3話 未来視③
インターホンを鳴らす。
すぐに扉の向こうから誰かが歩いてくる音がした。
ゆっくりと、静かに扉が開く。
「えっと、どちら様でしょうか……?」
「赤崎樹里、探偵だ。北条祐介から何か話は聞いているか?」
都心から少し離れた場所にあるマンション。そこに北条祐介の兄、北条卓と彼の妻である北条愛恵が住んでいた。
私は一二三が吾妻翼のセミナーに参加している間、愛恵から話を聞くことにしていた。
「えぇ、夫の死を調べてもらうって言っていましたが……」
「なら話が早い。早速、北条卓がされたという予言のことが聞きたいんだが」
愛恵の元々暗かった表情が更に曇る。それが当然のことなのは私でもわかっている。だが、真実を探し出すためには避けて通れない道だ。
「……中へどうぞ」
案内され部屋に入り、椅子に座る。
タバコの残り香が鼻孔を刺激した。しかし灰皿はどこにも見当たらない。
マグカップにコーヒーが注がれ、テーブルに置かれる。
「確かに予言のことは夫から聞きました。でもそれが本当に起こるなんて思わないでしょう?」
「それはそうだな。その時の北条卓の様子に何かおかしいところはなかったか?」
「いえ、本当にいつも通りでした」
愛恵が私から目を逸らす。そして「ただ」と付け加えた。
「……おかしいんです」
「何がだ? 家での様子はいつも通りだったんだろ?」
「えぇ……。そうなんですが、夫が亡くなった場所が…、いつもの通勤では使わない道だったんです……」
「なるほど、確かにそれはおかしいな……」
いつもは使わないはずの道にある歩道橋。そこで卓は転落死した。
彼が挑発のつもりでわざとあの道を使った可能性は否定できない。しかし敢えてそれは言わなかった。……愛恵を更に追い込むようなことをしていいはずがないと判断したからだ。
「最後に一つ、弟の祐介と卓は仲が良かったのか?」
「まぁ…、そうですね……」
愛恵が再び私から目を逸らした。
「……そうか」
●
次に向かったのは現場の歩道橋だ。
橋の上を歩きながら、辺りの景色を見回す。
「……そりゃ目撃証言なんて出ないはずだ」
大通りから少し外れた場所にあるせいで、車もほとんど通らない道路。そんな寂れた場所にポツンと建てられた歩道橋。付近にある建物はどこも昼前だというのにシャッターが重く閉ざされている。きっと事件当日の朝も似たような光景だっただろう。
「北条卓はここから足を滑らせて階段を転げ落ちた」
階段をじっと見つめるが、これといっておかしなものなんてない。どこにでもある普通のものだ。
「これが吾妻翼本人、もしくは関係者による犯行だとしたら……。犯人は北条卓のことをここまで尾行して、そして突き落とした……」
本当にそんなことが可能だろうか。
人通りの少ない道で気づかれないように後をつけるのは至難の業だ。それにここは北条卓が普段使う道ではない。つまり事前に彼のことを調べていたとしても、ここで犯行に及んだのは計画外のはずだ。
「なら、どうしてここで……」
脳裏に一つの可能性が浮かぶ。
もしかしたら、卓はここに自身の意志で来たのではなく、犯人によって呼び出されたのだとしたら。そう考えるとここで卓のことを殺したのは、決して計画外の出来事なんかではない。れっきとした計画的な殺人だ。
「だが呼び出したとしても、何故なんの警戒もせずにここへ……」
こんなところへ呼ばれてノコノコ現れるのは、殺してくれと言っているようなものだ。占いを信じていなかったで済む話ではない。
……何かここに行かなければならない理由があったとしたら。
「もう少しあの家の周りを調べてみる必要がありそうだな」
吾妻の件については一二三に任せっきりになりそうだ。
……明らかに愛恵は何かを隠していた。
●
「……昼休憩中ですので、手短にお願いします」
祐介がコーヒーを啜る。
「一つ聞きたいことがあってな」
「私に答えられることでしたら……」
「北条卓は喫煙者だったか?」
あの家で誰かが頻繁にタバコを吸っていたのは確かだ。だが、肝心の灰皿が見当たらなかった。
考えられるのは卓だけが喫煙者という可能性。彼が死んで、灰皿が不要になったから処分した。
そしてもう一つ……。
「……いえ、吸うのはボクだけです。いつも携帯灰皿を使ってるので、家に普通の灰皿はありません」
「だろうな。死んだからってすぐに処分するのもおかしいからな」
祐介が胸ポケットから携帯灰皿を出して私に見せる。
つまり臭いが染みつくほど、祐介はあの家に行っていたということになる。
勿論、それ自体はなんらおかしい点はない。ただ仲の良い兄弟というだけの話だ。だが、祐介と愛恵は何かを隠している。
「お前は普段から兄の家に行っていたのか?」
眉間にしわが寄る。
「それは、事件と何か関係が……?」
「……まあ、興味本位だ」
「……それなりに行ってましたよ。ボクは独り身でしたから、二人が気を遣ってくれたんですよ」
嘘をついている様子はない。だが話している途中で祐介は私から目を逸らした。
やはり北条家には何か秘密があるような気がしてならない。
「本当にそれだけか?」
「何が言いたいんですか」
「最初から疑問に思っていたんだ。何故お前は私たちに依頼した? 警察が事故死と判断したから? 違うな。お前たちは警察に知られたくない何かがある。だから私たちに頼んだんだ」
「なっ、何を根拠にそんな暴論を!」
「……冗談だ。悪かったな」
憤る祐介を無視して、席を立つ。
彼が依頼を取り下げるのならそれでよかった。むしろそうなってくれることを願って、わざと挑発した。
だが結果は何も変わらず。どうやら一二三と別行動をしたのは正解だったようだ。
……北条家の秘密がなんなのか、いくつか可能性を考えるが、どれが真実だったとしても正直ガッカリしてしまう。あまり乗り気になれないというのが本音だ。
スマートフォンが鳴る。
画面を見ると、一二三からの電話だ。
……嫌な予感がした。
「……もしもし」
そして一二三から調査の報告を受ける。
本当ならただセミナーの様子を聞かされるだけのはずだった。だが、イレギュラーが発生してしまった。
「そうか、なら今からそっちへ行く」
……必死に笑いそうになるのを堪える。
新鮮な謎、私が求めていたものだ。
電話を切り、祐介のいる席へ戻る。
「……今度はなんですか」
「ククッ、よかったな。二度目の予言が見事的中したみたいだぞ」