5話 未来視⑤
「は、犯人が解ったって…、吾妻のインチキが解ったんですか⁉」
翌日、私たちは北条祐介と愛恵を呼び出し、先日祐介と会ったカフェに集まっていた。
私はジッと愛恵の顔を見る。……彼女と私は初対面だ。しかし、私は彼女の顔を以前見たことがある。
……あの映像を見る前に、私は一度彼女の顔を見ている。
「その前に、二度目の予言で死んだ男についての話だ」
「あぁ……。あの電車で突然亡くなった……」
「そうだ。浦崎に確認したが死因は不整脈、事件性は低いそうだ」
「じゃあ、被害者は自然死……?」
樹里が首を横に振る。
事件性は低い。……だが、ゼロではない。
なら、どうやって犯人は老人のことを殺したのか。私はテーブルの上に置かれたコーヒーを見つめた。
……犯人は、普段私たちが口にするもので殺人を犯したのだ。
「……高カリウム血症」
「……は?」
「カリウムは人間が生きるために必要な栄養の一つだが、摂取しすぎると毒になる。それを知っていた犯人は、注射器で体内にカリウムを注入することで…人為的に不整脈を引き起こした。遺体をもう一度調べさせたら、注射の跡だと思われる赤い小さな斑点が見つかったそうだ」
「で、でも、被害者に近づいた人間はいなかったんですよね?」
老人がビルを出てから電車の中で倒れるまで、彼に近寄った人間はいなかった。犯人が誰にも気づかれずに注射することは不可能だ。……たった一人を除いて。
「一人だけ、犯行が可能でした……。被害者本人です」
「そう、恐らく老人は一二三の尾行に気付いていた。いや、尾行させたと言った方がいいだろう」
「な、なんのために……」
樹里がニヤリと笑った。
「……私たちに、この二つの事件を吾妻翼が起こした事件だと思い込ませるためだよ。……なあ、そうだろう? 北条愛恵」
視線が愛恵に集まる。
あの映像に映っていた女性、それが愛恵の正体だ。彼女は吾妻の知り合いどころか、彼の下で働くスタッフの一人だった。
……そして私が彼女と初めて会ったのは、あの電車の中だ。
『だ、大丈夫ですか⁉』
あの時真っ先に苦しむ老人に近づいた女性、それが愛恵だった。
「愛恵さんが注射器を回収したんですよね?」
「まずお前は私たちの存在を吾妻に伝え、予言殺人の提案をした。そしてその犠牲者としてあの老人を選んだ」
「……それで、吾妻のために自殺しろって命令して、あの人は従ったっていうんですか?」
樹里が頷く。
普通に考えたら到底飲みこめないような命令だが、老人はそれを躊躇うことなく実行した。吾妻を慕っているからではない。……そうだとしても、やはり私には理解できない感情だ。
「吾妻洋平。それが被害者の名前、……翼さんの実の父親です。洋平さんは息子のために自ら命を絶ったんです」
「それがお前の掌の上で踊らされているだけだと気づかずにな」
「……ただの言いがかりです」
「だが、お前の計画にも一つイレギュラーがあった。私が一二三と別行動をして、お前の家を訪ねたことだ。本来ならもっと上手く注射器を回収するはずが、私のせいであんなずさんな方法になってしまったわけだ」
「駅のトイレのゴミ箱に注射器が捨てられていたのを警察が見つけたそうです」
あの時直接洋平から注射器を回収した愛恵は、当然駅で身体検査を受けていた。そこで注射器が見つかれば彼女の犯行ということになってしまう。
それを回避するために、仕方なくその場で処分したのだ。
「警察も事件性はないとすぐに捜査を終えると考えたんだろうが、甘いな」
「じゃ、じゃあ兄を殺したのも……」
「それは私じゃない! 夫は吾妻に殺されたのッ!」
本来の依頼内容である、北条卓の死。それも愛恵の犯行である可能性が高い。
吾妻はそれに関わっていない。その絶対的な証拠がある。
「……信用できない語り手」
「突然なんですか」
「現実世界の人間は、推理小説の人間のようにただ真実を語るだけでも、明確な意思を持って嘘を吐くわけではないという話だ。見間違い、聞き間違い、勘違い、そんな理由で人間は真実を誤認してしまう。読者を騙そうとする、叙述トリック以上に厄介な存在だ」
「ま、まさか……」
「そう、あの夜に北条卓は吾妻翼に会っていない。つまり、予言殺人なんてなかったんだよ」
浦崎の協力もあって、卓死亡前夜一緒にいた上司の証言を得ることができた。
彼が会ったのは吾妻翼の弟子を自称するインチキ占い師。酒を飲み、酩酊状態だった卓は弟子を吾妻本人だと誤認した。もしくは話を盛るためにわざと吾妻に占ってもらったと嘘をついたのだ。
「そんな……」
「卓の話を聞いたお前は今回の事件を思いついた。予言を実現するために吾妻が卓を殺したと見せかけようとしたんだ」
「そ、そんな……」
狼狽える祐介のことを樹里が睨んだ。
「お前は知っていたんだろ? だから私たちに頼んだんだ。警察に言えばお前たちの関係が大勢にバレてしまうからな」
「ボクたちの関係……?」
「お前たち二人は不倫関係だった。それが北条卓殺害の動機だ」
兄妹の仲は最悪、そして夫婦仲も悪かったそうだ。
そんな中、北条卓という共通の敵を持った二人に、いつしか恋愛感情が生まれた。
そして二人は夫が仕事で家にいない間、隠れて会うようになった。
「だが、そんな秘密もすぐにバレてしまった。……あの部屋に染みついたタバコの臭いでな。だから、お前は夫の存在が邪魔になってしまった。何か反論はあるか?」
「……ありません、私がやりました」
愛恵が項垂れるのを見て、樹里の表情はいつもの鉄仮面に戻ってしまった。そして白旗を上げる犯人を冷めた目で見つめる。
「これで閉幕だ。……大根役者ばかりのくだらない三文芝居だったな」
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あれから数日経ち、約束通り報酬金が樹里の口座に振り込まれていた。
しかし、私の気分は晴れない。
大きくため息を吐き、もう一度新聞の小さな枠を見る。
『山中に男女の遺体、心中か』
山菜採りのために山に入った老夫婦が不審な車を発見、中を見ると男女二人が練炭自殺していたそうだ。
免許証などからすぐに身元は判明した。
……死んだのは、北条祐介と北条愛恵だ。
私たちは愛恵に自首することを勧めた。だが、彼女は死を選んだ。
「あの時、無理矢理にでも警察に……」
「それは無理だ。私たちが証明したのは吾妻が犯行に関わっていないことだけだ」
私たちは謎を解き明かした。だが、それによって誰かが救われることなんてなかった。
「ねえ、一つ聞いていいかな」
「……なんだ?」
ずっと逃げていた。だが、もう目を逸らすことなんてできない。
「どうして、樹里ちゃんは事件を……、謎を求めるようになったの?」
彼女の原点。それを知る時が来た。