第十三話 (エルファ視点)
「……エルファ・フォン・アラミスト! 貴様との婚約を破棄する!」
その声が響いたとき、私は、ついに解放されるのか、と思わず小躍りしてしまいそうな程嬉しかった。
もう、私は、疲れたのだ。
この、大嫌いな婚約者に振り回されることに。
私には、同い年の婚約者がいる。
名前は、ハーディー・フォン・ウール。この国の第一王子様である。
私達は幼い頃から決められた婚約者だった。
社交界にある噂は、生まれる前から決まっていた婚約だとか、私が公爵にわがままを言って婚約者の座に収まった、などなど。…まぁ、そんな噂をしていたのはせいぜい子爵程度の下級貴族。それ以上の中級、上級貴族ともなれば、幼少期のハーディー王子を見ることもあったため、そんなくだらない噂はすぐに信じなくなっていた。
トスイラク教―――この国はどの宗教を信じるも自由であるが、その中でも勢力の強い宗教―――の七つの大まかな罪のうち、
傲慢、怠惰、嫉妬、強欲、暴食、積怒。六つも当てはまりそうな、いや当てはまる性格だった。
なぜここまで歪んだのかは知らない。初めに会ったときからそうだったのだ、わかるわけがない。
更に年齢が上がるに連れ、色欲―――気に入った少女たちを連れ立って遊ぶという非行もやり始めた。
私が社交界に行けば憐れみの目で見られるし、ちょうど妃教育なども始まり忙しかったので、社交界には全く寄り付かなくなった。そのせいで噂が悪化したようだけど、そんなのは知らない。
それよりも、必ず行かなければならない王家主催のパーティーなどでこっそり、何度も言われる言葉。『お可哀想に』『さっさと婚約破棄でもなんでもすればいいのに』『婚約者の座を降りればいいのに』。
言われなくても、こんなろくでもない婚約者、こちらからお断りだ。
どうせ、この方は評判がひどすぎて、私がいなければ貴族にすらなれないのだから。しかも、たとえ私がいても良くて公爵家に婿入りだろう。
そんなの嫌だ、と私が何度、何度婚約破棄をしようと思ったことか。
実際に、お父様も巻き込んで行動に移したときだってあった。…だが、何度試みても側妃様に阻まれてしまうのだ。
たしかに、ハーディー様は側妃様の息子である。
ただ、あの自己中の塊のような心を持つ側妃様がたとえ自分の子供だろうと将来を案ずるとは思えない。ので、おそらくハーディー様を王太子にして自分…いや、自分の父親に実権を握らせる、ってところかな?
ハーディー様は絶対に王太子なんかにはなれないと思うけど。
…流石に無礼だと思うが、心のなかで思うだけのことだし、実際にそうなのだから見逃してほしい。
学園に上がってから、ハーディー様はますますひどくなった。特に、女遊びが。
貴族も平民も見境なく、何人もの女性を口説き、そして飽きたらこっぴどく降るという行動を繰り返す婚約者に、頭が痛くなった。ついでに、殿下にそういうふうなことを教え込んだ宰相令息や、悪いことだと軽く反対はするものの、宰相令息に勝てなくて結局ついていってしまう意志の弱い騎士団長の息子にも、怒りが湧いた。
時々会ったときには文句を言いたくて仕方がなかったが、言いたいことが多すぎて、何を言おうか迷っているうちにハーディー様や令息たちはいなくなっていた。
精神安定剤だったアル―――幼い頃に拾った犬のことだ―――も学園に上がってからは会えなくなった。そのせいで結構な疲れが溜まっていたとき、どうやってなのかはわからないが、アルが学園にやってきた。
正直、すごく嬉しかった。
優しくて、可愛くて、絶対に私の味方になってくれるアル。
アルがどうやってこの学園のセキュリティを突破したのかは知らないが、本当に驚いた。本当に私のアルは賢い。可愛い。
その日のアルは結構あまえんぼさんで、いつもなら自分からなでてなでて! というアピールを積極的にしてこないんだけど、くわえてきたバスケットに入ってたブラシを私にぐいぐいと押し付けてきた。
そのブラシでいつもやっているように優しくブラッシングしてあげると、嬉しそうに目を細めるのがもう、最高に可愛かった。
って…。
アルの話をしだすと、私は止まらなくなってしまうのでここらへんでやめておこう。
ハーディー様の話だったわよね。
まぁ、学園に入ってからは言わずもがな。
成績も普通に落ちていってるし(もとから底辺に近かったからあまり変わらないけど)、生徒会に入っていたのだが、一回も集会に応じなかったせいで会長の権限で追放されてしまっている。
まずまず、出席日数がたりなさすぎて留年すれすれだったからね。…一応、自分の好きな授業には時たま出ていたようで本当にギリギリで免れていたけど。
留年しないでくれてよかったよ。仮にも一国の王子が留年したって結構なスキャンダルだし。
女遊びの方は、あまり触れたくない。正直見たくもない報告が毎日「影」からあげられて困ってるくらいだ。
やれ、あの娼婦とホテルに入っただとか、あの令嬢を脅して連れて行ったとか……。
連れて行かれた令嬢に関しては、正妃様に相談して王家から各家に謝罪の文面を送ってもらった。
私の婚約者のことで本当に申し訳ない。
このことを相談した際、正妃様が、「…ほんっとにあの男は……こうなることを見越してやがったな、糞が。取引するにしてももう少し詳細を言えっての…。」などとおっしゃっていた気もするが、まぁ気のせいだろう。
……まぁ、長くはなったが、このような理由で私は己の婚約者が嫌いなのである。