23話 数百人の目撃者 中編
桐野琉璃から話を聞き終え、帰宅した私たちは一度情報を整理することにした。
「それにしても桐野さん、災難だよね」
「あぁ、川井将太からのストーカー被害を数ヵ月間受けていたわけだしな」
数ヵ月前、突然将太が琉璃の上の階の部屋に引っ越してきた。それから彼女への嫌がらせ行為が始まり、ここ一ヵ月は更に激しくなっていたようだ。
彼女の趣味である配信活動にも支障をきたしていただろう。
「動機は十分だな」
「やっぱり、桐野さんが犯人なのかな……」
あの時の勝ち誇ったような表情。どうしても私にはこの事件に琉璃が関係していないとは思えない。だが、彼女には完璧なアリバイがある。
「あった。これが桐野琉璃のアリバイだな」
樹里が私にスマートフォンの画面を見せる。
事件当日、琉璃がしていたという生放送のアーカイブが画面に表示されていた。配信開始は午後十二時から一時間ほど、将太の死亡推定時刻にピッタリと重なっている。そこが逆に怪しく思えてしまう。
「彼女曰く、配信は何百人もの人間が見ていた……」
アーカイブを再生すると、コメント欄に数多の発言が流れていく。
勿論コメントしている人間以外にも見ていただけの人間はいるだろうが、少なくともこれら全部が琉璃のアリバイを証明する人間ということになる。
「直感を妄信しすぎるのも危険だが、やはり私も桐野琉璃が犯人だと思っている」
「樹里ちゃんも……?」
「あの表情、あれは犯罪を自慢、もしくは自身のやったことを誇示しているようだった」
「それくらいすごいトリックを?」
「いや、ただ単に私たちのことをなめているんだよ。浦崎たち警察が別件に追われていて事件の捜査が進んでいない以上、自分の勝ちを確信しているんだ」
樹里がそこまで言うと、深刻そうな表情で「やはり」と呟いた。
「どうかしたの?」
「……やはり、浦崎たちは何かを隠している」
「そりゃまあ、一般の人に話せないことなんていくつもあるだろうけど」
私たちはあくまで一般人だ。流石に外部に漏らすことのできない情報が山ほどあるだろう。だが、樹里が違和感を持っている理由は恐らくそれだけではない。
「今は何もわからない。だが今回の件はあまり浦崎を頼ることはできないな」
「……とりあえず、今は桐野さんの配信見よ?」
無言でアーカイブを見る。配信の内容は雑談放送だ。
『皆様こんばんは! ヨエルです!』
琉璃の声が響く。先程会った時の大人しそうな声とはまるで別物だ。ヨエルというのは彼女のハンドルネームだろう。
部屋の様子は映っていない。画面には視聴者が描いたヨエルのファンアートと思われるイラストが何枚も表示されている。
そして一時間ほど経った。
『お疲れさまでした! バイバイ!』
配信は何事もなく終了した。怪しい部分も見当たらない。これだけを見ると彼女が犯人だとは思えないのだが……。
「配信中特に離脱もなし、コメントにも定期的に反応していた以上、配信している間ずっとあの部屋にいたのは間違いないな」
「でも部屋が映っていたわけじゃないし、桐野さんの部屋で配信したとは限らないんじゃないかな」
「仮に川井将太の部屋で配信していたとしても、殺すことはできないだろ。どう考えても犯行の音が配信に入ってしまうはずだ」
確かに……。そう考えると琉璃に犯行が可能だったとは思えない。
もしかしたら、私は樹里の言う通りあの時の直感を妄信してしまっているのかもしれない。
今の私は犯人が桐野琉璃だと思い込んでいる。
別の可能性、彼女が犯人ではないという可能性を考えるべきなのではないか。
「明日、もう一度現場に行くか。……今日はもう寝る」
そう言って大きく欠伸をすると、樹里は寝室へ行ってしまった。
「……あの、これ」
テーブルの上にコーヒーカップが置かれた。スマートフォンから目を離すと、茜が顔を真っ赤にしながら私のことを見つめていた。
「ありがとう、茜さん」
「いえっ……。し、仕事…ですから……」
この前の事件から、茜の様子がなんだかおかしい。
自意識過剰でなければ、彼女は私のことを避けているような気がした。
『一二三は渡さないからな』
あの時の樹里の言葉を思い出す。
いや、まさかね……。
「失礼します……」
時計を見る、もう日付が変わる直前だ。
「遅くまでごめんね。明日はお昼からで大丈夫だから」
茜は頷くと、私と目を合わせずに部屋から出た。
……本当に心配だ。
私はコーヒーを啜りながら、もう一度アーカイブを再生した。イヤホンをして音量を上げる。
三十分ほど経った時、何か違和感を覚えた。その部分まで巻き戻してもう一度再生する。
クリック音の後、何か変な音がした。
音量を更に上げてもう一度。耳が痛くなるほどの大音量で音の正体を確かめる。
「これって、工事音……?」
遠くから聞こえる、何かの作業をする音。だがこの配信が行われたのは深夜だ。そんな時間に工事をしていたとは思えない。もしかしたら、これが謎を解くヒントになるのではないだろうか。
そう考えたところで、急激な眠気に襲われた。
……誰かの声が聞こえる。樹里に似た女の子の声。彼女よりも高圧的で、どこか冷めたような声。まるで私が初めて彼女と会った時に感じた印象、異国のお姫様、もしくは吸血鬼のような姿が目に浮かぶ。
そして私は落ちていく。魔女と吸血鬼のたまり場、遊戯世界へ……。