10話 追憶編その惨:本性
栄一と加奈子が仕事で出かけたのを見計らい、私も外へ出る。勿論行き先は一つ、琴子が通っている高校だ。
破いたノートに書いた地図を頼りに目的地へと歩く。こういう時だけ、スマートフォンが欲しくなる。
「まあ、ある方が面倒なんだがな」
なんとなく独り言を呟いた。
スマートフォンを持てば、私は強制的に他人と繋がることになる。他人との繋がりなんて面倒なだけ、私が他人と繋がるのは謎を解く時だけでいい。
……違う。
私は怖いのだ。他人に弱みを見せることが、そして他人に裏切られることが。
初めから一人なら、何も恐れることはない。誰も信頼しなければ、他者に弱みを握られることもない。孤独でいれば、裏切られることもない。
当然、完全な孤独なんてあり得ないことくらい理解している。今も私は両親である栄一と加奈子の扶養がなければ生きることはできない。
だが、精神上の話なら別だ。だから私は誰にも気を許さず、壁を作っている。それが普段の私の言葉遣いにも表れている。
『なら、日守琴子はどうなんだ?』
内なる魔女がそんな私の強がりを嘲笑う。
本当に私が一人でいることを願っているのなら、琴子がどうなろうと知ったことではない。今私が動いているのは単純な好奇心、それだけだと自身に言い聞かせる。
『本当にそうだとしたら、貴様がするべきことは学び舎に行くことではなく、赤崎サチヱの名を使って現場を調べることだ。それとも、そんなことをすれば己の矜持に傷が付くとでも言いたいのかぁ?』
「……うるさい。妄想の癖にベラベラと騒音をまき散らすな」
ヘッドホンを耳に当てる。これが私の拒絶の証だ。
オーディオプレーヤーを操作して音楽を再生する。
「……もう、誰も私の中に入ってこないでくれ」
その願いは叶わない。そのことをまだ私は知らない。
●
「犠牲者が出ているというのに、なんで休みになっていないんだ?」
高校の体育館、そこで琴子が所属している卓球部のメンバーが練習をしていた。……仮にも事件が起きた翌日だというのに。
「行方不明者二人、死者一人なのに悠長すぎるよね。まあサボらずに来てる私たちが言えることじゃないけど」
部長の山根がタオルで汗を拭きながら言った。
「そうだな……二人?」
「えぇ、今朝わかったことなんだけど同じ部員がもう一人、連絡が一切取れてないみたいなの」
「もう一人……」
昨晩見た遺体を思い出す。
もしかしたら、その行方不明者も既に……。そして琴子が今も無事という保証はどこにもない。
「しかも、また琴子とトラブルを起こした部員が……」
「琴子? まさかあいつが事件と何か関係あるのか?」
山根が怪訝そうに私の顔を見る。
「二人ともいなくなる前に、琴子と言い争ってたの」
「そうか、それが最後に目撃された……」
他の生徒の証言でも、琴子と三原が言い争っていた場面が目撃されている。
「それにその前からずっと琴子の周りで変なことが起きてたし……」
「まさか、例えば誰かが怪我をしたり、財布がなくなったり……。そんなトラブルが?」
「……なんで知ってるの?」
琴子から寄せられた数々の相談を思い出す。
……違和感は持っていた。だが目を逸らしていた。指摘すれば、もう私に謎を解く機会なんて訪れないだろう。
だから私は違和感から逃げて、目の前の謎をただ興奮しながら解き明かしていた。
「そういえばあの時、琴子が水筒の中身をこぼして……」
「……え?」
つまり……、あのトラブルの犯人は琴子……?
訳がわからなくなる。なら何故私に相談をする必要があった?
いや、それよりも今は事件のことだ。
犯人は琴子に恨みを持っていた。そして親しい人物の可能性がある。
つまり、財布が消えたトラブルの被害者が犯人という予想ができる。
……なら三原は。そしてもう一人の行方不明者は。
二人は数々のトラブルの共犯者だった? どんなに考えても納得できる答えが出てこない。
だが、きっと琴子はただの被害者だ。今も私の助けを待っているに違いない。
それは後になって思えば妄信に近いものだったのかもしれない。
勿論証拠なんて何もない。だからこそ、別の可能性を信じていた。そうやって、逃げ続けていたのだ。
★
『……樹里は琴子のことを信じていたのね。それが彼女にとってどんなに恐ろしいことだったとしても』
初めて樹里に会った時、彼女は私を警戒しつつも受け入れようとしてくれていた。それは私が彼女に邪な感情を抱きつつも、できる限り対等に接しようとしたからという理由もあるかもしれない。だが、きっとそんなことができるようになったのは琴子のおかげだ。
『否定する。あれはただの甘さだ。誰かを傷つけるのも、誰かに傷つけられるのも拒絶している。だから日守琴子を疑うことができない』
アーランドが笑う。その表情は樹里とはまったくの別物だ。
彼女と同じ顔だというのに何故、理由はわかりきっている。
「私は貴女が樹里ちゃんから生まれた存在なんて信じたくない」
樹里とアーランドは中身がまったくの別物だ。もし魂というものが存在するのなら、アーランドを構成する要素に、樹里の魂の欠片が一片たりとも使われていてほしくない。
……だから、これは意地だ。
「私は、お前を認めない」
すると、『双貌の魔女』が後ろから抱きついてきた。
『私達も賛成! 貴女に赤崎樹里のことは否定させない。樹里を本物の鬼にはさせない』
私たちがアーランドを睨むと、彼女は冷めた表情に戻った。
『本物の鬼……。確かに、今の赤崎樹里はただの人の子だ。四条一二三が最後の理性のストッパーになっている』
「ほ、ほんとに……?」
『露骨に嬉しそう……』
「そ、そんなことは……」
……ある。
それはともかく、樹里の調査によって判明した日守琴子の本性。これがホワイダニットに繋がるのだろうか。
恐らく、犯人はあの人だ。だが動機が見えてこない。
世の中にはなんの理由も躊躇もなく人を殺せる人間がいる。私はそのことをつい最近知った。だが、普通の人間が簡単に人を殺せるとは思えない。
だからこそ、何か裏があるような気がした。
これも、一種の妄信なのかもしれない……。