度と戻せなくなるように。
破壊して気づいた。完全に破壊して。
甲太は座ったまま体を折り曲げ床に向かって嗚咽した。
悲鳴のような嗚咽は暗い教室に長い間響いていた。
すっかり遅い時間になった。部活動も全て終了し学校には警備員ぐらいしかいなくなった頃、ようやく甲太は動き出し、下校の途につく。
途中コンビニに寄り、缶の酒を二本ほどカバンに入れそのまま店を出る。
見咎めた誰かが追ってきても構わない。甲太に無闇に近づこうとする者は自動的に叩きのめされる。この町はそういう仕組みになっている。
とにかくこの苦しさを和らげたい。その為に酒をあおる。
甘い酒だったが、不慣れな甲太は気分を悪くし道の端に座り込む。それでも酒を手放すことはしない。薬が必要だった。心から湧き出る深い痛みに対処する薬が。
いつもの何倍もの時間をかけ家に帰ると、玄関に両親が待ち構えていた。
よりによって今かよ。と思わざる得ないが、これまでの積み重ねが噴出した形だ。
学校にはまともに行かない。何やら大量に買い物している。交友関係も歪なようだし、夜遅くまでほっつき歩き突然の外泊。家にいるときはパソコンに噛り付き時々奇声を挙げる。
そして今ここにいる息子は、こんな遅い時間に酩酊した様子で帰宅し、あまつさえ手には酒の缶ときている。
親の怒りはもっともだった。想いゆえの怒声が響く。だが
「うるせえ! 雑魚!」
甲太は親に罵りと共に酒の缶を投げつけると、そのまま夜空の下に駆け出した。両親の叫びを背にして。
普段から親の説教など聞く耳持たぬが、この日ばかりは本当に無理だった。これ以上痛みを受けるのは。
サンゴーグレートを呼びつけ乗り込んだ甲太は、コックピットの座席を倒し横になる。
「もう帰りたくない。しばらくここに居ていい?」
『もちろんだ。大歓迎だよ甲太』
「ありがとう」
大きな安心感に包まれて甲太は寝息をたて始める。
身中に幼子のように眠るいたいけなパイロットを抱えた金属の巨人は、静かに真夜中の町の上を漂っていた。
次の日目覚めた甲太は、サンゴーグレートがどこかの山の中に不時着しているのに気づいた。
ロボから降り、少し歩くとキャンプ場があった。穴場なのか、はたまたただ人気がないのか、全く人がいない。ただトイレや水道などの設備は自由に使えた(地下水を流しただけの作りだが)。見晴らしのいい場所に置かれた木製のテーブルとベンチに落ち着くと、自然に囲まれた風景と朝の光に心が洗われるようだった。
「あいつもなかなかイキなことするじゃん」
あいつことサンゴーグレートが用意していた食べ物を手に取る。
惣菜パンやペットボトル飲料が山ほどあるのだが、やけに袋の周りが埃っぽい。
おそらく夜中にどこぞのスーパーの天井に穴をあけて、あのデカい手で掴み取ったためだろう。コンクリの粉が付着しているのだ。
荒っぽく不器用なやり方だが、今の甲太にはとてもいじらしく健気に想えた。
主人の身体を気遣って健康飲料などもある、なんと愛らしいことか。
愛機の献身もあり、甲太は大分元気を取り戻すことができた。
昨日のことは忘れよう全て。