21話 交換密室① 見知らぬ鍵
小説やドラマで稀に見かける犯行の動機・手段として、『交換殺人』というものがある。
例えば、ここに家族を殺したい人間がいたとする。彼、あるいは彼女は家族を殺すための計画を用意したのはいいが、一つだけ懸念することがあった。いくら動機があるとはいえ、相手は家族だ。もしかしたら、殺す直前に躊躇ってしまうかもしれない。
だからこそ、自分と同じように家族を殺したいと思っている人間を探した。自身の犯行の共犯者にするために。
自分は共犯者が殺したいと思っている人物を殺し、共犯者には自分が殺したいと思っている人物を殺害させる。これが『交換殺人』だ。
交換殺人をするメリットは、恐らく何も考えずに機械的に犯行が可能になることだろうか。
勿論、なんの接点も持たない人間相手だったとしても、人を殺すことには変わりない。だが顔見知り相手よりは幾分かマシなのだろう。
しかし、デメリットもある。どちらの犯行にも、一切のミスが許されないという点だ。
どちらかの犯行が明るみになれば、自動的にもう片方もバレてしまう。だからこそ、互いに信用することができない。
……私が遭遇した交換殺人。それは一人の女性の依頼から始まった。
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「夫は決して自殺なんかではありません!」
依頼者である四ツ谷恵子が左手で机を叩き、早口でまくしたてる。彼女からの依頼は半年前に起きた殺人事件の再調査だ。
……正直一番やりたくないタイプの依頼だ。
ドラマや小説では、警察の不手際や優秀な探偵の能力で新たな証拠が見つかり、真犯人を言い当てるなんてシチュエーションは定番だ。
だが現実は違う。警察が自殺だと判断した以上、その結論はほぼほぼ正しいと考えていいはずだ。探偵が介入したところで、それが覆るとも思えない。
……しかし、それは恵子が求めている真実ではない。
彼女が求めているのは夫が誰かに殺されたという証拠だ。ただ彼女は夫の自殺を認めたくないだけなのだ。
「……どうするの、樹里ちゃん」
私は無言で恵子のことを観察している樹里に耳打ちをした。
正直私としてはどうにか断りたいところなのだが……。
「私はお前が期待してる答えを出せないかもしれない。今の話だけじゃ、お前の旦那が自殺か殺人かなんて私にはわからないしな」
「お願いします!」
恵子が左手で右肘を押さえながら私たちに頭を下げた。
「まあ、まずは現場を見てからだな」
「まさか樹里ちゃん……」
「当然受けるに決まってるだろ? 目の前に謎が転がっているかもしれないんだからな」
樹里は謎がないと生きていけない。その体質のことはわかっているのだが、わざわざ依頼人の目の前でそんなことを言う必要があっただろうか。私は頭を抱え、これからどうするかを考えていた。
「……ありがとうございます」
恵子は安心したのか安堵のため息を吐き、左手でコーヒーカップを持ち、今まで一度も口にしていなかったコーヒーを飲んだ。
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依頼者の自宅はI県の田舎町にある。
私たちは依頼を受けた翌日に現場を見に行くことになった。
電車に揺られること数十分、そろそろ目的地だ。
私は恵子からもらった殺された彼女の夫の情報をもう一度確認した。
四ツ谷史人、職業は翻訳家だ。この町に引っ越してきたのは二年前、どうやらトラブルが原因で引っ越すことになったそうだ。
「それで、事件が起きたのが半年前」
樹里が目を閉じながら呟いた。
半年前、恵子が家に帰ってくると二階にある書斎の鍵がかかっていた。普段鍵をかけていないことから不審に思った彼女は、隣の寝室からベランダに出て書斎の窓を覗いた。
すると室内では史人が胸から血を流して倒れていた。
すぐに恵子は窓を割って室内に入ったが、史人は既に事切れていたそうだ。
「そして警察へ通報、……だがすぐに自殺として処理されてしまった」
「部屋には誰も侵入できなかったから……?」
「あぁ、仕事部屋は扉と窓の両方が施錠されていた。ククッ、つまり密室というわけだ」
密室、樹里が不謹慎な笑みを浮かべながらそう言った。
もしこれが他殺なら樹里が普段から言っている通り、密室は偽りのものだ。
しかし、これが本物の密室だとしたら。つまりは本当に他者が介入することのできない状態だったとしたら。
「一二三の想像通り、この事件は自殺の可能性が高いだろうな」
「やっぱり……、でも恵子さん納得するかなぁ……」
「……しないだろうな」
樹里も同じことを考えていたようだ。
現場を見ないことにはなんとも言えないだろうが、そもそも事件が起きてから半年も経っている。新たな証拠が見つかるとも思えない。
『次は~……』
そんなことを考えていたら、電車は目的地にたどり着いてしまった。
いまいち気分は乗らないが……、できることをやるだけだ。
●
四ツ谷家を訪ねると、樹里は恵子の出迎えを無視して現場の二階へ向かった。
恵子に「すみません」と謝り、私は彼女の後ろをついていった。
家の中は複数の芳香剤が混ざり合った嫌な臭いがしていた。失礼だとわかっているのだが、思わず鼻を押さえてしまう。
「現場はそのままにしてありますので……」
「えぇ……」
覚悟を決める暇も与えず、樹里が一切躊躇わずに扉を開いた。
部屋は思っていたより荒れていなかった。現場をそのまま半年も放置したわけではなく、最低限掃除はしてあるようだ。
「この上に四ツ谷史人が倒れていたんだな」
「えぇ…、ソファーの上に倒れているのをそこの窓から見つけて……」
ソファーに赤いシミがついている。恐らく被害者の血痕だ。
「史人は違法改造したモデルガンで心臓を撃ちほぼ即死、……ん、この鍵はなんだ?」
室内をキョロキョロと見ていた樹里が、机に置いてあった鍵を手に取った。どこにでもある普通の鍵のようだが……。
「これはこの部屋のものか?」
恵子が首を横に振る。
「なら別の部屋の鍵ですか?」
「いえ……。言いにくい話なんですが、この家の鍵ではないんです」
「え?」
まさか、前の住居の鍵? 決してないとは言い切れないのだが、恵子の反応からして何かがおかしい。
彼女は明らかに困惑している。
「夫が殺された日、T県でも殺人事件があったんです」
「……どういうことだ」
「その事件の現場も密室で、同じように机に鍵が置いてあったそうなんです」
「まさか……」
嫌な想像が浮かんでしまう。
そんなことが起きていたとしたら、他殺の可能性も否定できなくなる。勿論被害者たちが警察や家族に嫌がらせをするつもりでという可能性もある。しかしそんなことをする必要性がない。
なら、どうやって……。
「T県の現場にあったのがこの部屋の鍵。そしてこの部屋にあったその鍵は、向こうの現場の鍵なんです」




