17話 エピローグ:白雪
誰も動けずにいた。白い泡を吹いて倒れる偽祥子。妻の死を咽び泣く伸二。同僚の死に絶望する芦田。私はそれを見ることしかできなかった。
そんな状況を最初に打ち破ったのは樹里だった。
「……ここにいても仕方がない。早く出るぞ」
そう言ってエレベーターに乗ろうとする。四階にあるという爆弾を取りに行くためだ。
『おめでとう』
男の声がする。芦田でも宮代でもない別の誰かの声。
機械的で感情もわからない。だというのに、何か引き込まれるような感じがする。
そしてガチャリという音がした。
まさか……。そう思って慌てて入口の扉に触れると、なんの抵抗もなくあっさりと扉は開いた。
「な、なんで……」
「なるほどな」
樹里が呟きながらエントランスを見回す。
勿論見える位置に監視カメラはない。だが、見えない位置に巧妙に隠されているとしたら……。
「誰かが私たちのことを監視していたんだ。双子でも『名無しの悪意』でもない。奴らの上に本当の黒幕がいるんだ」
「黒幕……」
「それって一体……」
「流石にそれが誰かはわからない。だがそいつはずっと私たちの行動を、そして双子とこいつが死ぬところをどこかで見てたんだ。そのうえで『おめでとう』だと? 奴は私たちのことをまるで盤上の駒のように見ている。ふざけるな、ふざけんなッ!」
「樹里ちゃん⁉」
金切り声を出しながら樹里が壁を殴る。何度も、何度も……、力強く。
私は彼女の手を強引に掴んだ。血の生暖かい感触がする。出血するほどの力で……、それほどまでに彼女は怒っていた。
「確かに許せないけど、今回の事件は終わったんだよ……」
「あぁ、終わったよ。犯人が死亡するどうしようもない結末でな」
外へ出て月を眺める。随分長い間幽閉されていたような気がするが、たった二日間の出来事だ。移動時間を入れても三日間。
とても長い三日間の旅行はこうして幕を閉じた。
「……こんなくだらない謎、絶対に私が全部解き明かしてやる。精々盤上世界を嘲笑っていろ」
こうして、大切なクリスマスの日は終わってしまった。
●
「疲れたぁ……」
「何度同じ話をしたかわからん」
警察署を出てすぐにため息をつく。ホテルで起きた連続殺人、その事情聴取に丸一日かかってしまった。
「すみませんねぇ。私たちもお仕事ですから」
「別にお前に文句を言ってるわけじゃない」
中年の刑事が頭を掻いて笑う。
浦崎隼人刑事、赤崎サチヱの知り合いで今は樹里の協力者だ。
「そのコロンボのコスプレ、そろそろやめたらどうだ?」
「フッフッフ、最近の若い子はわかってくれないんですよねぇ、これ」
ヨレヨレのコートにボサボサの髪。実物を見たことはないが、確かにその容姿は海外ドラマ好きだった父から聞いたコロンボ警部の姿に似ていた。
「そういえば、ホテルから何か見つかったか?」
「何かとは……?」
「呪われた秘宝だよ」
「あれって、桔梗さんと蓮華さんがターゲットを呼び寄せるためのものじゃ……」
「えぇ、それらしいものは見つかりませんでしたよ」
そう言って笑った後「ただ……」と付け加えた。
「何か見つかったんだな?」
「はい。鳩飼桔梗の部屋に隠し扉がありました」
「そこに何かあったんですね?」
「小さな部屋の中に金庫がポツンと置かれていました。その中には子供向けの玩具しかありませんでした。随分年季の入った古いもので、恐らく双子の幼少期のものでしょう。そこにひらがなで名前が書いてありましたよ。『ききょう』、『れんげ』、そして…『ひがな』ってね……」
「そうか。……フフッ、それは確かに、呪われた秘宝だな」
「うん、宝物だね……」
子供の頃の思い出、きっといつかは忘れてしまう物。嫌な言い方をすれば捨ててしまう記憶だ。だが、鳩飼姉妹は捨てることができず、ずっと抱え続けてしまった。大切な姉が殺されたからだ。
彼岸花は自殺した。しかし、あの四人に殺されたと言っても過言ではない。だから双子は優しい思い出も辛い思い出も全部抱え続けた。……こうして呪われた秘宝は生まれてしまったのだ。
「それじゃあ私はこれで」
浦崎刑事は一度会釈すると、警察署へ戻っていった。
やっと二人きりになれた。その思いがこらえきれず、樹里と腕を組んでしまう。
「ねぇ、これからどうする?」
「……帰って寝たい」
樹里が眠そうに目を擦る。謎から解放され、また退屈な日常に戻ってきてしまった。彼女の言う魂が腐る感覚が私にはわからない。だが、彼女にとってそれは苦痛どころの話ではないのだろう。
「その前に、ちょっと付き合ってもらってもいい?」
「まあ、別にいいが……」
これといって用事があるわけではない。ただあてもなく街を歩く。
少し前まではクリスマスの飾りつけで華やかだった街道も、今はいつも通りの日常に戻っていた。……当然だ。今日は十二月二十六日、クリスマスは終わってしまった。きっと半額のクリスマスケーキもこの時間じゃ既に売れてしまったか廃棄処分だろう。
「……悪かった。クリスマスを台無しにしてしまって」
「大丈夫。クリスマスじゃなくたって樹里ちゃんとは一緒にいれるんだし」
「違う、そういうことじゃなくて……!」
「うん、刑事から聞いたよ。脅迫状が送られて来たんでしょ? 来なかったら私に危害を加えるって」
あの時の樹里はいつも以上に強引で何も話さなかった。何かあるとは思っていたが、やはり私のために……。
「……巻き込んでしまって、本当にすまな…んっ⁉」
強引に樹里の口を塞ぐ。夜中とはいえ周りに人もいる。視線は当然私たちに集まる。
「謝らないで。……気にしてないから」
冷たい感触。樹里の身体ではない。……雪だ。
「わかった。もう今回の件では謝らない。だからこれだけは言っておくぞ」
「何……?」
樹里が私の右手を強く握る。いつもは不快な右腕の痺れが、今はなんだか心地よい。樹里との繋がりを強く感じる気がして。
「これから先何があったとしても、私はお前のことを絶対に守る」
「えっ⁉ そ、そんな周りに人もいるのに……」
「お前からキスしておいてそれを言うか⁉」
樹里の顔が真っ赤になる。私もなんだか顔が熱い。
これから先何かあっても……。きっと樹里は謎を解こうとするだろう。そうすれば危険に巻き込まれる。
「……ありがとう、私も樹里ちゃんのこと絶対守るから」
何があったとしても、私は樹里の隣にいる。それだけが、私が彼女のためにできることだから。
空から落ちてくる雪を見る。もう、クリスマスは終わってしまった。それでも……。
「樹里ちゃん」
もう一度、確かめ合うように唇を重ねる。
この言葉を言っても、神様は許してくれるだろうか。
「メリークリスマス!」