19話 不運な密室 前編
まず初めに、弁明をさせてほしい。
百合は見る専門であって、私自身の恋愛対象は男性だ。だから今の状況は別におかしくない。おかしくはないのだが……。
必死に私、平塚茜の昨晩の行動を思い出す。
昨晩は同級生の知り合いと一緒にお酒を飲んでいた。年末で仕事が休みなのもあって皆たくさん飲んでいた。
しかし、私だけは明日も一二三と樹里の家で仕事だ。別にそれが嫌なわけではない。彼女たちといるのは楽しいし、何より二人が楽しそうに話している光景は眼福なのだ。
それはともかく、私は明日のためにお酒を飲む量を少なめにしていた。だが、急に眠くなり……、気がついたらラブホテルの一室だ。
そして隣には誰かがいる気配。まさか私はその人物と……。そう考えたところで違和感を覚えた。
「あれ……?」
今の私は服どころか下着もちゃんと着た状態だ。しかも着ているのは昨晩と同じもの。脱がせて行為に及んだ後、わざわざもう一度着せたとは考えにくい。
間違いを犯さなかったことに安堵しつつ、私は手探りで自身のスマートフォンを探した。
……枕元に何か置いてある。スマートフォンではない何か。私はそれを不用心にも手に取ってしまった。
「ナ、ナイフ……?」
どうしてこんなものがここに……。しかも、刃は血で濡れていた。
私は慌てて起き上がり、隣を見た。
「いやああああああああぁぁ⁉」
私の隣で上半身裸の男性が、腹部から真っ赤な液体を流しながら倒れていた。
手からナイフが滑り落ちる。……まずい。私はナイフに触れてしまった。しかも素手で。つまり、私の指紋が……。
「そ、そうだ……、通報……!」
必死にスマートフォンを探す。
ベッドに傍に置かれていたバッグの中に入っていたスマートフォンを手に取り、警察よりも先に彼女に連絡をする。
「も、もしもし⁉ 樹里さん! 大変なんです!」
『どうかしたのか? 今日休むのなら別に問題ないぞ』
「そ、そうじゃなくて、今どこかのホテルにいるんだけど……」
『なんだ、ついにヤったのか?』
「殺ってないよ⁉」
『……何かあったのか?』
「実は……」
私は簡潔に現状を樹里へ説明する。
誰が見ても私が犯人だと思うだろう。しかも最悪なことに、凶器と思われるナイフには私の指紋が付着してしまった。
……だが、樹里なら。彼女と出会った時の事件と同じように、私を救ってくれる。そう信じていた。
『……そうか。今すぐ行くが、どこのホテルかわかるか?』
「ちょっと待ってて……」
一旦電話を切り、地図アプリを開く。GPSのおかげで今いる場所が判明した。
もう一度樹里にかける。
「そんなに家から離れてなかったよ。駅近くのラブホ街の……」
●
「来たぞ」
「……えっと」
「どうも、浦崎です。こっちは部下で新人の岸部政宗くん」
樹里が来た。……来たのはいいのだが隣にいる男二人、彼らは明らかに一般人ではない。その証拠に二人は私に手帳を見せた。……ドラマでよく見る警察手帳だ。
「な、なんで警察の人連れてきたの⁉」
「証拠隠滅を疑われたらめんどくさいだろ」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
岸部と呼ばれた男がため息をつき、私のことを睨む。きっと私が犯人だと思っているのだ。
「……浦崎さん、やっぱり僕は反対です。こんな子供に捜査を手伝わせるなんて。しかも容疑者の知り合いなんですよね? 今すぐ一課に……」
「まあまあ、落ち着いて。それに、茜さんでしたっけ? 彼女がやったってまだ決まったわけじゃないですからねぇ」
「わ、私やってません!」
「……とりあえず、これまでのことを話してもらえますか」
「えっと、昨日は知り合いとお酒を飲んでて……」
昨晩から現在までの経緯、それを思い出しながら話す。樹里と浦崎は表情を変えず時折頷いたり相槌を打つだけ。しかし、岸部は露骨に不審そうな顔で私の話を聞いている。
「一ついいですか?」
「……はい」
「私たちが来るまで、部屋は鍵がかかっていたんですか?」
「いえ、扉の鍵はかかっていませんでした。だけどチェーンがしっかりと……」
「なら窓は?」
「窓は鍵が……えっ」
……そこで気づく。扉はチェーンで、そして窓は鍵で施錠されている。私以外の人間が犯人なら、どうやってこの部屋から……。
「つまり、密室っていうことですね?」
『密室』、その言葉を聞いて、背中に冷たい汗がたらりと流れるのを感じた。私以外に、犯行が可能な人間が存在しない……?
「ククッ」
突然の笑い声。この場にいる全員がその声を発した人物を見る。
……樹里は笑っていた。人が死んでいる場所で。
彼女と出会った日のことを思い出し、少し気味が悪くなる。
「何が可笑しい」
「ハッ、密室…ねぇ……。お前、推理小説か刑事ドラマの見過ぎじゃないか?」
「はぁ⁉」
「岸部くんストップ。……樹里ちゃん、何か考えがあるのかな?」
「さあな、まずは死体を見てからだ。それで茜が犯人だとしたら、その時はおとなしく逮捕すればいい」
「わ、私は……」
「すべての証拠を平等に扱って謎を解く。それだけは約束する」
樹里はまず入口のチェーンに触れた。
「なんの変哲もない、普通のチェーンだな。扉の鍵はかかっていなかった。なら、外から密室モドキを生み出すことは可能なはずだ」
「ってことは、まさか外からチェーンをかけたって言いたいのか⁉」
岸部の問いに樹里が愉快そうな顔で頷いた。
「そのまさかだよ。犯人は針金か何かを使って外からチェーンをかけた。今時推理小説でもドラマでも見ない古典的なトリックだな。これで茜以外の犯人が存在する可能性が生まれたわけだ」
「……だが、まだ犯人じゃないと決まってないだろ」
「それもそうだな」
そして樹里は遺体に近づき、手を合わせた。刑事二人も遅れて同じ動作を行い、死者の冥福を祈る。
「死因は腹部を刺されたことによる失血。恐らく死後3,4時間といったところか」
「被害者の名前は?」
「……鍋島鉄尾くん。私と同い年で、今はエンジニアをしてるって聞きました」
共通の友達がいるというだけで、一度も話したことのない、本当にただの同級生。それがどうしてこんなことに……。
すると岸部が床に落ちていたジャケットから何か取り出した。
「鍋島さんの財布ですね、免許証も入ってます」
「なら、別の部下を鍋島の家に向かわせろ。そっちに何か証拠があるかもしれない」
「言われなくても……!」
岸部が樹里の胸倉を掴もうとするが、それを浦崎が制止した。そして浦崎はスマートフォンを取り出し、どこかに電話をかけた。恐らく電話の相手は彼の部下だ。
樹里はそんなこと一切気にせず、「それよりも」と呟いた。
「茜、さっき酒をそこまで飲んでいないのにいきなり眠くなったって言ってたな?」
「うん。それで目が覚めたらここに……」
「ということは、鍋島に睡眠薬を飲まされたという可能性がある。だからお前は少量の酒で眠ってしまったんじゃないか?」
「えっ、睡眠…薬……?」
「あぁ、眠ったお前をここに運び込んで、鍋島はどうするつもりだったんだろうな?」




