1話 未来視①
歩道橋の階段を上っている途中、ふと昨晩言われたことを思い出してしまう。
上司に連れられ入った占いの館。正直に言うと、俺は占いなんて信じていない。だが上司の誘いを断ることもできず、結局金を無駄遣いして胡散臭い占いを受ける羽目になった。
占い師は仰々しい呪文を唱えている。俺は上司にバレないよう欠伸を堪えた。当たると話題らしいがどうせインチキだ。
「……見えました」
「何が見えたんですか」
占いの結果が気になっているわけではない。だが金を払っているのだから聞かずに帰るわけにはいかない。……それに加えて上司の目もある。嘘でも占いに興味があるフリをしないといけない。
「……階段が見えます。そこで貴方に災難が襲いかかります。詳しくは言えませんが、明日一日は絶対に階段には近寄らないでください」
「災難ってなんですか?」
「これ以上、私の口からは……」
やはりインチキだ。
ああやってそれらしいことを言ってデマカセを信じさせようとしているのだ。
そのことを帰宅してから妻に言うと、彼女も信じることなんてできないと笑った。
思い出し笑いをしていると階段を上り終えていた。そしてしばらく歩くと、今度は下りるための階段だ。俺は何も考えず一歩踏み出し……。
「えっ……?」
後ろから誰かに背中を押された。
俺の身体は無防備な状態で一瞬だけ宙を舞い、そして落ちた。頭に鈍い痛みが連続して走り、意識が徐々に薄くなっていく。
意識が完全に落ちる直前、脳裏に浮かんだのは妻ではなく、あの占い師だった。
あぁ…、やっぱりあの占い師は……、本物だったんだ……。
★
樹里が探偵事務所を始めてから早一ヵ月。長かった冬も終わり、徐々に春の暖かさが近づいている。
「……依頼は?」
「今日もゼロだよ……」
数分に一度依頼のメールが届いていないか確認していたが、結局今日も無駄な努力で終わってしまった。
「いつになったら依頼来るんだろうね」
宣伝を怠っているつもりはない。しかし、世間は思っていたよりも平和なのだ。
推理小説に出てくるような事件の依頼なんて勿論ない。それどころか浮気調査や迷子のペット探しといった、これはこれで推理小説に出てきそうな冴えない探偵に来る依頼もない。
「うぅん、どうしよう……」
頭を抱える。
結局祖母の遺産を食いつぶす日々だ。
樹里の助手として働くことを決めたが、流石に脳内の選択肢にきちんとした会社に就職するというのが浮き上がる。だがそんな考えとは裏腹に、ボロボロの取得単位を放置したまま春休みを迎えてしまった。数週間後には大学四年生、サボっていたツケを払うどころの話ではない。
「今朝の星座占いは一位だったのになぁ」
「占い?」
「うん、…まぁ朝のニュース番組のだけどね」
「……そうか」
「おかしいかな、サチヱさん以外の占い師を頼るなんて」
樹里が首を横に振る。
私たちの祖母、占い師赤崎サチヱは未来を見ることができる本物の予知能力者だった。彼女に占ってもらったことはないが、私はこの目で彼女の予言の結果を見ている。
……俯瞰島殺人事件。今ではそう呼ばれている事件で私、四条一二三と、探偵赤崎樹里は初めて出会った。
そしてサチヱは、自身の死後に起きた事件にも係わらず、その顛末を予言していた。
あれからもう半年以上経っている。なんだか遠い昔のようにも、つい昨日のようにも思える不思議な気分だ。
「ねぇ、樹里ちゃんはお父さんに会えなくて寂しくないの?」
「……別に、一二三がいてくれば私はそれでいい。それに元からそこまで親子関係が良好だったわけでもないからな」
樹里は私と出会う前の話をあまりしたがらない。私が知ってるのは俯瞰島で彼女の口から聞いたことだけ。それ以上のことは知らないし、私も聞かない。
……今が全て。聞こえはいいが、ただ目を逸らしているだけだ。今日もまた私はそんな不安から逃げて、ただ明るい四条一二三を演じていた。
「あれ……」
「どうかしたのか?」
「これ見て」
パソコンの画面を樹里に見せる。
メールの受信ボックス、一ヵ月間迷惑メールしか来なかった場所に一通の依頼が届いていた。
今日はこれで諦めようとメールを確認したのだが、どうやら最後の最後で報われたようだ。
アカサキ探偵事務所への初めての依頼。それは迷宮入り寸前の事件の解決でも、浮気調査でもない。
「インチキ占い師との対決……?」
樹里がメールを読みながら首を傾げる。
依頼の内容は占い師のインチキを暴いてほしいというものだった。
●
依頼が届いた数日後、私たちは依頼者と直接会うことになった。依頼内容の確認、そして何よりも、報酬について話し合うためだ。
「初めまして……。ボクがお二人に依頼をした、北条祐介です」
待ち合わせ場所のカフェで先に待っていた北条が私たちを見て軽く会釈をする。私たちも席に座り、飲み物を注文した。
「それで、依頼内容なんですが……」
「占い師、吾妻翼の詐欺行為を暴けばいいんだな」
北条が頷く。
吾妻翼とは、最近当たると評判の若手占い師だ。テレビでも人気だが、ネットでは彼の後ろめたいことについて、様々な憶測が飛び交っている。
「ボクの兄は、吾妻に殺されたんです……!」
「殺された⁉」
「……一二三、静かにしろ」
大声を出してしまった私に他の客の視線が集まる。私は顔が熱くなるのを感じながら、アイスコーヒーを喉に流し込んだ。
「兄は先月、出社中に階段から滑り落ち、その時に頭を打って……亡くなりました。目撃証言もなく、警察は事故死だろうと……」
「それだけ聞くと、警察の考えが正しそうだけど……」
なんらかの原因で階段から足を滑らせ、頭を打って亡くなってしまった。こう言ってしまうのは不謹慎かもしれないが、不運な事故としか思えない。
「そこで例の占い師が出てくるんだな?」
「はい。……吾妻は予言していたんです。兄が階段から落ちて死ぬことを」
占い師による未来の予言。どうしても脳裏には祖母の姿が浮かんでしまう。
「もしかして、吾妻が予言を的中させるためにお兄さんのことを……」
「……少なくとも、ボクと兄の妻はそう考えています」
「なるほど。だから私たちに吾妻翼を調べさせて、予言にトリックがあったことを証明するんだな」
「お願いします! 報酬ならいくらでも用意しますから!」
もう一度コーヒーを口にする。もう樹里と北条の会話は耳に入らなかった。
ただ私は窓の外を見ながら、写真でしか見たことのない女性のことを考えていた。
……サチヱさんはどんな人だったのだろう。
祖母と私は一度も会ったことがない。正確に言うと会ったことはあるのだが、それは私が産まれたばかりの頃だ。少なくとも私には祖母と会った記憶がない。
だから、祖母がどんな人物なのかは伝聞でしか知ることができない。
どんなに優しい人間だとしても、どんなに偉大な占い師だとしても、死んでしまった彼女を直接知る術なんてもうどこにもない。
だからこそ、これは祈りだ。
赤崎サチヱが予言を利用して悪事を働いた人間ではないことを、私は祈った。