24話 遊戯世界:妄想
目を開くと、そこはどこかのお城。
きっと夢を見ているのだろう。
「こんばんは。ここに来客なんて珍しいこともあるのね」
女性が階段に腰掛けて紅茶を飲んでいる。その顔を見て、私は思わず呟いた。
「鳩飼さん……?」
クリスマスに起きた事件。あの時の加害者、そして同時に被害者でもあった、鳩飼桔梗と蓮華の双子姉妹に女性の容姿は酷似していた。
女性が首を横に振る。
「残念ながら違うわ。そしてジュリもここにはいないわよ。まったく、私達を置いてどこに行ってるんだか」
拗ねた表情で女性が指を弾き音を鳴らす。
私の目の前にティーカップとポットが現れる。宙に浮いたポットが傾きティーカップに紅茶が注がれる。
カップが私の手元に浮きながら移動する。私は恐る恐るそれを手に取り、紅茶を喉に流し込んだ。
「……おいしい」
「そう、それは良かった」
女性がケラケラと笑う。その表情はやはりあの双子にそっくりだ。
……嫌な夢だ。どうせなら、幸せな夢を見たいというのに。
「それにしても、貴女が本物の四条一二三なのね……」
「本物の……?」
「そう、私達は偽物の一二三とは会ったことがあるの」
女性の手には、いつの間にか黄金色のチェスの駒が握られていた。それを悲しそうな瞳で見つめる。
「ま、全部私達がやったことなんだけど」
噛みしめるように女性が言う。
……これは本当に夢なのだろうか。目の前にいる女性が、ただの私の見ている夢には思えない。
「あなたは……」
「私達? ただの魔女。……吸血鬼に負けた、負け犬よ」
★
車のエンジン音で目が覚めた。
辺りを見回すと、私は道路の真ん中に倒れていた。車は私のことなんか気にせず、一切減速しないで私の真横を通る。
「遊戯世界じゃない、……普通の夢なのか?」
ここが現実でないことはすぐにわかった。だが、魔女たちのいる遊戯世界でもない。本当に久しぶりに、私はただの夢を見ていた。
『それはちょっと違うかな』
……男の声。
感情も抑揚もない、機械のような声だ。そして私はその声に聞き覚えがある。
「お前、『名無しの悪意』が言ってた黒幕だな」
『おや、覚えていてくれたんだね』
あの時、私たちを監視していた人間。それが何故ここに……。
『はじめまして、吸血鬼さん』
その言葉と共に、私の目の前に少年が姿を現す。年齢は恐らく中学生くらいだろうか。
白いコート、不健康そうな青白い肌、老人のような白髪、そして深紅の瞳。全身に雪を纏ったような少年、……私と同じだ。
『ここは遊戯世界、でも君の領域ではない』
「なるほど、お前の領域に踏み入れてしまった…ってことか。ククッ、いつからこの世界はファンタジー小説に変わったんだ?」
『そうやって自分を特別な存在だと思い込んで、盤上世界を俯瞰している。やっぱり君は鬼だ』
「……どういう意味だ」
少年が笑う。だが、やはり感情が見えない。ただ台本の台詞を読んでいるだけのように感じる。
『うぅん、それよりも君はなんて言ったら、この世界のことを納得してくれるのかな。あり得たかもしれないもう一つの世界、並行世界って言ったら納得してくれるかい? それとも人間の無意識に眠る深層世界、普遍的無意識って言ったら納得してくれるかい?』
「違う、ここは私の……」
『魔女たちが住む別世界……とでも言いたいのかな?』
「……ここは、ただの私の妄想だ」
……違う。心の中ではそう思っているはずなのに、幼稚なプライドに囚われ、少年の言葉に同意したくない自分がいた。
もう、この世界は私のものではない。その事実が、私の心臓を突き刺す。
『今日はただの挨拶のつもりだったんだけど……。まあ、また招待するよ』
少年が指を鳴らす。
すると私の意識は薄れ、そして深淵へと落ちていった。
★
「なるほど、本来は鳴らないはずの音がね……」
「うん。あの工事音、なんであんな時間にしたんだろう……」
午後十二時半、そんな時間にあの住宅街で工事なんかしていたら、苦情殺到どころの話ではないだろう。だがそんな話は聞いていない。
きっとあの時間に工事なんてしていなかったはずだ。
「何かの音を工事音だと誤認した可能性は?」
「勿論それはあると思うけど……。だけどやっぱりなんか違和感があるんだよね」
「じゃあ仮にその音が工事音だとして、どうやって桐野琉璃はそれでアリバイ工作をしたわけ?」
それが一番重要な部分だ。工事音だけでは証拠にはならない。
「例えば、あれはあらかじめ録音しておいた音声だった。途中でマイクをミュートにして、録音していたのを流すことで桐野さんはずっと部屋にいたと視聴者たちに思い込ませる。そう考えられるんじゃないかな?」
「でも、桐野琉璃はずっとコメントに反応していたんじゃないの?」
「うっ……。それはそうだけど……」
彼女は定期的に視聴者と会話をしていた。それは工事音のする場面でも変わらない。つまり彼女はずっと配信していた場所を動いていないということになる。
「そもそも、桐野琉璃犯人説が間違っているんじゃないかしら」
「そうかもしれない…けど……」
戸惑う私を見て魔女が笑う。
まだ証拠が足りない。現状、琉璃が犯人であるという証拠も、完全に無罪であるという証拠もない。
「もう少し、樹里ちゃんとも話し合ってみるね。そうしたら何か見つかりそうな気がするし」
「フフッ、そうね。なら、今度は三人で会いましょう。……この遊戯世界で」
魔女がそう言うと、霧のように姿が薄まっていく。
……やはり、ただの夢という気がしない。
一人残された私も、すぐに意識がどこか遠くへ行ってしまった。
★
「……おはよう、一二三」
「あれ、いつの間にか寝ちゃってた……」
樹里の声で目覚める。
私がいるのは古城ではなくいつもの部屋。ソファの上で無理な姿勢をしてしまったせいか、身体のあちこちが痛む。
「ねぇ、樹里ちゃん」
「なんだいきなり」
遊戯世界、あそこは元々樹里の作りだした場所、そう魔女が言っていた。
勿論、私の考えすぎなだけで、あれはただの夢だったのかもしれない。だが、どうしても気になってしまう。
「……遊戯世界って場所、知ってる?」
そう聞いた瞬間、樹里の深紅の瞳から涙が流れた。
「樹里…ちゃん……?」
「そうか、お前も……」
私の唇に、樹里の唇が優しく触れた。
「……妄想だよ、そんなの」
そう言う彼女の顔は、とても寂しそうだった。




