2話ビーナス
ドアから現れたのは、背の高い西洋の青年でした。
ベルエポックの様式を思わせる、モダンな紳士服をきらやかに輝くマントからのぞかせて、青年はローマ風に右手を天に向け挨拶をしました。
ベルエポック…って、こんな様式だったかしら?
春枝は、やって来た客人の姿に混乱し、思わず右のこめかみを手で押さえました。
何か、違和感があるのです。間違い探しをさせられているような……。
確かに、クニオと出会った時代は、洋服やら髭に慣れない紳士が日本にもいて、そんな紳士をみるにつけ、不思議な気持ちになったものですが、それとは違うのです。
春枝は、青年の頭に張り付く小さなシルクハットを見ました。
それは、女性の髪飾りのような可愛らしいデザインのもので、帽子と言うより髪飾り。とても、明治時代の紳士が身に付けるものではありませんし、青年は、当時のザンギリ頭と言うには長髪で、ギザギザと不規則に顔の輪郭を飾っています。
それでも、カラスの濡れ羽色と言う形容が見事に似合うような、艶やかで美しい髪で、
上品な目鼻立ちをしていました。
これが、現代風と言うやつなのかしら?
春枝は、よくわからない不安を抱えてクニオを見ました。
クニオは、少し難しい顔をしています。
さあ、この青年は何者なのでしょうか?
「お初にお目にかかります。」と、青年は、鶴のような声を響かせながら上げた右腕をくるりと回転させながら自らの腰におき、春枝の前に膝まづきました。そして、こう言いました。
「ma dame」
「マダム?(@_@)」
春枝は、青年の甘いテノールと夫人を意味するマダムと呼ばれて頭が混乱しました。
マダムとは、西洋の人が結婚した女性に言う言葉ですが、山の妖精の春江は独身です。
クニオと家守は、この珍客をどうするべきかと顔を見合わせました。
が、青年だけは、春枝を見つめてマイペースで語るのです。
「ma…dame…我が心の婦人…。
貴女をそう呼ぶには、私は、まだまだ若輩者と、お思いなのですね。」
「あっ…」
と、春枝が青年に答えるまもなく、彼は話続けます。
「ああっ…麗しき南アルプスのヴェーヌスよ。」
ヴェーヌス?ギリシャの美の女神の事かしら?
春枝は、ルーブル美術館に展示されているミロのビーナスを思い浮かべて、少し恥ずかしい気持ちになりました。
昭和の時代、女性を誉める言葉として『ビーナス』がはやった事がありました。
あの頃は、私の水着姿に、海坊主たちが『若狭のビーナス』なんて囃子たてながら口説こうとしたもんだわ( ´艸`)
地元の人魚がそれにヤキモチを焼いて、ふふふ、懐かしいわ。
「dame…フランス語の後には、タンホイザーですか?随分と散らかった美辞麗句ですね。」
クニオが穏やかな顔のまま、不機嫌全開で青年に声をかけました。
春枝は、はっ(゜_゜)と若い頃の妄想から目を覚まし、家守は嬉しそうな春枝を観察しながら、
お嬢様が喜ぶなら『マ ダーム』と今後は呼ぶべきか思案を始めました。
「『タンホイザー』……ああ、ワーグナーの美しき歌劇!!
私の発言にタンホイザーをワーグナーを思い浮かべて頂けるなんて、
ありがとうございます。」
と、ここまでをオペラのように謳いあげ、そして、少し低く小さな声で「九十九さま」と続けました。
クニオは、その『九十九』と言う言い回しに、青年の競争心を含んだ敵意を感じで嫌な気持ちになりました。
ビーナスの元ネタを検索していて、郷ひろみさんの『裸のビーナス』という曲にたどり着きました。
レコードジャケットに、なんとも言えない衝撃を受けました。
このお話は、私にとって思いもしない刺激に出会える物語のようです。