23話 不死殺し③ 二つの事件、二人の犯人
冷蔵庫を開き、中に入っていたチョコを取り出す。
二つの事件の現場を見終え、私たちは自宅に帰ってきた。その道中もずっと事件のことを考えていたせいで、脳が急激に糖分を欲していた。
甘いものは嫌いではない。
味覚がほとんど死んでいた時期も、甘いものだけは定期的に補給していた。ただそれは嗜好というより本能、謎を解くのに頭を動かすために必要なエネルギーを求めていただけだ。
「……甘い」
しかし、今は少しだけ違う。一二三との生活で私は味覚を取り戻しつつあった。
だから、甘いものは嫌いではない。そう自信を持って言うことができる。
「樹里ちゃん、夕ご飯はどうする?」
「……いい、少し寝る」
私の寝るという行為は、普通の人間とは違う。脳は一切休まらない。
まだ頭を動かさなくてはならない。休んでいる暇なんてないのだ。
ソファーに倒れ、目を閉じる。
大方トリックは見当がついている。そして犯人も。
後はそれをはっきりとした形にするだけだ。
☆
「なんだか貴女とこうするのもひさしぶりね」
「御託はいい。さっさと始めるぞ」
『双貌の魔女』はクスリと笑うと紅茶を飲んだ。
そしてカップを受け皿の上に置くと、空気が一変した。
「まずは再確認からだ。ある程度警察から情報も得ている」
電車の中でひたすらメールを打ち続けた甲斐あって、サチヱと繋がりのあった人間からいくつか捜査時の情報を入手することができた。
私と魔女は記憶を共有している。この世界で記憶のすり合わせを行うことで、見落としや情報の海に沈んだ欠片を無くすのが私の目的だ。
「現場は二つとも密室だった」
「肯定、扉に何か細工をした痕跡もなかった以上、鍵以外の方法で外部から扉を施錠することは無理だと考えていいわ」
「扉だけではなく、窓も施錠されていた」
「肯定、外部から窓を施錠する方法は無いわ」
だからこそ、恵子は窓を割って室内に入ったのだ。
「窓が割れた音を現場近くの住民が聞いている。通報時間もその直後だ。そして四ツ谷恵子にはアリバイがある。彼女の証言に嘘はないはずだ」
恵子は四ツ谷史人の死亡時刻に買い物をしていた。その様子が店内の監視カメラ映像に残っている。
それともう一つ、彼女は車の運転ができない。……免許を持っていないからではなく、別の理由で。
犯人は現場に行く際に車を使った。車好きだった四ツ谷史人の車についていた小さな傷がその証拠だ。
「そうね。……偽りがないからといって、真実を告げているとは限らないけど」
「……そうだな、続けるぞ。四ツ谷家の現場には朝倉家の鍵が、朝倉家の現場には四ツ谷家の鍵が存在していた」
「肯定、それぞれ現場の机の上に置かれていたわ」
「四ツ谷史人、朝倉浩司の殺害時刻はほぼ同じ」
「肯定、共に殺害されたのは昼頃ね」
「そして警察は最終的に二件とも自殺と判断した」
「……えぇ、肯定よ」
真実は違う。
二人は他殺だ。つまり、あの密室は犯人によって生み出されたものだ。
「まだだ。鍵が二つ以上存在していた可能性は?」
「否定、四ツ谷家と朝倉家の人間全員が鍵は一つだけだったと証言しているようね」
「……四ツ谷大智もか?」
「えぇ、勿論」
「……そうか」
私たちは大智とは会うことができていない。恵子がそれを拒んだからだ。
ただし彼に関してはある程度想像がついている。
「部屋は本当に密室だったか? 例えば第一発見者が内鍵から施錠した可能性は?」
「少なくとも朝倉浪江には無理ね。貴女が犯人だと睨んでいる彼女にあの現場の施錠は不可能よ」
恵子はベランダの窓から死体を発見し、窓を割って室内に入った。ということは内鍵から施錠をして、偽りの密室を生み出した可能性もある。
ただし、彼女にはアリバイがある。彼女に史人を殺すことは不可能だ。しかし、彼女は確実に何かを見たはずだ。そしてそれを私たちに隠している。
一方、浪江はベランダから室内の様子を見てすぐに通報をした。内鍵での施錠は不可能だ。
勿論対応としては浪江が正しい。だが、恵子の行動も理解できる。
……私も似たような罪を背負っているのだから。
「四ツ谷恵子の証言が正しければ、内鍵で施錠はふか……」
「いや、可能だ」
被害者二人が殺された時間は同じだが、密室が作られた時間が同じとは限らない。
「なら、犯人はどうやって密室を作りだしたわけ?」
「犯人は二人いる。それで説明は可能だ」
その一人が朝倉浪江、そしてもう一人はあいつだ。
「まず浩司殺しの犯人は車で朝倉家に向かい、犯行を行った。そして持っていた四ツ谷家の鍵を机の上に置き、もう一つの鍵で現場の部屋を施錠した。これで朝倉家の密室は完成だ」
「じゃあ四ツ谷家の方は? 鍵は浩司殺しの犯人が持っているんでしょう?」
「簡単な話だ。朝倉浪江が四ツ谷史人を殺害した後すぐに逃走。その後帰宅したもう一人の犯人が書斎に入り、鍵を机の上に置いた。……そして内鍵で施錠しただけだ」
「そんなことしたら……!」
そう、内鍵で施錠をしたら犯人は脱出できない。……いや、脱出する必要がなかったのだ。
犯人は知っていたからだ。第一発見者が必ず自分に味方すると。
「四ツ谷恵子は犯人の一人が四ツ谷大智であることを知りながら、私たちに隠していたんだ」
「え……? な、ならなんで貴女に依頼を⁉」
魔女が感じた疑問は当然のものだ。四ツ谷大智が犯人であることを知っていたなら、わざわざ私たちに謎を解かせる必要なんてない。むしろ警察が自殺で処理した事件を掘り起こす行為になってしまう。
なら何故、恵子は真実を暴かせる必要があったのか。その理由はあの家でした臭いにある。
「四ツ谷恵子は恐らく共犯者の存在に気付いていたが、正確に誰が夫を殺したかわからなかったんだ」
「なら大智に聞けば…まさか、そういうことなの……?」
「あぁ、こればかりは直接確認しないといけないがな」
どうやら魔女も気づいたようだ。
後は朝になるのを待つだけ。一二三にはまた無理をさせてしまうなと考えると、私の心に細い針が刺さったような感覚を覚えた。
☆
「あれ、起こしちゃった?」
「……何してるんだ?」
ソファーから起き上がり、欠伸をする。寝ている間に一二三がかけてくれた毛布を畳み、ソファーの上に置く。
一二三は普段しない眼鏡をかけながら、じっとノートパソコンの画面とにらめっこをしていた。
「あの時なんで樹里ちゃんが検索履歴を調べたか考えてね。もしかしたら共犯者と掲示板とかで会話してたんじゃないかなぁ…って思って、いろんなサイトを見てたんだ」
「それで、成果は?」
「全然……。でもみんなよくそんなに家族への悪口が出てくるなぁって、逆に感心しちゃった」
「……一二三は家族への不満はなかったのか?」
「うぅん……。文句を言えるような状態じゃなかった人と、文句を言う前に私の前からいなくなっちゃった人が両親だからね」
私の父は今も生きている。……島で起きた事件以来一度も会っていないが。
しかし、私と一二三の母、そして一二三の父は死んでいる。きっとその傷は、私では癒すことができないのだろう。
今も時折父と母のことを呼びながら泣いている彼女の姿を私は知っている。
強引にノートパソコンを折りたたみ、醜悪な画面を隠す。そして一二三の唇にそっと私の唇を当てた。
「……明日も四ツ谷恵子のところに行くが、平気か?」
「うん、大丈夫だよ。それよりも行く前に連絡しなきゃだね」
「いや、連絡はしない」
……連絡をしてしまったら意味がない。
明日彼女を強襲して、事件の全てを終わらせる。