3話いなり
「九十九…とは、ワタクシの事でしょうか?」
ふいにクニオが能面の様な少し、怖い笑顔で客人の青年に聞きました。
その暗く低い声に、春枝は、えたいの知れない何かを感じて鳥肌がたちました。
それは、春枝が知らないクニオの気配でした。
春枝は唾を呑み込んで、恐る恐るクニオを見ました。
そうして、クニオの瞳の奥に、見たこともない強い光を見つけて驚きました。
クニオを見て驚いたのは、春枝だけではありません。
客人の青年も、一瞬、クニオに何かを感じて、軽く目を見開いてから、やはり、張り付くような笑顔でクニオを見て、それから、わざとらしく丁寧な謝罪をかえします。
「これは、これは……、いなり様でしたか、失礼いたしました。
私も『神』としてこの国に祀られて日が浅いもので、まだまだ、微弱な神光を見極めるまでのスキルがありません。」
スキル……(-"-;)春枝は、なんだか嫌な予感が胸の辺りから沸き上がってきました。
-_-)微弱……クニオも何か、気に入らないように口を閉じてしまいました。
が、青年だけは嬉しそうに饒舌に自己紹介を始めました。
「ああ、これは失礼いたしました。
私、西の国から参りました『メフィストフェレス』と申します。
生まれは、希臘。しかし、有名になったのは、西洋に来てからでございます。
かの国では、シェイクスピアと申す、ろくでもない劇作家に、悪魔と呼ばれ、嫌われものにされてしまい、
ゲーテ…ああ、あの忌々(いまいま)しくも、女々しい詩人に、ファウストを騙したつもりが、ざまぁされた、チャラ男的キャラにされちゃいましたがね……。」
客人、あらため、メフィストは、楽しそうに自分語りをしていますが、春枝は聞いていませんでした。
クニオが、いなりとなっていたなんて!!
そちらの方が驚きだったからです。
クニオは、柳田先生が退職して日本を旅するときに、同僚が渡したしおりの精霊です。
アイルランドと言う地域では、古くから、四つ葉のクローバーを持つと、妖精に化かされないと伝えられていたのにちなんで、
東北の妖怪の話を探しに行く柳田先生の無事を祈ったものでした。
メフィストが言う、九十九さまとは、『つくも神』と呼ばれる妖怪の事です。
日本では、長く使われる品物は、やがて魂をもち、妖怪となって悪さをするとされていました。
そこで昔の人は、立春と呼ばれるときに、古い品物を処分していました。
妖怪になれなかった品物は、『九十九神』とよばれて恐れられていました。
が、良い魂をもち、100年の時を経ると、ごくたまに、神様になれるモノも現れるのです。
それらを人は、異なる神と書いて『いなり』と呼びました。
いなりと言えば、豊穣の神様の使いのキツネが有名ですが、あちらは稲荷と書いて、いなりになります。
「こんな事、してる場合じゃないよ。」
春枝は、脈絡なく立ち上がり、少し、不機嫌そうなクニオを見つめました。
クニオは、さっきから、チクチクと嫌な話し方をするメフィストに腹が立っていましたが、
しばらく、だまって見つめていた春枝に、『きゃー』と叫ばれて抱きつかれてしまい、ビックリした拍子に怒るのを忘れてしまいました。
「よかったね…クニオさんっ!いやぁ〜イナリさまって呼ぶべきかね。
1919年…あれから、100年がたったんだね。」
春枝の目が、嬉し涙で潤むのを、クニオは少し照れながら見ていました。
見つめあう二人…
が、何かを思い出した春枝は、クニオの気持ちをおいてけぼりにして、勢いよく家守の方へ顔を向けて叫びました。
「家守!シャンパンだよっ。信州のシャンパンを出しておくれっ。
お祝いをするんだから、ケチケチしちゃ、いけないよ。」
春枝の声が部屋に響くと、家守は、いつも通りの落ち着いた足取りで春枝のもとへと行くと、こう聞きました。
「スパークリングワインにしましょうか?
それとも、華やかなリンゴのお酒、シードルを用意しましょうか?」
「はあ?だから、シャンパンだよっ、信州のっ。
外国の客人に、日本にも、最高のシャンパンがあるのを知ってもらうんだからねっ。」
「Ma、darm。それは無理でございます。
シャンパンとは、フランスのシャンパーニュ地方のスパークリングワインの事。他の地方にはシャンパンは存在しないのです。」
(´ヘ`;)…
「じゃ、家守、あなたのオススメでお願い。
あと、私は、マダムじゃないし、春枝と呼んでくれていいから。」
春枝は、家守の様子を堅苦しいなと、少し、面倒くさく感じました。
けれど、家守は、『春枝と呼んで欲しい』と言われて、なんだかチョッピリ照れていました。
大切なお嬢様を…下の名前で親しげに呼ぶなんて。
家守は、少し赤くなる頬を見られないように、急いでお辞儀をして、スパークリングワインを探しに消えました。
いなり神については、諸説あるようです。
ついでに、九十九神についても、アレンジが土地や家庭で加えられるようで、どこまでがオフィシャルなのか、分かりません。
が、100年経過しないものをつくも神であり、経過したものについての記述を見つけられませんでした。
私は、100年経過すると、物神になると聞いて育ったので、そんな記事がネットで探せなかったことの方が驚きでした。
九十九神と書きますが、99年経過しなくても良いらしく、基本は神と書いても妖怪のようです。
妖怪は、別名、物の怪。物に魂が宿ったもの、と言うところでしょうか。
物の怪や妖怪については、どうも、聖徳太子の時代、つまり、仏教が日本に入る頃から登場するらしく、
歴史を思うと、聖徳太子に追い落とされた物部氏、もしくは、その御神体を権力者が貶めた、とも、考えられなくもありません。
聖徳太子が教科書から消えたとしても、小説を書いたりするなら、覚えておいて良い名前だと思います。
後、100年過ぎたモノがどうなるのか、その辺りは私の創作です。