Fランなろう作家のカレーちゃんはインボイス制度がわからない~なろう作家でもわかる解説付き~
※注意※
インボイス制度をよく知らない作者が調べながら書いた内容なので、誤りが含まれる可能性があります
「はわわ……意味わからんのじゃ……」
カレーちゃんはガタガタと震えていた。恐れていた事態が起こってしまったのだ。
テーブルの上には開封された手紙。そこには、彼女が以前に小説を出版した会社からの通知書が来ていたのだ。
そこにある内容はカレーちゃんの酒で死滅した脳細胞では少々解読が困難であったが、要約するとこう書かれていた。
『2023年10月からインボイス制度が始まるので、うちと契約してる事業者はそれに登録して登録番号を送れ』
カレーちゃんはとある零細なろう小説家である少女の名だ。小説の収入とバイトの収入、どっちが多いかというと悲しいことにバイトでの収入で生活をしている。とはいえ世の中の小説家は九分九厘、文筆業だけでは食っていけず他に仕事をしているものだが。
しかもその出版社から出した、彼女渾身のデビュー作(なろう作品だった)は数年前に打ち切られて久しい。
一般的な出版物というものは、出版を決めた会社が数千部なりを一括で作成し、売れ行きを見て増版していく。
それ故に例えば最初5000部刷ったとして、本の価格が1000円印税が10%であった場合はその時点で50万円作家に振り込まれることになる。
以降は売れようが売れまいが、増版しない限りは作家の収入は増えない。売り切れば出版社が得をするし、数百冊程度しか売れずに余らせれば損をする。大体の場合は後者であり、その代わりに大ヒット作の売上で打ち切り作品の損失を補いつつやりくりしているとも言われる。そんなことはカレーちゃんだって作者だって詳しくない又聞きの話だが。
それとは別に、電子書籍というものがある。電子データにした本を販売(或いは読む権利を売る)するものだ。
これは紙と違って印刷しないため、売れると1ダウンロードあたり幾らといった金額が作家に振り込まれることになるのだ。
当然ながら打ち切られたカレーちゃんの電子書籍販売数も微々たるものである。
年間わずか27000円ほど。年間200ダウンロードもされていない計算だ。だがそれでも、生活保護ギリギリの収入をしているカレーちゃんにとっては一ヶ月分の食費に相当する貴重な金額であり、昔はちゃんと大手出版社から本を出したというナメクジ程度の自尊心を満たすものであった。
しかしながら。
安穏としていたところ、今年からその『インボイス制度』が始まり、フリーの小説家であるカレーちゃんも他人事ではなくなったのである。
もちろん、これまでにインボイス制度について耳にしたことはあった。真面目にフリーランスの人が議論をしたり、テレビで紹介されたり。だが自分に不都合なこと、面倒な制度などは途端に聞く気が無くなるのが正しい愚民の生き方であり、カレーちゃんもそうだったのだ。
(なにやら面倒そうなのが始まるのう)
そう適当に聞き流していて、とうとう制度が始まるその年になるまで禄に調べもしなかったのである。
その怠惰な態度が、まさに名指しで自分に影響されての狼狽という結果になったのだった。
「インボイスってなんじゃー! わからん! なにもわからんのじゃー!」
カレーちゃんはインボイスをわからない。恐らく日本中に百万人ぐらいそんなフリーランスが居るだろうが、彼女もその一人だった。
*****
だがわからないと放置する猶予期間はもはや残っていないのは通知によって明らかにされた。
行動せねばどうなるか……それすらもカレーちゃんはわからない。ひょっとしたら税務署から役人がやってきて、彼女の数少ない財産を差し押さえするかもしれない。そんな恐怖があった。
「と、とにかくググるのじゃ! インボイスとはなにか!」
カレーちゃんは文明の利器に頼った。ノートパソコンを開いて早速『インボイス制度 わかりやすく』と検索した。
彼女は知識が豊富なわけでもなければ、社会経験に富むわけではない。だがググってやり方を調べる程度の知能は酒でただれた脳みそにもあった。
三十分後……
『助けてくれてありがとう! 残念だが吸血鬼はここには居ないんだ!』
「まったく吸血鬼が出てこんのう。このゲーム。プレイヤーが吸血鬼ってコト?」
カレーちゃんはベッドで寝転がってゲーム(SteamDeck)をプレイしていた。集中力が続かなかったのだ。
これまで興味のなかった分野の説明をいきなり目にしたからといって脳が明晰に理解してくれるわけではない。特に彼女は実年齢がおばあちゃんなのだ。『超初心者向け』とか『30分で理解できる』とかそういう装飾がされている説明すらわからなかった。
ちらりとカレーちゃんは時計を見てハッとした。もう30分も、無意味に過ごしてしまっている。このままではいけない。
とにかく、『インボイス制度』というのが作家や一人親方といった職業の者に絡んでくる問題だ、というのはどうにかわかった。一人親方というのが具体的になんなのか知らなかったが。
「うみゅ? そういえばドリル子さんも関係しておるのではないか?」
ドリル子さんとはカレーちゃんの友達であり住むアパートの大家である。自ら所有している土地建物でアパート経営をしている上に、動画配信で利益を得ている。
いわば自営業、フリーランスの個人事業主とも言えるだろう。
それならば彼女もインボイスとは無関係ではないはずだ。2人寄れば3分の2文殊の知恵。一人では集中して勉強できないことも、二人なら頑張れるかもしれない。
「というか儂だけこんなにしんどい思いして勉強するの嫌じゃ。あやつも巻き込んでやろう」
カレーちゃんはそう考えて、隣に住んでいるドリル子の部屋へと向かった。
ギュイーンバリバリバリ。ドリル子の部屋は相変わらずアパートの住人が殴り込みそうな音を出している。このアパートが三部屋しか埋まっていないのもそれが原因だとカレーちゃんは密かに思っていた。
どうせ呼びかけても煩くて聞こえないので、カレーちゃんは指紋認証センサーのついたハイテクなドアを開けて中に入った。
「おーいドリル子さんやーい」
チュイーン。火花を出して金属を加工していたドリル子は、一息ついたようでシールドマスクを外してカレーちゃんの方を向いた。
「あら。カレーちゃん、どうしたのかしら?」
「相談が……ってなんじゃそのバカでかいドリル。怪獣の背中でも掘るのか?」
「馴染みの工場で発注を受けたドリルを特別に私が手作りしてましたの。独自の規格でしたもの。8インチ(20.32cm)の直径をしたドリルなんて珍しいですわよね」
「それ注文が8cmと間違ったんじゃ……それよりちょいと話があるのじゃ」
「いいですわ。休憩にしましょう。ドリルコーヒーを淹れますわ」
ドリルコーヒーとは、コーヒー豆をドリル式焙煎機で焙煎して、ドリル粉砕機で粉に挽き、ドリルドリップ式で抽出して作ったコーヒーを『底にドリルがついていて自動で混ぜ混ぜしてくれる便利なカップ』ことセルフドリルカップに注いだ飲み物の総称だった。
ドリルっぽい味がする。特にドリルに差す機械油の風味が。
「それでどういう要件ですの? 家賃をパチでスッたとか言い出したらえぐりますわよ?」
「スっとらんわ! ごほん。実はのう、『インボイス制度』ってお主知っておるか? 今年から始まるらしいのじゃが」
「勿論ですわ。既に登録してますもの。そういえばカレーちゃんも関わるのではなくて?」
カレーちゃんは既に相手が何歩も先を行っている上に、自分を見下しているような言葉へ嫉妬を覚えて顔を歪めた。
当然のことである。ドリル子は稼ぎはイマイチな大家や、配信者、土木作業員などの仕事をしているが立派な社会人なのだ。一方でカレーちゃんは年金と僅かばかりな小説の印税、しょぼくれたアルバイトで生活をしている立場だ。ろくな労働をしていない社会人未満である。
大学では同学年で親しかったのにこうも差がついてしまった。だがカレーちゃんはぐっと堪えて彼女に教えを請うことにした。偉いぞ!
「そ、それが……実は儂、インボイス制度っていうのよく知らなくて……」
「ええっ! あれだけニュースで大騒ぎしていらしたのに!? フリップとか使って特集番組で報道したりとか、これまで調べる時間がたっぷりあったのにですの!?」
「だー! 仕方ないのじゃ! 関係なさそうなことを大騒動しておっても関心なんかせんのじゃ! 乗客に日本人は居ませんでしたの法則じゃ!」
「知りませんわよそんな法則……それで、カレーちゃんのことだから今更になって調べたけど、どうも脳が受け付けなくて噛み砕いて根気強く説明してくれる他人……つまり私を頼りに来たのですわね?」
「うぐっ! そ、そうなのじゃ……頼む! なんでもするから!」
「仕方ありませんわね……カレーちゃんにはマイクロビキニで温泉掘ってるところを動画配信してもらうことにして」
「対価大きくないか!?」
ドリル子の動画配信はカレーちゃんが登場すると大変に再生回数がバズる。一度などは実況配信で投げ銭が一晩に百万円を越えたこともあった。
勿論、そういった収益も税金として申告しているのはドリル子であるため、彼女が税に関してカレーちゃんより上位の立場に居ることは間違いがない。
ドリル子はいつも着ているツナギを腕まくりしながらフフンと自信あり気に息を吐いて、カレーちゃんに告げた。
「ではカレーちゃんに、インボイス制度について解説してあげますわ!」
******
「まずはカレーちゃん、『インボイス』という単語についてどれぐらい知ってらっしゃるかしら?」
ドリル子からそう聞かれたカレーちゃんは腕を組んで首を傾げた。
「いんぼいす……英単語の意味からして、語源的には『声』が関わっておるのは間違いがなかろう。イン・ボイス……声を中に入れる……声優さんのお仕事かのう?」
「違いますわ」
「淫・ボイス……チャHとかテレクラとかかのう!」
「それがどう税金と関係あるんですの?」
「税務署の役人とチャHをしたら減税されるとか」
「腐敗ですわ!」
どうやらカレーちゃんは本格的に何も知らないらしいことをドリル子は理解して、咳払いを一つ入れた。
基本的なことから説明しなくてはならないようだ。
「小学生にでもわかるように説明しますと……」
「あ。儂、小学校出ておらんぞ」
「私と同期で大学卒業しましたわよね!?」
「仕方あるまい。儂がピチピチじゃった頃は小学校とかなかったし。明治生まれじゃもん。あの大学は入学条件がザルじゃったし」
なにせ面接一つで通ったのである。明治生まれの吸血鬼とか面白そうという理由で。カレーちゃんの学力は、せいぜい日本語が使える程度のレベルである。小説家として最低限といえよう。
「とにかく。まず『インボイス』というのは『形式の決まった請求書』のことですわ」
「形式が決まった?」
「普通……というか、一般的な請求書はそこらの文房具屋に行けば売っているどこかのメーカーが作った請求書や、自分でパソコンから印刷したものに金額だとか相手の名前、品名などを書いて出しますわよね」
「知らん……出したことない……」
「ゴホン! それ以外でも、メモ帳だろうがチラシの裏だろうが、請求書として書いて出せばそれは請求書として効果を発揮するものですわ。これまでは。しかし、この『インボイス制度』が始まると、
『形式の決まった請求書』のみが税法上、ちゃんと効果を発揮するものとして扱われるようになりますの」
「ふむふむ。ならその請求書を使うときは、税務署のサイトとかからPDFファイルとかでダウンロードするのか? もしくは文房具で売られるようになるのかのう?」
「ところがどっこい、この『適格請求書』を発行するには『適格請求書発行事業者』として税務署に登録する必要がありますの。形式というのは書類の種類ではなく『事業者登録番号』を記載するかどうかなのですわね」
「なるほど! つまりインボイス制度というのは、その事業者とやらになれば解決するのじゃな!」
「まあ簡単に言うとそうですわね。終わりですわ!」
「……」
「……」
「あれ。なんでそんな簡単な話が大ニュースになったりしておったのじゃ?」
「良いところに気が付きましたわね、カレーちゃん」
いつの間にか着用していたメガネをクイッと上げてドリル子は頷いた。
「例えばカレーちゃんは、自分で小説を書いてお金を稼いでいますわね」
「うみゅ」
「それは一種の事業者ということですわ。で、カレーちゃんはこれまでに事業者として『消費税の納付』をしましたかしら?」
「しょ、消費税? わ、儂はいつも酒を買うときにスーパーなどへ納めておるが……」
「カレーちゃんが払う分ではなく、カレーちゃんが貰う分のことですわ」
「???」
カレーちゃんが混乱を始めたのでドリル子は話をよりわかりやすくしようと、彼女に関わる内容に戻した。
「カレーちゃんは本を売っていますわ。幾らでしたかしら」
「300円じゃ!」
「それは税込み価格ですわね?」
「うーむ、そういえばそうじゃ。Amazonの値段設定で決められるが、実際は273円に税込みで300円となるよう調整しておる」
「電子書籍とかAmazonとかは今はノイズとして、とにかく今は同人誌を税込み300円で売っていることにしますわね。すると、27円の消費税をカレーちゃんは得ているわけですわ」
何処から取り出したのかホワイトボードに書きながらドリル子が説明をする。文字に起こされることで、カレーちゃんもひとまずは「どこからか発生した27円」という存在については頷けた。
「次にこの本が1年で1000部売れたとしますわ」
「1000部……売れるといいのう……」
「そうするとカレーちゃんの売上は30万円。うち、2万7000円が消費税ですわね」
「電子書籍の場合は印税率とかあるが……まあ、単純に考えるとそうだのう」
「2万7000円」
「?」
繰り返し告げるドリル子にカレーちゃんは首を傾げる。
「この2万7000円は消費税という『税金』ですのよ。カレーちゃん、税金はちゃんと国に『納付』しないといけませんわ。していますの?」
「え!? し、知らんぞそんなの! これまで一回も怒られておらんし! っていうか儂の金じゃ! 儂のじゃ!」
「……というのが、今までの『免税事業者』という零細のフリーランスですわ」
ドリル子が微笑んで話を続けた。
「実際のところ、年の売上が1000万円以下の事業者の場合、カレーちゃんが得た2万7000円みたいな少額の消費税は納付しないでも見逃されてましたの。これを『益税』と言いますわ」
「ほほう。なんで見逃しておったのじゃろうのう?」
「小さな商売にまで目を光らせるのはコスパが悪いからじゃないかしら。ですけれど、『適格請求書発行事業者』に登録して『適格請求書』を出すようになると、こういった少額の消費税も申請して納付することが義務付けられますの。まあつまり、カレーちゃんの年収が消費税分10%減るってことですわ」
「な、な、なんと!! おのれ国め!」
カレーちゃんは地団駄を踏んで悔しがった。このか弱い年金生活者の僅かな食い扶持を更に減らそうとするとは。
まあ、カレーちゃん自体が自分で年金を払ったこともないのに受給資格だけ取って毎月貰っているという社会のダニではあるのだが。
「そんなの登録せんのじゃ! 一体誰が登録するんじゃ、こんな損する法律!」
「まあ、登録しないのも一つの選択肢ですわね」
「……」
疑わしげにカレーちゃんがドリル子を見て、手を挙げ質問した。
「これ、登録せんと税務署からやってきた役人が床板とか剥がして地下を掘り返したりせん?」
「密造酒でも作ってますの……? まあ、そんなことはしませんわ。向こうも暇ではないのだから、払われていない消費税を零細事業者自らに払わせるための法律ですもの。自分たちから動くようなことではありませんことよ」
「だったらなんで騒がれておったのじゃ? 誰もやりたがらんじゃろ」
「『適格請求書』じゃなければ税法的に受理されない、という内容が重要なのですわ。カレーちゃんにわかりやすいのは請求書というより領収書ですかしら」
「?」
「例えば、カレーちゃんの本100冊、事業のために使いたいから買いに来た人がいたとしますわね。お値段は3万円支払い、会社の経費にするから領収書を切ってくださいまし」
「どんな事業なのか気になるが、はいなのじゃ」
カレーちゃんは適当に出された紙に『30000円』と書いた。
「ですけど『適格請求書』の形式ですと、税抜き価格と消費税も記載しないといけませんの。今度はそっちを書いてくださいまし」
「ううむ、百部だから百倍で……」
次に書いたのは『本代 27300円』『消費税 2700円』とした。
「はい、それを受け取った人は後者の『適格請求書』だと、2700円を『消費税申告』で計上して税金を控除できますので、実質は本を27300円で購入できたことになりますわ」
「は? え?」
「要はその2700円の税金を、自分ではなくカレーちゃんが納めたということになるわけですわね」
「一方で前者では誰が消費税を払ったという証明がないから控除もできませんわ。消費税分損をするわけですからお客はこう言いますの。『適格請求書で記載しないなら、消費税分を安くしろ!』」
「そ、そんなこと儂に言われても!」
「消費税を納める必要のない『免税事業者』は、相手に消費税を上乗せで請求することはできないのですわ。だって払っても消えてしまうのですから。取引先からすれば消費税分損をしてしまいますもの」
「むむむ……」
「仕方ないからカレーちゃんが税抜きで100部売った場合、儲けは27300円。その調子で1000部売ると年収が273000円ということになりますの」
「なんと!? 10%ぐらい減った……あれ? 10%減るなら、消費税払っても年収変わらんのじゃないか?」
「そうですわよね。その通りですわ。あら不思議、インボイス制度に登録していなくて、免税事業者のままなのに収入が1割減りましたわ~」
「あ、あれ!? 本当じゃ! いつの間にか勝手に減っておる!」
狐に化かされたようにカレーちゃんは順番を思い返す。
「となると、消費税分値引きしろと言ってきた客が横暴なのじゃ! 値引きはせん! これでどうじゃ!」
「つまり、その分は1割ほどお客に負担させる……実質、本を値上げするってことになりますわね」
「う、うみゅ」
「単純に、高いと商品は売れなくなりますわね」
「ぐぐっ」
「それに値上がりしただけではなく、『経費で落とせない不適格な領収書はちょっと……』って事になって、個人の客ならともかく事業者相手には取引を忌避されることになりますわ」
適格請求書は『お互いに適格な請求をして税を払っています』という相互の取り決めでもあるのだ。
片方が適格で、片方が免税となればその問題は特に浮き彫りになるだろう。適格事業者が消費税をしっかり相手に払ったと主張しても、免税事業者はそれを納付する義務がないのだから消費税の行き先が不明瞭になってしまうのだ。
これによって免税事業者を炙り出し、圧迫することで適格事業者への変更を促すことにもなる。
「更には適格事業者になって消費税を納める際には経費の消費税分を申告できますの」
「???」
「そうですわね……カレーちゃんが30万円の本を作るのに、税込み11万円の経費が掛かったとしましょう」
「そんなに経費使うなんぞ考えなしじゃな、儂」
「その経費のうち1万円は消費税ですわ。その経費で掛かった消費税は、売上で掛かった消費税2万7000円を減らすことができますわ。つまり、この場合カレーちゃんの納付すべき消費税は『1万7000円』になるってことですわね。ざっと経費も纏めるとこんな感じの収入になりますわ」
現状
本収入 30万円(消費税込みで販売)
経費 11万円
手取り 19万円
インボイス未登録
本収入 27万3000円(消費税抜きで販売)
経費 11万円
手取り 16万3000円
インボイス登録
本収入 30万円(消費税込みで販売)
経費 11万円
消費税 -1万7000円
手取り 17万3000円
「あっ! 登録した方が手取り増えて……いやそれでも現状から下がっておるな!」
「まあ、登録後にどう売上が上がり下がりするかはわかりませんから適当ですけれど。つまりはメリット・デメリットでいうと、
・インボイスに未登録だと、経費で支払う企業等の取引が忌避されるようになるかもしれない。個人間取引でも消費税分を考えて値段を交渉される可能性がある。
・インボイスに登録すると、自分が経費で支払った消費税分を納付する消費税から差し引ける。今後、企業相手などの仕事をする際に求められる可能性が高い。
こんな感じですわね」
「こ、これだと未登録は死ぬしかないみたいじゃ!」
カレーちゃんは絶望顔になってしまった。どっちにせよ収入が減ってしまうのだ。損しかしない。弱者を痛めつける法令に思えた。
ドリル子は再びメガネをクイッと上げて話を続ける。
「──と、ここまではただの基本知識ですわ。言ってみれば『動物村で絵本を売っていました、税金は幾ら掛かるでしょう』みたいな超雑な前提条件での幼稚園向きなお話ですの。よろしくて?」
「妙に棘があるのう!」
どうやらまだ説明はあるようだった。
*****
「実際は業務形態や仕事の分野が多種多様に及ぶから、個別にインボイス制度がどう関わっているか判断する必要がありますわ。普通はそこらで引っかかるのですけれど」
「悪かったのう!」
口を尖らせながら言うカレーちゃんだが、彼女の生活に関わることだ。やむを得ず続きを促した。
カレーちゃんの仕事全体に関して、ドリル子はそれなりに協力をしている。友達でもあるし、店子で家賃を貰わなくてはならないからだ。或いはそれらの税ではカレーちゃんより詳しいかもしれない。
「まずカレーちゃんは本を直売りじゃなくて、『Amazon』に『電子書籍』として販売していますわ。税込み300円で」
「うみゅ」
「そしてAmazonから提示されている印税率……ロイヤリティは70%でしたわね。すると300円の70%で1冊あたり、210円の儲けになりますわね?」
「そうじゃ! ……あれ? ちょっと待つのじゃ」
カレーちゃんがタブレットをポチポチと動かして自分のAmazonアカウントのページを確認し、金額を確かめる。
1冊あたりのロイヤリティは190円となっている。
「なんでじゃ!」
「よく見てくださいまし。そのロイヤリティは『税抜き価格』……つまり273円から計算されていますでしょう?」
「本当じゃ。273円の70%が191円で、1円はショバ代になっておる」
「つまりこの電子書籍の場合、消費税はカレーちゃんではなくAmazonが取っていることになるのですわ。電子書籍の売上に関して、カレーちゃんは消費税を納付する必要は無いんですの。貰っていないんだから。たぶん」
「なんと!」
これは『カレーちゃんが電子書籍を売っている』のではなく、『カレーちゃんが電子書籍の出版権をAmazonに貸し出し、その対価を受け取っている』という形になっているためだ。
あくまで売買を行うのはAmazonであり、カレーちゃんはそのロイヤリティを受け取っているにすぎない。
「じゃ、じゃがこのロイヤリティから税金を取られるのではないかえ?」
「いいえ。Amazonは外国に本社を置く企業ですから、日本の消費税が対象になりませんわ」
「なんかカードゲームの特殊効果みたいにややこしくなってきた……」
「つまりですわね」
・カレーちゃん→Amazon(外国にある本社):本を貸す。免税。
・Amazon→日本市場:電子書籍を売る。消費税が掛かる。
・Amazon→カレーちゃん:ロイヤリティを払う。免税。
「という感じですわね。…………たぶん」
「たぶん!?」
「ちょっと調べた限りは、ですわ!」
ドリル子だって税理士ではないのだ。断言はできない。特に海外の企業が絡んでくると難しくもなるのである。
一応は免税の要件として、「課税事業者が海外に籍を持つ相手に対して著作権等の無体財産権を譲渡、貸付した際には消費税が免除される」とあるため、カレーちゃんとAmazonの関係はそれに該当すると考えられる。
「ということは、儂のメイン収入である電子書籍販売に関してはインボイス登録せんでもいいってコトじゃのう!」
「ですけれど、カレーちゃんは他にも収入がありますわよね」
「ええと、中華料理屋のバイトと、配達のバイトじゃな」
さすがに年に一冊本を売った程度の金で生活をするのは、年金を合わせても困難であったためにカレーちゃんは他にアルバイトをしていた。
近所の中華料理屋で一日三時間程度の仕事を週に三日、そしてその帰りに原付きバイクでAmazonの荷物を僅かばかり近所に配る宅配の仕事である。
「それぞれがえーと、年に三十万円ぐらいの収入じゃろうか」
詳しくは計算していないが、カレーちゃんがそう言うのでホワイトボードにドリル子が書いた。
「このうち、中華料理屋のアルバイトは『給与』という形でお賃金が与えられているので、インボイス制度とは関係がありませんわね」
「そうなのか」
「事業主じゃありませんから、そこらの問題は完全にカレーちゃんを雇っている中華料理屋さんが事務処理をするものですわ」
ホワイトボードに『給与を貰う普通のアルバイトは関係ない』と書いた。
「ですが、この宅配のアルバイトは関わってきますの」
「なぬ!」
「だってこれ、時給幾らで雇われていますの?」
「いんや、荷物一つ何円で仕事をしておる」
「概ねその場合は『雇用』ではなく『業務委託』という形になっていますから、カレーちゃんは個人の事業者として業務を請け負っている、という立場ですわ。お給料の請求書を見たことは無くて?」
「そ、そういえば、毎月請求書として向こうが発行したものじゃが、幾ら儂が請求したので振り込みましたよみたいな紙を貰うのじゃ!」
「消費税は?」
「……税込みで振り込まれておるのじゃ! 儂に消費税を払っておるぞ、あの会社!」
カレーちゃんが宅配の委託をしているのは大手運送業者である。特に彼女が住んでいる田舎などでは前々からそういった個人に荷物を渡して配達を委託するという方式を活用していた。
大儲けしているわけではなく、毎日一時間程度でカレーちゃんが普段飲む焼酎代になる程度の稼ぎではあるが、税込み価格で振り込まれている。
「まず間違いなく、そっちの会社の場合は『消費税を振り込んでいるのだから、事業者の方で消費税を納付して貰わなくては困る』と言い出すでしょうね」
「うぬぬ!」
「それも大手ですから、個人と個人の取引なら値段交渉して解決するかもしれませんけれど……」
「おのれ、大手の力め!」
当然ながらカレーちゃんのような零細フリーランスと違って、大手企業などは適格請求書を取らないという選択肢はまずもって存在しないため、公正な取引を行うために相手へも事業者登録を求めるだろう。
おおよそ企業の八割以上は既に登録済みであるという調査結果も存在している。
「勿論、カレーちゃんが前に本を出していた大手出版社もそうですわ。今でも電子書籍販売で取引が続いているのですから、登録者番号を教えるようにって手紙を出したわけで」
「うぬぬ……」
「まあつまり結論はこうですの」
・インボイスに登録するかしないかは個人の仕事内容、取引内容によって変わる。
・他事業者から雇用されて給与を支払われるアルバイト、パートタイムは必要がない。
・企業と取引を行う場合は登録が必要になる可能性が高い。
「……つまり、書籍化したなろう作家などは、出版社と関わるわけじゃから事業者登録しなくてはならんじゃろうなあ」
「そうですわねえ。カレーちゃんの場合は必要だと思いますわ」
「うぐー! 収入低下と手続きの増加で何一つ得をせんのに!」
「やれば損、やらなかったら大損ってところですわね」
カレーちゃんはガックリと肩を落として嘆いた。
「とほほ~! インボイスはもう懲り懲りじゃよ~!」
ちゃんちゃん。
******
「いや、ちゃんちゃんじゃありませんわよ。なんでひと仕事終えたみたいにゲームを起動させてますの?」
「え? だって説明受けたし……」
「説明だけで物事が終わるわけありませんわ! 早くインボイスに登録なさいな」
「後でやるから……後で……」
「今やる!」
ドリル子に叱られてやむを得ずパソコンから登録の設定を始めたカレーちゃんであったが、登録に必要なマイナンバーカードの署名用パスワードを思い出せずに間違った挙げ句にロックされて役場へ行かないと進まなくなり、更にやる気は失せたのであった。
「なんじゃこの不便なクソカード!」
「先は長いですわね……」
皆も気をつけてインボイス制度に登録しよう!