7話 追憶編その壱:繋がるための手段
「ねえ樹里ちゃん、お願いがあるんだけど」
いつものようにコンビニ前のベンチへ行くと、琴子が真剣な表情で私のことを見つめた。いつもの楽観的な彼女とはまるで別人だ。
「何かあったのか?」
「友達の話なんだけどね……」
最初はただの友人間のトラブルにアドバイスしただけだった。それも無難なことを言っただけ。魂は何も満たされない。
すると次の週、今度は別の相談を持ち掛けてきた。
「友達と話してたら、いきなり財布が消えちゃったの」
「……どういうことだ?」
話を要約するとこうだ。
昼休みの最中、琴子を含めた四人の生徒が談笑していた。その一人が自販機でジュースを買うために財布を机の上に置いていた。
するといつの間にか財布がなくなってしまった。探すと、財布は別の生徒の机の中に入っていた。
当然その生徒のことを疑ったが、本人は否定していて、更に誰もその生徒の犯行を見ていないという。
そして何よりも、その生徒の机は琴子たちとは離れていて、彼女たちの目を盗んでの犯行は不可能だということだ。
やった証拠も、やっていない証拠も存在している。
「……簡単なトリックだ」
「本当に……?」
「あぁ、マジシャンがよくやる手法だ。観客の視線を別の場所へ誘導している間に堂々とトリックを行うんだ。何か目立った行動をした人間はいなかったか?」
「そういえば……、水筒を落として中身をこぼした子なら……」
「なら、そいつが犯人だ」
他の人間の視線を水筒へ誘導している間に、机の上の財布を奪う。
そして無くなった財布を探すフリをして、離れた位置にある他の生徒の机に財布を入れた。恐らくこれが真実だ。
「そっかぁ……。ありがと、樹里ちゃん」
琴子が微笑む。
……なんだか胸が温かくなるのを感じる。
だが、謎を解き明かした喜びはない。魂の腐食はまだ進んでいる。
更に翌週、琴子はまた新たな謎を持って来た。
今度は生徒が原因不明の怪我をした。それも簡単なトリックだった。
そして次の週、そのまた次の週と、琴子は謎を運び続けた。
エスカレートしていく琴子の周りで起こるトラブル。
私はそれに違和感を覚えつつも、意気揚々と謎を解き続けた。……快楽が勝ったのだ。
満たされなかった心が、徐々に満たされていくのを感じた。魂の腐食が今は止まっている。
世間に強固な壁を作り、周りを拒絶していた私が唯一世間と繋がることができる方法。それが謎を解くことだ。
私の存在理由。それを見出せることができたからこそ、舞い上がってしまっていた。だから、私は違和感には気づきつつも、その正体までは気づけずにいた。……否、目を背けていたのだ。
●
そんな生活が数ヵ月ほど続いたある日。私は退屈な春休みを過ごしていた。
同い年の中学生たちは高校受験に向けて毎日塾へ通っていたが、受験をしない私には関係のない話だ。
いつものように、栄一と加奈子の目を盗んで夜に外へ出る。
そして慣れた足取りでいつものコンビニへ。
「……せっかく約束を守ってやったのに」
ベンチに琴子はいなかった。コンビニの中へ入るがそこにも彼女はいない。
今夜は来ないのかもしれない。そう考えて帰ろうとすると、突然コンビニ入口に設置された公衆電話がけたたましい音を鳴らした。
基本的に公開されていないが、公衆電話にも電話番号が設定されている。つまり番号を知っていればかけること自体は可能なのだが……、一体誰が?
その好奇心に勝てず、私は受話器を手に取った。といっても、ほぼ確実に誰かの間違い電話だろう。
しかし、受話器から聞こえた声は聞き覚えのある声だった。
『じゅ、り…ちゃん……』
「琴子⁉ 何かあったのか⁉」
琴子の怯えた声、こんなの初めて聞いた。ただごとでないことは確かだ。
「今どこにいるんだ⁉」
『駅の近くにある…潰れたラブホテルに……』
「わかった! 今から行く!」
電話を切り、急いで走りだした。だが、百メートル程走ると息が切れて足の動きが鈍くなる。
「…クソッ、こんな…ことなら……、体力をつけて…おく、べきだった……」
だが休んでいる暇はない。
私は夜の街を走った。
喧噪も耳には入らない。心臓の音が全てをかき消した。
●
扉を開け、件の潰れたラブホテルの中に入る。
当然明かりなんてない。懐中電灯で照らしながら琴子を探す。
過去に事件が起きて、閉店まで追い込まれたホテル。廃墟となってからも、ここには黒い噂が絶えなかった。
麻薬の取引から自殺した女の霊まで多種多様だ。
「……そんなこと考えてる場合じゃないな」
どの部屋に琴子がいるかわからないので、仕方なく一部屋ずつ見て回る。扉を開けるとホコリが舞い、私は咳き込んだ。
「ケホッ…琴子! ……ちっ、ここでもないか」
どこの部屋もホコリを被った家具があるだけだ。
だが二階に上がり、最初の部屋を調べようとしたところで空気が変わった。
「なんだ、この臭い……」
錆びた鉄の臭い。知識では知っていたが、思わず戸惑ってしまう。
……恐らく、これは血の臭いだ。
「頼む、生きていてくれ……」
祈りながら、ゆっくりと扉を開く。ホコリは舞わなかった。
ベッドの上に、女性が倒れている。琴子ではない。だがすぐに理解できた。
……女性は死んでいる。
「は、はは……」
最初にこぼれた感情は、怒りでも恐怖でもなく……、好奇心だった。
自分でも異常なのはわかっている。だが、目の前に広がっているのは私にとっては御馳走のようなものだった。……すなわち、謎だ。
ベッドの上に倒れている女性は首から血を流している。そしてテーブルの上には真っ赤に染まったナイフが刺さっていた。
手をあわせて冥福を祈る。そして遺体を調べ始めた。
不思議と先程までの興奮はなくなっていた。いたって冷静だ。
「制服を着ている。恐らく琴子の通っている高校の生徒だ」
同じ制服を着た琴子を見たことがある。わざわざ着替えさせたとは考えにくい。
制服のポケットを調べると、女性の生徒手帳が出てきた。
三原由美、それがこの女性の名前だ。
「死因は首を切られたことによる失血性ショック……。死後…半日といったところか?」
着衣に乱れは見られない。そして遺体には縛られたような形跡もない。
犯人はこの場で三原のことを殺したが、琴子は生かした。そこには何か目的があった、もしくはアクシデントでやむなく殺害してしまったのではないか。
だが、この部屋には犯人も琴子もいない。既に逃げたのか、それとも別の部屋に……。
……もしかしたら、犯人はまだこのホテルのどこかに?
そう考えると震えが止まらなくなる。恐怖ではなく、興奮で私の身体は振動した。
「とりあえず、琴子を探しに行かないとだな」
捜査は後回しにし、部屋を出ようとすると外からパトカーのサイレンが聞こえた。
パトカーは通り過ぎることなく、すぐ近くで停まった。きっと誰かが通報したのだろう。
複数の足音が階段を駆け上がってくる。そして勢いよく扉を開けた。
「やっと来たか…は?」
現れた警官は有無を言わせずに私の腕に手錠をかけた。
「殺人の現行犯で逮捕する」
「……はぁ⁉」
こうして、私の最初の事件が幕を開けた。