25話 知りたくない真実 前編
時は少しだけ遡る。
二月十三日、まだアカサキ探偵事務所に依頼が一つも届いていない頃だ。
私、四条一二三はその日実家に帰っていた。実家と言っても今は別の人間が住んでいる場所だ。
玄関を開け、現在の家主の顔を見た瞬間、私は頭を地面に触れさせながら謝罪をした。……つまりは土下座したのだ。
「本当にすみませんでしたッ!」
「一二三様、頭を上げてください……。本当に気にしてませんから……」
総一郎が困惑した様子で言う。
彼の顔を見ると、自然と廊下にまで積まれているあれが目に入ってしまう。
「いい加減やめようって樹里ちゃんに何度も言ってるんですけど……」
廊下に積まれているのは本、それが文字通り山のような量でこの家のスペースを圧迫している。
今日はその処理の手伝いをするために訪れた。
青木総一郎、元は赤崎家に仕えていた人物だ。
俯瞰島にある屋敷で起きた事件の後、正式に当主となった赤崎新太によって解雇された彼は、妻と共にここで第二の人生を謳歌している。
「普段なら読まないものが読めて、私たちも感謝していますから」
積まれている本はどれもジャンルがバラバラだ。
推理小説、恋愛小説、ライトノベル、ビジネス書籍に有名アニメの考察本…所謂謎本まで、ありとあらゆる本を樹里は退屈しのぎに読んでいる。
「えっとこれは処分して……、あっ」
「どうかしましたか?」
「い、いえっ、なんでもないです」
そう言いながら、私は自然と壁に残された跡を眺めてしまう。
幼い頃に身長を刻んだ傷痕、ラクガキを消した痕跡、どれも私の思い出だ。
だが、どんなに懐かしんだところで父は帰ってこない。そして母も……。
それを思い出すのが嫌だから、私はこの家を捨てたのだ。
……大丈夫。今の私は一人じゃない。赤崎樹里という大切な人がいる。
思考を切り替え、作業に戻る。
本の状態は様々だ。新品のように綺麗なのもあれば、何度も読まれたのかかなりボロボロになっているものもある。
そもそも、樹里は本をいろんな場所から取り寄せる。本屋で新品を買ったり、古本屋で中古品を買ったり、更にはネットのフリーマーケットで個人が出品しているものを買ったりしている。当然、中には酷い状態のものもあるのだが、基本的に彼女は文句を言わずに読み、そしてこの家に送っている。
綺麗なものは古本屋へ、ボロボロなものは……もったいないが処分するしかない。
黙々と作業をするが、売却と処分の選別を終えるだけで昼過ぎまでかかってしまった。
総一郎の妻である、美也子の作った昼ご飯を食べながら休憩をする。テレビの電源を点け、ニュース番組をBGM代わりにしながら、スマートフォンのメッセージアプリで樹里に連絡をする。
『ごめん! 帰りは少し遅くなるかも!』
返信はすぐに返ってきた。
『そうか。こっちも今取り込み中だから、しばらく帰ってこなくていいぞ』
「ん……?」
首を傾げる。
その直後に樹里から可愛らしいクマのスタンプが送られてきた。
……わけがわからない。
すると、テレビからバレンタイン特集の話題が流れてきた。今まで忘れていたが、明日はバレンタインだ。
「そういえば、一二三様は樹里様にチョコを送るのですか?」
「えぇ⁉ そ、それはまあ…勿論……」
嘘だ。そもそも私はチョコなんて作ったことがない。美鈴と付き合っていた頃も、送ったのは既製品のチョコだ。
勿論作り方はわかっている。しかし、もし不味いなんて言われたら……、そう考えただけでわざわざ手作りを送ることなんてできなくなる。
「ならここで作っていきましょう」
突然美也子が私の肩を叩いた。
「で、でも材料が……」
「今から買いに行けばいいんですよ!」
無理矢理立たされ、玄関へと引っ張られる。
こうして私は本来の目的そっちのけで、チョコ作りをする羽目になった。
●
「……なんだこの状況は」
今日は茜が休みで、一二三が出かけている。つまり部屋には私一人のはずだったが、一二三が部屋を出た直後に見計らったように茜と美鈴がこっそりと部屋に入ってきた。そして二人はキッチンで何かを広げ始めた。
「チョコでも作るつもりなのか?」
「……文句でもあるの?」
露骨に警戒した目で美鈴が私のことを見る。
「つまみ食いしないでよね」
「するわけないだろ。子供じゃあるまいし」
いつも以上に機嫌の悪そうな美鈴と、顔を真っ赤にしている茜の様子を見ればすぐにチョコを送る相手がわかった。
「……完全に忘れてたな」
「樹里さん、もしかして一二三さんに渡さないの?」
バレンタインなんて風習、今まで一度も参加したことがなかった。三年前も、琴子からもらっていないし、逆に渡してもいない。
「……まあ、別にいいだろ。めんどくさいし」
明日にでも既製品を買いに行けばいい。そう考えていると、美鈴がニヤリと笑った。
「そう言って、作り方がわからないだけじゃないの?」
「……は? そんなわけないだろ」
乗せられているのはわかっているが、バカにされるのも癪だ。
一二三のエプロンを着て、シャツの袖をまくり手を洗う。これで準備完了だ。……ちなみに私は一度も料理なんてしたことがない。
……まあ知識はあるし、大丈夫だろう。




