8話 追憶編その弐:心の壁②
棺桶の蓋を開け、外に出る。
深海のような息苦しい世界、勿論現実の私が一瞬でここに瞬間移動したわけではない。
貝殻で出来た椅子に、女性が座っている。
「ようこそ、赤崎樹里」
黄金の髪をなびかせながら、『幸運の魔女』が煙を吐き出した。
赤崎樹里の孤独が生み出したもう一つの世界、遊戯世界と名付けた場所には私と彼女しか存在しない。
魔女の顔は私と似ているが、正確に言えば彼女が似ているのは私の祖母であるサチヱだ。
彼女は幼い私が祖母の若い頃の写真を見た時に感じた恐怖が基となって生まれた存在、そう私は考えている。
「御託はいい。本当にお前は犯人が二階から侵入したと思うか?」
「魔法を使えば壁を抜けて……」
「もういい、黙れ」
くだらない妄想話をするためにここに来たわけではない。事件の情報を整理するために来たのだ。……魔法なんて存在しない。この世界も私の妄想だ。
「つまらん。……肯定する。ホテルの入口で侵入可能なものは貴様が使った一つしかなかった。一階の窓は割れていない、そしてはめ殺し式だ。窓を開けて侵入することも不可能と知れ」
「なら梯子か何かを使って、二人を運びながら二階に……?」
「否定する。少なくとも生きた人間を運びながらの侵入は不可能だ。だが、遺体に不審な点はなかった。別の現場で殺され、遺体を運んだ可能性も低い」
「なら、脅して自分から登らせた……?」
「重ねて否定する。一人なら不可能ではないが、二人を脅して登らせるのは逃げられるリスクが高いだろうな」
だとしたら、どうやって犯人は三原を……。
「しかし、犯人が二人と親しい間柄だったとしたら……。自ら梯子で現場に足を踏み入れた可能性は否定できない」
「親しい間柄……、犯人が琴子の友人という可能性もあるということか」
「……肯定する。まだ憶測でしかないがな」
侵入方法について考えるのはこのくらいでいいだろう。何より証拠が少なすぎる。
そして、もう一つ違和感を覚えることがあった。
「犯人と琴子はどうやって現場から……」
「犯人は二階から飛び降りることで、監視カメラに映らず脱出が可能だ。しかし日守琴子を連れての脱出は難しいだろう。となれば、彼女は別の場所にいたと考えるべきだ」
「なら何故琴子は電話で、自分の居場所ではなく、ホテルのことを……」
まず最初に考えたのは琴子が自身もホテルにいると勘違いしていた可能性だ。
例えば目隠しした状態で、犯人から居場所を伝えられた。そして隙を見て私に連絡、自身がいると思い込んでいるホテルの場所を言った。
だがこの可能性は低いだろう。犯人がわざと琴子に助けを呼ばせたとしても、その場所が三原の遺体がある位置では意味がない。
……それとも、犯人は誰かに遺体を発見させたかった?
「最後に二人が目撃されたのは……」
「浦崎曰く、日守琴子と三原由美が最後に目撃されたのは事件の前日。教室で琴子が三原と言い争っているところが同級生によって見られている」
「あぁ、明日にでも正確な情報を確認する必要がありそうだな」
今夜はここまでだ。
まだ調べなければいけないことが山ほどある。何よりも琴子の安否が心配だ。
警察に任せているわけにはいかない。
「……それは真か?」
思考を読んだのか、魔女がニヤリと笑う。
本当だ。だが、それと同時に……。
「日守琴子が心配だが、それ以上に謎を解き明かしたい。ククッ、やはり貴様は孤独な環境でしか生きることのできない人の形をしたバケモノだ」
「……黙れ」
「いや、貴様は人間ではない。謎という殻を無理矢理こじ開け、凌辱し、腸を食す。……そうだな、魔女ではなく、鬼がお似合いだ」
「黙れッ!」
「今宵はここまで、これ以上新たな情報を得ることなんてない。なら貴様がここにいたところで退屈なだけだ」
徐々に視界がぼやけていく。
鬼……。その言葉が、意識が途切れる直前まで耳にまとわりついて離れることはなかった。
★
「あ、れ……?」
「なんだ、折角話してたのに寝てたのか?」
目を開けると遊戯世界ではなく、いつもの私たちの部屋だ。
呆れた顔で樹里が私の頭を撫でる。いつの間にか私は樹里に膝枕されていた。なんだか恥ずかしくなり、勢いよく身体を起き上がらせる。
「私、寝てたの……?」
「あぁ、返事がなかったから薄々感づいてたがな」
「でも…私……」
ちゃんと話を聞いていた。
そう言おうとしても言葉が出てこない。
私が樹里の過去について聞いていたのは現実世界ではなく遊戯世界だ。そして語り手は樹里本人ではなく、アーランドと名乗る謎の女性だ。
「……どうやって犯人は」
声を振り絞る。これが精一杯の聞いてたというアピールだ。
「ハウダニットは重要じゃないんだ」
どうやってやったか、推理小説における最重要な要素だ。だが、それが重要ではない事件ということは、トリックはかなり単純なものなのだろうか。
確かに侵入と脱出のトリックは単純そうだが……。
「フーダニットも……、今になってはあまり重要なことじゃないな」
誰がやったか。これもなくてはならない要素だというのに……。
「一番重要なのは、……ホワイダニットだ」
「ホワイダニット……。動機ってこと?」
樹里が苦笑いで頷いた。
犯行の動機も勿論重要な要素だが、誰がどうやってやったということよりも……。ということは動機が樹里の後悔と何か深い関りがあるのだろうか。
「今思えば、犯人はすぐに解るはずだったんだ。未熟な頃の私だとしてもな」
「もしかして犯人って……」
「あぁ、私はそのことからずっと目を逸らしていた」
そんな残酷な真実。
もし私がその状況の当事者になったら……、きっと私も逃げてしまうだろう。
そしてその結末が……、アーランドが最初に語った赤崎樹里の罪。
「……やっぱり、琴子さんのことが好きだったの?」
「妬いてるのか?」
「そ、そうじゃなくてっ! いや、それもあるけど……」
力強く樹里の腕を握った。ひんやりとした彼女の体温を感じる。
勿論嫉妬の感情があるのは否定しない。だが一番気になるのは、やはり二人の末路だ。
「多分……、初恋だったんだと思う……」
「……むぅ」
わざとらしく頬を膨らませ、樹里に抱きつく。初恋と認められるとそれはそれで複雑な気分になる。
すると彼女が「そうだ」と呟いた。
「なんなら、明日一緒に琴子の見舞いに行かないか?」
「……へ?」