8話 追憶編その弐:心の壁①
「だから、私はやってない!」
感情を爆発させ、机を叩く。こんな無駄なことをしている暇はない。早く現場に戻らなければ。
だが取調べをする刑事はヘラヘラと笑いながら私を一向に解放しようとしない。ヨレヨレのコートにボサボサの髪、まるで幼い頃に見たコロンボ警部のコスプレだ。
「アリバイはさっきも言っただろ。私が来た時には既に三原由美は既に死んでいた」
「えぇ、知っていますよ。貴女に犯行が不可能なことも確認済みです。コンビニでお昼ご飯を買うところがばっちりと映っていましたから」
三原の遺体は死後半日ほど経過していた。そして彼女が死んだ時間、私にはアリバイがある。ここに閉じ込められる理由なんてない。
「……ならさっさと私を解放しろ」
「無駄ですよ。あのホテルに犯人と日守琴子さんはいませんでした。もう貴女の出る幕はありません。……赤崎サチヱの孫娘さん」
……そこも調査済みか。
私は心の中で愚痴った。本当は直接言ってやりたかったが、必死の思いで堪えた。
祖母である赤崎サチヱは世界でも有数の占い師だ。彼女は警察トップどころか政界にも通じている、正真正銘の魔女だ。
『クク…、魔女か……』
……うるさい。
脳内に忌々しい声が響く。私の心に住むバケモノ、『幸運の魔女』だ。
「不法侵入については大目に見てあげますから、少しお話でもしましょう。そうだ、カツ丼でも食べます?」
「……違法だろ、それ」
様々な場所で語られ、もはや知っている人間も多いのだが、取調べで容疑者に出前の食事を与えるのは買収とみなされ、禁止となっている。もし頼んだとしても、それは容疑者の自腹だ。
「現場近くには監視カメラがあって、常にホテル入口を映していました。しかし、樹里さんが入るまで誰もあそこには入っていないんですよねぇ……」
「私が死体を運び入れたとでも言いたいのか?」
「いえ、私はそんなこと思っていませんよ。監視カメラに映らない入口の反対側、一階の窓は割れていなかったので二階から侵入したと私は考えています」
「しかし、そんなこと……」
確かに彼の言う方法なら監視カメラに映らずにホテルへ侵入、そして犯行が可能だ。脱出は二階から飛び降りればいい。
だが、犯人は三原と琴子の二人を運んでいた。そしてその場で三原を殺し、琴子のことを連れて逃げた。不可能とまでは言えないが、やはり違和感がある。
「恐らくですが、日守琴子さんは最初からあのホテルにはいなかったんじゃないでしょうか」
「……犯人に脅されてあの場所のことを伝えた。もしくは自身の居場所を誤認していた、ということか?」
刑事が頷く。確かにそれなら納得できる。
すると扉をノックする音がした後、別の刑事が入ってきた。
「おやぁ、どうやらお時間のようですね。お母様がお迎えに来ましたよ」
「げっ……」
母、赤崎加奈子も取調室に入ってきた。その表情は笑っていた。
……まずい、完全に怒っている。
「それでは、私もここで」
刑事が立ち上がり、取調室から出ていく。
そして最後に私の顔を見て、微笑んだ。
「また会いましょうね。……赤崎樹里さん」
浦崎隼人刑事が、ボサボサの髪を掻きながら言った。
●
「これだから凡人は……」
帰宅すると、私は加奈子と栄一に一時間ほどこっぴどく叱られた。
部屋に戻る頃には、時刻は既に早朝と言える時間だ。外がうっすらと明るくなっている。
「おい魔女、お前はどう思う?」
私以外、誰もいない部屋で呟く。だが、独り言ではない。
先程も私に話しかけてきた『幸運の魔女』がいる。
魔女はくつくつと笑いながら私の目の前に現れた。そしてパイプを咥えながら、ベッドに腰掛ける。
『どうもこうも、あの刑事が言った以上の情報なんてないだろう?』
「そうだが……、そもそも犯人は何故わざわざ人を担いでまで二階から侵入したんだ?」
『監視カメラに映りたくなかったからだ。もしかしたら、貴様に罪を被せるためかもしれんなぁ?』
「ちっ……、こうしてる暇なんてないのに……」
今ここで無駄な思考をしている間にも、琴子が殺されているかもしれない。今すぐ家を飛び出したかったが、少なくとも両親が仕事で家を出るまで、私はこの部屋に閉じ込められている。
『なら、こちらに来い。人の子の貴様と会話していても退屈だ』
「……わかった」
私は目を閉じて、意識を海の底へと落とした。
心の中に生み出した、私の唯一の居場所と言っていい世界。それが遊戯世界だ。
あと少しで、現実にも私の居場所が作られようとしていたのに。それを壊させるわけにはいかない。
……これはエゴだ。
★
「ちょっとした中二病ってやつね」
『双貌の魔女』が数年前の樹里を見ながら紅茶を啜った。
樹里のことを貶すつもりはないのだが、私も魔女に同意だ。
「……当時の赤崎樹里は周囲に壁を作り、そして外側の人間を見下していた。両親であろうと例外なく」
「だけど、琴子さんだけは違った?」
私の問いに対して、吸血鬼が首を横に振る。
つまり、日守琴子も例外ではなかった。そのことに何故か安堵してしまう自分がいた。
今見ているのは過去の樹里、そんなことは理解している。しかし、それでも彼女は私のことなんて眼中にない。それが辛くて仕方がない。
「……恐らく、あの時の赤崎樹里なら、四条一二三のことも拒絶していただろうな」
「そ、そんな……」
吸血鬼の言葉が刃となって、私の心臓を貫く。そんな錯覚を覚えてしまった。
「もう少し言い方ってものがあるんじゃない?」
それが気に食わなかったのか、魔女が吸血鬼のことを睨む。
しかし、吸血鬼の表情は微塵も変わらない。
「貴女、顔は同じだけど中身は別物ね。それも腐りきっている」
魔女がそう言った瞬間、吸血鬼の表情が変わった。
口角をつり上げ、不快な笑い声をあげた。
「ククッ、…そうだ。私は吸血鬼、ジュリ・アーランド。赤崎樹里とは別の存在、もう彼女はここには来れないのだから」
私が遊戯世界を最初に訪れたのと同時に、樹里はこの世界を放棄した。だからこそ、目の前で笑う吸血鬼は今こうやって、樹里とは別人のような素振りをしているのだろう。
もう樹里がこの世界に来ることはない。それを悟ってしまったのか、魔女が苦虫を嚙み潰したような表情をする。
「……帰ってくるよ」
確証はない。それでも、私は彼女と同じ顔をした誰かを睨みながら言った。