22話 交換密室② 二つの鍵、二つの密室
「T県の現場にあったのがこの部屋の鍵。そしてこの部屋にあったその鍵は、向こうの部屋の鍵なんです」
「となると、そっちの現場も見る必要があるな。住所はわかるか?」
混乱している私とは対照的に、樹里は冷静に訊ねる。
二つの密室殺人、しかも互いの部屋の鍵が現場に残されていた。関係がないという方が不自然だ。
だが事件は自殺として処理された。恵子が納得していないのも当然だ。
「えぇ、一応……」
「そうか。…それともう一つ、鍵は一つしかなかったのか?」
「はい。書斎の鍵は一つだけですし、向こうの現場もこれだけだったようです」
つまり、鍵を使った二つの部屋の施錠は不可能だったということになる。
「ふむ……、まあこの現場はこれ以上調べるようなところはないな。部屋自体に何か仕掛けがあったわけではないようだな」
「そんな……」
恵子は露骨に顔を歪める。
密室の謎がまだ解けない以上、自殺という可能性が消えたわけではない。
現場の部屋を出ると、樹里が隣の部屋に入ろうとした。
「そこには入らないでください!」
ドアノブに触れた瞬間、いきなり恵子が叫んだ。
樹里も突然の出来事に首を傾げる。
「寝室はこっちです……」
「ならこの部屋は?」
「……息子の大智の部屋です」
恵子は左手で右肘を押さえながら、声を震わせた。
「……お恥ずかしい話、大智は働かずにずっと部屋に引きこもっているんです」
「引っ越してからずっとか?」
「えぇ、まぁ……」
何故樹里がこんな質問をしたのか、この時の私にはわからなかった。
●
寝室にも特に不審なところは見つからず、私たちはリビングで麦茶を飲んでいた。
「えっと、ここだったと思います……」
恵子が右手に持ったボールペンでメモ帳にスラスラと住所を書いていく。
……なんとなく違和感を持ってしまうが、その正体がわからない。
そんなことを考えていると、住所を書き終えた彼女が用紙を破り、それを樹里が受け取る。
「……行くぞ」
「う、うん。お邪魔しました」
外に出て、駅へ向かおうとする。
しかし、樹里が動きを止めた。彼女はじっと家の前に停まっている車を見ていた。
「どうかしたの?」
「あぁ……。なぁ、最後にもう一つだけ聞いていいか?」
玄関をもう一度開け、樹里が恵子に声をかける。
「なんでしょうか?」
「この車はお前のものか?」
黒いGTR、車にはあまり詳しくはないのだが、家族を乗せる車というより車好きの男性がドライブを楽しむ車というイメージがある。
「いえ、これは夫のものです。私は免許も持っていません」
「四ツ谷史人は車が趣味だったのか?」
「えぇ……。私や大智が触れようとすると、『汚れたらどうするんだっ!』って血相を変えて怒鳴っていましたよ」
「そうか、……なら史人が死んでからは誰も乗っていないんだな?」
「……そうですね」
「ならいい、悪かったな」
恵子は一度会釈して、家の中に戻った。
「何か気になるの?」
「一二三、これを見ろ」
そう言って車の側面を指差す。
一見何もないように見えるが、目を凝らしてよく見ると、樹里が指差した場所には小さなへこみや擦り傷がついている。そしてタイヤは泥で汚れていた。
「四ツ谷史人は大の車好きだった。家族が触れるのを拒むほどにな。そんな彼がこんな傷を許すと思うか?」
「確かに、ちょっとおかしいね」
「まだ事件に関係あるかわからないが……、恐らくこの傷は史人の死後、つまり家族の誰かが乗っているはずなんだ」
「でも……、恵子さんは乗っていないってことは……」
「そうだ。車に乗ったのは四ツ谷大智しかいないということになるが……。引きこもりの彼は父親の車を使ってどこに行ったんだろうな?」
気になるのだが、部屋に入ろうとした時の恵子の反応を思い出す。
大智から話を聞くことはほぼ不可能だと考えていいだろう。
「……なんとかして調べる必要がありそうだな」
●
電車を乗り継ぎ、T県に入る。
「……車の免許取っておけばよかったなぁ」
電車の運賃も馬鹿にならない。
私は後悔しながら改札を抜けて外に出た。
……といっても、今の私の身体では運転なんて危険でできないのだが。
大分回復してるとはいえ、今でも私の右腕は時折痺れて動かなくなることがある。
「現場はここから十分ほど歩いた場所にある。一応、四ツ谷恵子から連絡はいれてあるらしい」
樹里はスマートフォンの画面を見ながら歩いている。先程から誰かとメールをしているようだ。恐らく浦崎刑事か他の赤崎サチヱとのパイプを持つ警察の人間だろう。
「史人さんの事件のことを聞いてるの?」
「それもあるが、私が気になっているのは四ツ谷大智のことだ」
「大智さんのことを警察に?」
「あぁ、二年前四ツ谷家が引っ越したトラブルのことと、四ツ谷大智が引きこもるようになった原因を知りたくてな」
それから樹里は無言でメールを打ち続けていた。
確かに大智は怪しいが、都合よく警察の人間が彼の情報を持っているだろうか。
●
結果から先に言うとT県の現場に不審な点は一つしか見つからなかった。……机の上に置かれていた鍵だ。
鍵はこの家のものではない。きっと四ツ谷家のもの、あの書斎部屋の鍵だ。
そして書斎にあった鍵で、現場の扉が施錠できた。やはり二つの事件は密接に繋がっている。それを再認識した。
「浩司さんの遺体を見つけたのは買い物から帰ってきた午後七時くらいでした……」
被害者の妻、朝倉浪江が肩を震わせながら当時のことを語る。
「家には誰もいなくて、浩司さんはその日仕事が休みだったので、どこかに出かけてるのかなって思ったんです。でも車はそのままで、おかしいなって探してたら、寝室にカギがかかっていました」
「それで、お前もベランダから部屋の様子を覗いたのか?」
「は、はい……。そしたらベッドの上で浩司さんが……、あ、あぁ……。すみません、今日はもうお引き取りください……」
浪江が焦燥しているのも無理はない。
私は樹里のことを軽く小突いて早く帰るように促す。
「わかった。だが最後にそいつと話させてもらっていいか?」
樹里はソファーに座り、こちらをちらちらと見ながらスマートフォンを操作している男性を指差した。朝倉譲治、浩司と浪江の一人息子である男子高校生だ。
「お、俺……?」
「あぁ、それくらい構わないだろ?」
浪江は戸惑いながら頷き、部屋を出た。
「さて、朝倉譲治。お前は何か見なかったか?」
「何かって……、俺が帰ってきた時にはもう警察も来ていたしなぁ……」
「それじゃあ証拠は……」
「いや、私が聞きたいのはそういうことじゃない。お前は朝倉浪江に不審な点はなかったかと聞いているんだ」
「母さんの⁉」
「ちょっと樹里ちゃん!」
やはりすぐに帰った方がいいだろう。そう思い私が樹里の手を握ると、譲治が「そういえば」と呟いた。
「あまり関係のない話かもしれないけど……」
「それでもいい」
「……母さんが共用パソコンを使わなくなったことくらいかな」
「……え?」
思わず聞き返してしまった。だが真剣な顔で譲治が部屋にあるパソコンを指差した。流石にこんなこと、事件とは関係ないだろう。
「それは半年前、事件が起きてからか?」
「そう、父さんが死ぬ前は毎日のように触ってたんだけど……、今はほとんど俺専用みたいなもんだよ」
「そうか」
それだけ言って、樹里はパソコンに近づき、そして起動した。
「ちょ、ちょっと!」
私の声も無視して樹里は検索履歴を確認している。
最近の履歴は動画サイトに成人向けのサイト……。恐らく譲治が閲覧していたものだ。未成年が成人向けのサイトを見ているのは褒められた話ではないのだが、今は関係ない。それらを歯牙にもかけず、樹里はドンドン遡っていく。
すると、半年前まで遡ったところで、樹里が動きを止めた。いや、止めざるを得なかった。
「履歴が削除されている……」
「一番古い履歴の日付は…半年前だね……」
半年前、しかも丁度事件のあった日以前の履歴が消去されている。
「一応聞くがお前がやったわけじゃないよな?」
「俺はそんなこと!」
「そうか、私がこれを見てたことは朝倉浪江には言うなよ」
「樹里ちゃん、もしかして……」
偶然とは思えない。
だが、今回の二つの事件は一人の人間では不可能だ。つまり……。
「朝倉浪江は犯人の一人である可能性が高いな」