3話 色欲の罰②
どれくらいの時間、こうして立っていたのだろう。未だに現実を受け入れることができない。
……加奈子おばさんが死んだ。しかも、彼女は何者かに殺されたのだ。あまりにも非現実的すぎて、脳が混乱し続けている。
視界が歪み、胃から熱い液体がせり上がってくる。
「うっ……、お゛ぇっ……」
私は高価なカーペットの上に吐瀉物をまき散らした。結局、靴で汚すよりも酷いことをしてしまった。
「一二三……」
「……樹里ちゃんはわかってたの?」
「どういう意味だ?」
夕食時の樹里との会話を思い出す。
「だって、こうなることがわかってたんでしょ?」
『吐きたくないしな』
彼女はそう言った。あの時、彼女はその理由を答えなかったが、今ならわかる。
……知っていたのだ。自身の母が殺されることを。そしてそれを見逃したのだ。
「……少し休んだ方がいい。みんなの所へ行ってろ」
他の人たちは今後どうするか話し合うために、本館の広間へ行ったらしい。本当なら私もそこへ行くべきなのだろうが……。
「……誰がこんなことしたの」
「は?」
「誰が、加奈子おばさんのことをこんな目に!」
許せない。
普段の私なら、きっと樹里の言う通りにしていただろう。だが、短期間で大切な人を二人も失ったせいか、頭のネジがどこかへ飛んでしまった。
じっとしていることなんてできない。なら私がやるべきことは一つだ。犯人を見つけ出して……。
「復讐でもするつもりか?」
「そうだと言ったら?」
「別に、どうでもいい。……ただ、丁度助手が欲しかったところだ」
「助手?」
「あぁ、私の捜査を手伝え」
そう言って薄手のビニール手袋を渡してきた。
捜査をするということは、部屋にあるものを触ることになる。だからこそ、ビニール手袋をして現場に新たな指紋を付けないようにするというのはわかるのだが、何故樹里はこれを持っていたのだろうか。
「犯人が知りたいんだろ? なら警察を待つより、私の方が断然早い」
そしてニヤリと笑った。ずっと無表情だった彼女が初めて見せた笑み。それは子供のような無邪気な笑みで、逆にそれが不気味だった。
自分の母親が殺されたというのにどうして……。
でも、そんなこと関係ない。犯人を知るためならなんだってしてやる。
そして私は靴を脱ぎ、現場へ入った。
「ひっ……」
遺体を間近で見ると、恐怖が何倍にも膨れ上がる。人間の遺体を見るのはこれで二度目だが、恐らく何度見ても慣れることなんてないのだろう。
「これを見ろ」
樹里がナイフを指差す。刃渡りがどれ程なのか分からないが、刃はほとんど加奈子おばさんの身体の中だ。
「出血量を見ても、ほぼ即死だろうな。心臓を一突きだ」
「そ、即死……」
なら、彼女は苦しまずに死ぬことができたのだろう。そのことに安堵してしまうのが、なんだか嫌だった。
「そしてこれ」
次はベッドの隣にあるテーブルを指差した。テーブルの上にはこの部屋の番号が刻まれた鍵が置かれていた。
……なら、犯人はどうやって部屋から出て鍵をかけたのだろうか?
しかし、そんな疑問よりも気になる点があった。
「何これ……」
テーブル上にあったのは鍵だけではない。
『色欲の罪を罰する』
テーブルに血でそう書かれていた。
「こ、これって……、ダイイングメッセージ……?」
「そんなもの、この世にあるわけないだろ? どうしてわざわざあんな回りくどいことを死ぬ間際の人間がするんだ?」
言われてみれば確かにそうだ。あと少しで死ぬ人間に、暗号どころか犯人の名前を書く余裕があるとも思えない。
「それに言っただろ? 加奈子はほぼ即死だって」
「そっか……。じゃあこれって、犯人が書いたってこと?」
「だろうな。まあ、これも芝居がかっているが」
そう言いながらメッセージをまじまじと見る。
「なぁ、色欲って言葉から何を想像する?」
「え? えぇっと……」
「一応言っておくが、私が聞きたいのは言葉の意味じゃないぞ」
「べ、別にそれくらいわかってるよ」
そう言われても、今の私に正常な判断力なんてない。ただ復讐をしたい一心で無理矢理身体を動かしているだけだ。
色欲……、色欲……。
「そういえば、七つの大罪ってのがあるよね……」
アニメや漫画でよく見かける言葉。
憤怒、傲慢、怠惰、暴食、嫉妬、強欲、そして色欲。人間を罪へと導く欲望のことだ。
「正解」
「えっ、どういうこと?」
「つまり犯人はあと六人殺すってことだ。勿論ブラフの可能性もあるがな」
犯人は全部で七人も殺す……? そんなこと、本当に人間にできるのだろうか。
そして私はあることに気づいた。
「ねぇ、七人ってことは……」
「やっと気づいたか。メッセージを信じるなら……、犯人は自身を除いた島にいる全員を殺すつもりだ」
私と樹里、新太、桐子、栄一、使用人の二人、そして死んだ加奈子おばさん。
この島にいるのは全部で八人。つまり七人殺せば最後に犯人だけが島に残るのだ。
……狂っている。
「で、でもすぐ警察が来てくれるし……」
復讐しようとしていた人間が警察の存在を頼るなんて、情けなくて仕方がない。
外は雨だが幸いまだ小雨だ。これなら警察も来ることが……。
「私の予想が合ってれば、あと二日は警察なんて来ないぞ?」
「ど、どうして……」
戸惑う私を無視して、樹里は調査を再開した。
だって、誰かが通報して……。そう思った瞬間、こちらに誰かが走ってくる音が聞こえた。
「はぁ…はぁ……。まだここにいたんですか……!」
「蔵之介さん⁉ ど、どうかしたんですか……」
蔵之介が息を切らしながらこちらを信じられないといった表情で睨む。そして、絶望的な真実を告げた。
「電話線が……、何者かに切られていました!」
●
「ほんとに島の外につながるのは二台しかないのか⁉」
「はい……。本館とゲストハウスに一台ずつしかありません。あとは内線用のものしか……」
一度調査を切り上げ、私たちは本館の広間に戻ってきた。
どんなに覚悟を決めたとしても、やったのはただ樹里の話を聞くだけ。無力な自分が嫌で仕方がない。
「じゃあ黒須先生が来るまで、私たちここに閉じ込められるんですか……?」
「……そうなるね」
黒須が来るのは二日後の朝。それまで、私たち全員を殺すつもりでいる殺人鬼と一緒にいなくてはいけない。
「あの、やっぱり犯人はこの中に……」
「安井さん!」
「で、でもっ……!」
そうだ。あと六人が死に、最後に犯人だけが残る。今ここにいるのは七人。……この中に犯人がいるのだ。
「なぁ……、マスターキーは誰にでも使えたのか?」
栄一が怯える蔵之介を睨む。
「確かに、マスターキーはあの密室を解くための、文字通り鍵になるわけだな」
部屋の鍵は机の上に置かれていた。つまり密室形成にあの鍵は使われていない。
しかし、もしマスターキーが誰でも使うことができたのなら、犯行は誰にでも可能ということになる。
「……いえ、マスターキーは使用人しか使えません。正確には私たちが勤務中常時携帯しているカードキーでのみ開くことのできる金庫に入っています。そして金庫を開けた場合、その時間が記録されるようになっています」
犯行にマスターキーが使われているのは確実だ。となるとその金庫には、加奈子おばさん殺害の時に使った鍵を取り出した時間が記録されていることになる。
だが、それだけでは犯人はわからない。しかし容疑者を絞り込むことならできる。
「そのカードキーを他人に渡したか?」
「そのようなこと、絶対にしていません」
「わ、私もしていません……!」
となると、赤崎家の人間にあの密室を作ることはできない。つまり……。
「ということは、犯行が可能だったのは……使用人のどちらかということになりませんか?」