21話 不運な密室 後編
「監視カメラ確認してきました。……って浦崎さんは?」
「あいつには別の用事を頼んだ」
「はぁ? お前勝手なこと……」
樹里がため息をつく。
「そんなこと今はどうでもいいだろ。それより、監視カメラの映像は?」
「……ばっちり映ってたよ、ぐったりしてるその子を背負った鍋島がな」
岸部が私を指差す。やはり、鍋島は私を眠らせてここに運んだのだ。……でも、なんのために。
眠る私を無理矢理犯すのなら、何故彼はベッドの上で物言わぬ死体に変わっている? もしかして、本当に私は彼を……。
いや、違う。樹里に教えてもらった証拠。
あの傷をつけることは、昨晩の私には不可能なはずだ。
「首の傷、これは凶器のナイフで切られたものだ」
「それがどうした」
「もし、私が犯人だとしたら……、寝起きの状態で何回も鍋島くんの首を切った後、お腹を刺したことになりますよね」
「そんなことが一般人にできるか? それも部屋は一切荒らさずに」
「そ、それは……」
最悪激しく抵抗した時に脅して従わせるためのナイフ、それをぼやけた視界と思考の状態で奪い、鍋島を襲う。私にはそんなことできない。
「きっと犯人は……」
そこでスマートフォンが鳴った。樹里がそれを耳に当てる。
「もしもし、浦崎か。話は聞けたか?」
通話の内容はわからないが、樹里はニヤリと笑いながら「そうか」と呟いた。そして電話を切ると、勝ち誇ったような表情で岸部のことを見た。
「……刑事さん、なんて言ったの?」
「詳しくは浦崎が戻ってきてから話すが…、犯人が解った」
「えぇ⁉」
私と岸部が同時に驚愕の声を上げる。
樹里は先程、浦崎が証拠を見つけると言っていた。きっと彼女の予想通り、浦崎は何かを見つけたのだろう。
「……安心しろ。お前は犯人じゃない」
穏やかな声で言いながら、樹里が私の頭を撫でる。
……そういうことは私にじゃなく、一二三にしてほしいのだが。
そんな本心を隠しつつ、私は浦崎が帰ってくるのを待っていた。
●
「ふぅ……。いやぁ、お待たせしました」
小一時間ほど経ち、浦崎が息を切らしながら部屋に戻ってきた。
「さて、全員揃ったところで始めるか」
「何を……?」
「決まってるだろ。月並みな台詞だが、……犯人はこの中にいる」
「えっ?」
犯人が……この中に……?
視界がグニャリと歪む感覚。容疑者は私しかいない。ということはやはり……。
『お前は犯人じゃない』
樹里のあの言葉は、私を油断させるための嘘だったのだろうか。……信じていたのに。
「ということは犯人は……」
岸部が私のことを睨む。
「それが犯人の目的だったんだ。今の岸部のように、茜を疑いの目を向けることがな」
「どういうことだ?」
「その前に浦崎、もう一度聞かせてくれ」
「は、はい。鍋島鉄尾は先月に会社を退職していました」
何故。疑問で頭がいっぱいになる。そんなこと、昨晩は欠片も語っていなかった。それどころか、仕事の苦労話を誇らしげに自慢していたほどだ。
「そして部下に彼の家を訪ねさせたのですが、彼は重い病気を患った母親と同居していました。手術費用を用意するのにかなり苦労していたようです」
「……それだけじゃないだろ?」
浦崎が頷く。
「鍋島は多額の生命保険に加入していました」
「ってことは、もしかして……」
「あぁ、犯人はこれを他殺に見せかける必要があった。そこで茜をここに連れ込んだわけだ」
他殺に見せかける。ということはつまり鍋島を殺したのは……。
「鍋島鉄尾を殺したのは自分自身。つまりは自殺だ」
「そんな……」
「そう考えれば、首の傷も荒れていない部屋の状況もすべて説明ができる」
首の傷、これは犯人と争った際に切られたものではなく。自分でやったということになる。ということは恐らく……。
「躊躇い傷ってこと?」
「そうだ。鍋島は最初自身の首、頸動脈を切って自殺しようとした。だが、死への恐怖から自然と傷は浅くなってしまう。それがこの複数の切り傷を生み出したんだ。だが最後にこいつは覚悟を決めて……」
「お腹を刺した……」
「あぁ、そして茜の指紋をつけるために刺さったナイフを抜き、枕元に置いたわけだ」
その時の痛み、きっとそれは筆舌しがたいものなのだろう。一二三が右腕を刺された時と同等、もしくはそれ以上の苦痛が彼を襲ったのだ。
それでも、彼は目的のためにこれをやってのけたのだ。それに巻き込まれた私の苦悩なんて露知らずに。
「でも、どうして私が……」
「さあな。そんなのもう誰にもわからない。誰でもよくて、偶然お前が飲んでいた酒に睡眠薬を混ぜたのか、それともわざとお前に飲ませたのか、その謎はもう誰にも解らない……」
……死者は何も語らない。それを痛感してしまった。
「さて、これで私の推理は閉幕だ。後はお前ら警察に任せたぞ」
「……はい」
岸部が弱々しく頷いた。
●
「夕飯できましたよぉ」
二人の食事をテーブルに載せる。
「今日は本当にありがとうございました」
「樹里ちゃん、また何かしたの? というか茜さんもまた厄介事に巻き込まれたんですか……?」
「まあ、そんなところだ」
一二三が心配そうな顔で私のことを見る。ここで働くようになってからも、私の不幸体質は変わっていない。人が死に、私が疑われるのはこれで三度目だ。
そして樹里は語り始めた。今日の事件のことを。私はそれを少し恥ずかしく思いながら聞いていた。
話が終わると、一二三が立ち上がった。
「ど、どうかしました……?」
無言で私に近づく。
そして、一二三は私のことを強く抱きしめた。
「えっ⁉ 一二三さんどうしたんですか⁉」
「良かった……。茜さんが犯罪者にならなくて、本当に良かった……」
一二三は軽く涙声になりながら繰り返し「良かった…」と呟く。確かに自分でもそう思うのだが、この状況で頭が真っ白になる。
「あ、間に……」
必死に声を振り絞る。
「間に挟まないでくださいっ!」
「え?」
私は見る専門であって恋愛対象は男性だ。ましてや間に入ろうなんて気は毛頭ない。
それなのに、顔はまるで燃えているかのように熱く、自然と言葉も早口になってしまう。もはや自分でも何を言っているのかわからない。
「……茜」
樹里が私のことを拗ねた表情で睨む。
「な、なに……?」
「一二三は渡さないからな」
「樹里ちゃん⁉」
一二三の顔が真っ赤になる。本来なら至福の光景なのだが、今はなんだか胸に棘が刺さったような感覚がする。
「し、失礼しますっ!」
もう限界だ。私はこの場から逃げ出してしまった。
帰り道で頭に浮かぶのは一二三の表情ばかり。一体私はどうしてしまったのだろう……。
この気持ちの正体を知るのはもう少し先になる。