20話 不運な密室 中編
「茜、さっき酒をそこまで飲んでいないのにいきなり眠くなったって言ってたな?」
「うん。それで目が覚めたらここに……」
「ということは、鍋島に睡眠薬を飲まされたという可能性がある。だからお前は少量の酒で眠ってしまったんじゃないか?」
「えっ、睡眠…薬……?」
「あぁ、眠ったお前をここに運び込んで、鍋島はどうするつもりだったんだろうな?」
どうするって……、それは勿論私をラブホテルに連れ込んだのだから……。その後のことを考えるだけで身体が震える。
だが、私の身体にはなんの異常もない。つまり鍋島の目論見は未遂で終わったわけだ。……恐らく、彼の命と引き換えに。
そうすると誰が何故鍋島を殺害したのか、更にわからなくなる。もし、本来は私は彼に襲われるはずだったとしたら……。犯人は私のことを助けた?
なら何故、私が疑われるような現場を作る必要があったのだろうか。
一つ嫌な予想が脳に浮かぶ。
私のことを鍋島から助けたのではなく、むしろ私が殺したように見せかけるのが犯人の目的だとしたら。きっと私がここに連れ込まれたのは好都合だっただろう。
「強姦目的でラブホテルに連れ込んだが、直前に抵抗されて、ナイフで刺された……?」
「そもそもなんでナイフなんて持っていたんだ? こんなところに持っていく必要はないだろ」
鍋島の命を絶ったナイフは、所謂十得ナイフ。ホームセンターでも購入可能な一般的なものだ。
勿論私のものではない。犯人か鍋島のものだろう。
「それは、最悪抵抗した時にナイフで脅して従わせるためだろ?」
「……なるほど」
樹里が失望したように、一度大きくため息を吐いた。それが癪に障ったのか、岸部の眉間にシワが寄る。
「とりあえず、くだらない話は後回しだ。岸部はフロントに行って監視カメラの映像を確認してこい」
「なんで僕が⁉」
「岸部くん、私からもお願いします」
「……はぁ、浦崎さんの頼みなら」
岸部は渋々部屋から出ていく。すると樹里がニヤリと笑った。
「浦崎にも頼みがある。多分これが犯人の動機だ」
そして浦崎に耳打ちをする。
「わかりました。すぐに確認してきます」
浦崎は真剣な表情で頷き、部屋から出た。これで私と樹里の二人きりだ。恐らくこの状況を作り出すために、先に岸部を現場から追い出したのだ。浦崎を先に追い出そうとすれば、当然岸部が黙っていなかっただろう。
樹里は思考にふけり、無言のままだ。気まずい沈黙が現場を漂う。
「犯人はなんでチェーンを使って密室を作る必要があったんだろ……」
そんな状態に耐えられなかった私は、ずっと考えていたことをなんとなく口にした。
「いや、犯人は外からチェーンをかけるなんて真似はしていないはずだ」
「……え?」
樹里がやけにあっさりと言う。そもそもチェーンを外からかけたと言い出したのは彼女だ。
「不可能とまでは言えないが…、証拠も残さず、そして誰にも見られずにやるにはリスクが大きすぎる」
「じゃあ、犯人はどうやって……」
一番の疑問が再び肥大化する。
外からチェーンをかけたのでなければ、犯人はどうやって密室を生み出し、そして現場から消失したのだろうか。
例えば犯人がずっと現場に隠れていて、他の人間が入ってきた時に何食わぬ顔で合流する。推理小説よりかはドラマでよく見るトリックだが、それも不可能だ。犯人はこの部屋のどこにも隠れていない。
そもそも、このトリックは現場に駆け付けた人間が顔見知りだからこそできる荒業だ。もし犯人が昨晩一緒に飲んでいた人間なら、私を騙すことは可能だろう。しかし、確実に初対面である樹里、そして浦崎と岸部には通じない。
樹里は密室なんて現実には存在しないと時々言っていた。ということは今回の事件にも私が思いついていないだけで、なんらかのトリックがあるということだろうか。
「それより、これを見ろ」
樹里が遺体を指差す。恐る恐る、私は鍋島の命を奪った腹部の傷を見る。しかし、樹里は首を横に振った。
「違う。見てほしいのはこっちだ」
彼女が指差しているのはナイフで刺されたと思われる真っ赤な腹部ではなく、首だ。
「これって……」
鍋島の首にはいくつかの切り傷があった。犯人と争った際にできた傷なのだろうか。
……ということは、私は犯人と鍋島が争っている中ぐっすりと寝ていたことになる。その姿を想像するだけで恥ずかしい。
「これは犯人と争った時の傷じゃない」
「どうしてわかるの?」
「部屋をよく見ろ。……綺麗すぎるだろ?」
確かに。部屋には争った形跡は見当たらない。少なくとも犯人と鍋島が争ったのなら、机や椅子が横倒しになっているのが自然だ。
じゃあこの傷は一体……。
「動機も私の予想が正しければ、すぐに浦崎がその証拠を見つけるはずだ。それで密室の謎も解き明かせる」
「もう⁉」
捜査を始めてからまだ十分ほどしか経過していない。それなのに、樹里は謎を解き明かす一歩手前までたどり着いている。
彼女の目には、どんな真実が見えているのだろう……。