1 ありふれた日常からの脱却
俺はカナタ・ヒイラギ、レイアス魔術学院に通う1年生だ。魔術学院とはその名の通り、人間世界に住まう人種が通う学校だ。
ここでは人種が将来的に絶対必要になる魔術だけでなく、普通の学校としての教育を受ける事ができる教育機関としても優秀なので、進路に迷ったのなら近くにある魔術学院を目指せと誰もが言うくらいには有名だ。
当然、倍率も高くなる学校に入学できている時点である程度優秀な人間だと誰もが思うだろう。だが、何事にも例外というものは存在している。それが”劣等生”の烙印を入学早々につけられた自分である。
この劣等生というのは自称している訳では勿論なく、主に今こちらへ近づいてきている集団などによる他称だ。
「おいおい、また机に突っ伏しちゃってるが、劣等生が寝ている暇なんてないよなぁ?」
「そうよ、あんたはこの学院で1番魔術の才がないんだから、他人よりも動いて差を埋めようとしなさいよ」
言っている事には一理あると思うのだが、彼らがそんな助言を言う為に絡んできていない事はいつもの話からわかっている。だから、こうやってまだ寝たフリを続行するのだ。
しかし、今日は彼らのリーダー格である男、ライム・グリーンの機嫌がいつも以上に悪かったらしい。こちらの腕を勝手に掴み、顔を無理矢理上げさせられる。
「やっぱり起きてんじゃねえか。劣等生が俺達、優等生を無視するなんて良いご身分だな。顔を俯けているが、聞いてんのか?」
「きっと目を合わさないようにしているのよ。手を振り解く程の力もないから、必死に目を合わさないでビビりまくっているんだわ」
「ライムは優秀な術者ですもの。劣等生からすればライムの存在は見ている事すら烏滸がましいんですから、むしろ見ないように努力している所は褒めて上げても良いのでは」
ライムのグループに属する2人の姦し娘達が、ライムに同調するように後ろから馬鹿にした態度でこちらを笑う。
「離せよ。お前達の世話をするなら、俺は寝ていた方がマシだ」
「良い度胸してんじゃねえか。劣等生が俺達の世話をするなんて言うとはな。お得意の品のない暴力で喧嘩でもするつもりか?」
今にも喧嘩が始まりそうな一触即発の状態に、休憩時間中で教室に大勢いる生徒達が騒めき始める。クラスメイトにとっては普段から見慣れている光景ではあるのだろうが、半年以上経った今でも騒ぎ立てるのは刺激が足りないからなのだろう。
魔術を用いた実技の授業はあっても、模擬対人戦闘訓練は1年生の間では行わない。それどころか動かぬ的を狙うだけの、なんとも面白みのない授業ではある。期待して入学してきた貴族様や名のある実力者様からすれば余計にだろう。
そうした貴族であり実力者でもあるライムは、普段の授業で満足できていない内の1人だ。満足できなかった憂さ晴らしに他人へ当たる。理解はできないが理屈としてはわからなくもない。
それで絡んでこられるのもこちらとしては迷惑なので、毎度の如く拒否しているのだが、今日はよっぽど鬱憤が溜まっていたのか言葉だけに留まらず、ついに手まで出してきている。
「そっちこそ、その手はなんだよ。勝手に掴み上げてるんだから、力で解決しようとしているのはお前だろ」
「劣等生は頭まで劣化しちまったのか?俺がお前に対してしているのは教育だ。お前がやっているのはただの暴力、規範のない暴力を平民であるお前が振るって言い訳ないだろう」
「そうよ、あんたは黙って私達に言われるがままの状態でいればいいのよ」
好き放題な言われよう、そしてとんでも理論を振りかざしている。ここで喧嘩を買うのは簡単だ。後先考えず、掴まれている手と逆の手で殴れつければ、この距離なら1発顔面に打ち込むことができる。
その後の事は、いやもう面倒だ。後の事なんて考えて動く性分では元々ない。頭で考えるよりも体を動かして解決する方が自分に合っている。
そう考えた瞬間に掴まれていた腕を引っ張り、ライムを片腕の力だけで空中へ投げ飛ばす。もちろん、投げ飛ばしただけではまだ足りない。劣等生と言われ続ける事は気にしないが、服を乱された事は気に入らない。
「食らえ、腕に皺ができた分だ」
「は?……ってぇな!急になにしやがんだ」
「痛い?たった1発、顔を緩めに殴っただけだぞ。ほら、まだまだいくぞ」
追撃を入れられ、まだ空を舞っているライムへ更にもう1発入れてやろうと飛びかかる。だが、ライムもそこで成すがままにやられ続ける技量の男ではない。
間を挟む形で現れた青く光る魔法陣から水が勢いよく飛び出す。その勢いは視界が塞がり、水圧で体が押し流される程の勢いだ。
不意な出来事に対応できず、勢いが凄い水圧に体は教室の前方にある黒板へと吹き飛ばされてしまう。飛んでいる間に態勢はなんとかとれたので、最小限のダメージで黒板へとぶつかることに成功する。
「……校内での魔術行使は校則違反では?先生に見つかればタダでは」
「うるせえ!先に手を上げたのはお前だろ!ウダウダとナマ言ってんじゃねえぞ」
「”激流槍砕”(ウォーターブラスト)」
黒板の前で全身が濡れて、服もびしょびしょになって素肌に張り付き、気持ち悪さと鬱陶しさで少し怒りが混じった声をできるだけ冷静を装い話しかける。
しかし、相手さんは頬を殴られて怒り心頭だったようで、少しも構わず水魔術で追撃を行う。今度の魔術は少しやばい。1つ前の魔術は水が勢いよく流れてくる程度の魔術だったが、今度の魔術は水でできた槍。
人体を貫く程の威力は今のライムの技量から見てもないだろうが、この魔術にはそれ以外に問題がある。それはこの水槍とでも表現すればいい小さな槍は何かに触れた瞬間、水滴が石礫のような硬さになって爆散するのだ。
そんな魔術を人に向けて放つとどうなるか。槍で穴が開かなかったとしても、体はズタズタに切り裂かれるだろう。人を簡単に殺しかねない魔術を、興奮していたとはいえ人に放つ。それは校則違反では済まされない。貴族と言えども法令違反で牢獄送りになりかねない。
絶対と言い切れないのはこちらが平民で向こうは貴族、階級が偉いというのはそれだけで罪が軽くなったり揉み消されたりするものだ。
そもそも、簡単に殺す事ができる魔術だったとしても簡単に殺されてやるつもりはない。劣等生には劣等生なりのやり方があるのだから。
「濡れて動きずらいけど避けるのは簡単。だけど、避けたら黒板に傷が残って後処理がめんどくさいな。とは言っても、肝心の得物がないんだよなぁ」
得意としているのは剣だが、そんなものを学校に持ち込める訳もなく、寮の自室に置かれている。取りに行っている暇なんて当然ないが、剣もしくは代用できる何かがなければ槍を打ち消すのは難しい。
何かないかと探してみるも、手に取れる範囲で見つかったのはチョークくらいだ。流石にチョークを剣のように振るうのは難しい。ここはいっそ方針を変えて、斬るのではなく投擲物として扱う。投擲技なんて使った事はないが視たことはある。
1度も使ったことがない技を使うのは不安だが、そんな事を考えている時間は槍が目の前に迫ってきている今ない。
「こんな事が起こっているのはライムのせいなんだから、後の事なんて考えなくていいか。唯、これは貫く1つの彗星」
「”無刀箒星 黒洞”」
黒い光を帯びたチョークをこちらへ迫る水の槍に向けて投げる。上手くいけばたった1つのチョークでどうにかなるが、もし失敗したら……。まぁ、体がボロボロになるくらいで死にはしないだろう。
最悪の事態を想定したのも束の間、投げられたチョークは水の槍へと直撃する。問題はここからだ。何かに当たれば槍は砕け、周囲一帯へ飛び散る。それを止めるために放った技が黒洞だ。
水の槍とぶつかった瞬間に黒い光は渦を巻くように大きくなる。対する水の槍はぶつかった衝撃で、その力の本領を発揮しようと白く光り出す。しかし、槍が爆発する事は幾ら待とうとこなかった。
「なっ!不発だと?いや、槍が爆発する兆候は見えていた。一体、何をした」
「そんな事、わざわざ教える訳ないでしょう。そっちも人に向かって魔術を放つくらい本気なんだ、俺もお前を殺しに行っても文句は言わないよな?」
「戯言を!魔術もまともに使えないお前が俺を殺すなんて、貴族の俺には一生かかっても成せる訳ねぇだろ!」
いつのまにかライムの右手には杖が握られており、それを黒板の前に立つこちらへと向けられている。目には怒りと焦燥が揺らいでおり、少なくとも冷静でない事はわかる。
「そこまでです。両者共、リーゼロッテ・ヘルスマンがこの場に現れたからには矛を下ろして頂きます。これ以上の荒事は処分の対象となりますよ」
リーゼロッテ・ヘルスマン、このクラスの担任であり、学年の統括主任でもある貴族出の教師だ。一見すれば黒いドレスが似合う妙齢の美女だが、その見た目の通り性格は厳格で常に圧を感じるので話しかける事も憚られる。
これ以上の事が処分対象なのは、命を脅かしかねない魔術を受けた身としては納得はいかないが、先に向こうが喧嘩を売ってきたとは言え、手を上げてしまっているのは事実なのでとりあえず物理的に手を上げておく。
一方のライムは尚も怒りが治らないのか杖を向けようとしているが、それを取り巻きが宥めている。リーゼロッテもその事に気づいたようで、ライムの方へ向いて声をかける。
「グリーン家の次男、早く杖を納めろ。これ以上逆らうのなら次は注意で済まされないぞ」
「ですが、そこの平民は俺に喧嘩を」
「納めろと言ったぞ私は」
遠くからでも感じた冷ややかな圧は、一気に空気が凍りつく程にまで変わる。これは圧だけじゃない。リーゼロッテの魔力が急激に高まっているのだ。
これが脅しの為か、本気で魔術を使うのかは定かじゃないが、どちらにしてもライムを含めた教室にいる全生徒が物音1つ立てない銅像のように固まってしまった。
全員が黙ってしまった教室。これでは話を進める人間もいない。仕方がないので詳しい事がわかっていないであろうリーゼロッテに状況説明する役を当事者ながら引き受ける。
「あーっと、リーゼロッテ先生?これは違うんですよ。素晴らしい魔術の才を持つライムさんに手本を見せてもらおうと思いまして。僕がお願いして魔術を使ってもらったんですよ」
こうでも言っておかないと、後々どういった処遇になるかわかったものじゃない。少なくとも今、手を打っておかないともしライムが退学になった時、平民であり劣等生であるカナタを巻き込んで退学処分になりかねない。
爆死するなら1人でして欲しいが、最悪な結果となるくらいならいけ好かない彼を救ってやろうじゃないか。他人を、それも嫌いな奴を救ってやるほど綺麗な心根をしていないが、自分を助けるなら話は別だ。自分の身が一番可愛いんだから。
そうやって保身に走る事ばかり考えていると、言い分を聞いて少し悩んでいたリーゼロッテが遂に声を上げる。
「よし、そんなに魔術を使いたいなら公平にルールを決めて戦わせてやろう。決闘だ」
「「は?」」